「47」カテゴリーアーカイブ

日本鉱物科学会 2018 年年会・総会参加報告

PDFファイルはこちらから2018年11月PDFNo.47

リサーチ室  江森 健太郎

去る 9月19日(水)から21日(金)までの3日間、山形大学小白川キャンパスにて日本鉱物科学会2018年年会・総会が行われました。弊社から2名の技術者が参加し、それぞれ発表を行いました。 以下に年会の概要を報告致します。

山形県を代表する戦国武将、最上義光
山形県を代表する戦国武将、最上義光

 

日本鉱物科学会とは

 

日本鉱物科学会(Japan Association of Mineralogical Science)は平成19年9月に日本鉱物学会と日本岩石鉱物鉱床学会の2つの学会が統合・合併され発足し、現在は大学の研究者を中心におよそ900名の会員数を擁しています。日本鉱物科学会は鉱物科学およびこれに関する諸分野の学問の進歩と普及をはかることを目的としており、「出版物の発行(和文誌、英文誌、その他)」、「総会、講演会、 研究部会、その他学術に関する集会および行事の開催」「研究の奨励および業績の表彰」等を主な事業として活動しています。2016年10月に、一般社団法人日本鉱物科学会として新たな出発の運びと なり、(1) 社会的及び学術界における信頼性の向上、(2) 責任明確化による法的安定、(3) 学会による財産の保有等が確保され、コンプライアンスの高い団体として活動していくことになりました。2018年会・総会は、一般社団法人として前年2017年の愛媛大学での開催に続き2回目の年会・総会になります。

 

山形大学について

 

山形大学は明治11年(1878年)の山形県師範学校の開校にはじまり、昭和24年(1949年)に 山形高等学校、山形師範学校、山形青年師範学校、米沢工業専門学校、山形県立農林専門学校の5つの教育機関を母体に新制国立大学として設置されました。「地域に根差し、世界を目指す」をスローガンとしており、「自然と人間の共生」をテーマに掲げ、「学生教育を中心とする大学創り」「豊かな人間性と高い専門性の育成」「『知』の創造」「地域及び国際社会との連携」「不断の自己改革」の5つの使命を掲げています。教養教育を学士課程教育の基盤である「基盤教育」として重視しており、その運営・実施期間として「基盤教育院」が設置されています。学生支援では、学生と大学の関係を密接にすることを狙いとし、大学が直接学生をスタッフとして雇用するインターンシップ制度が創設される見込みだそうです。平成31年(2019年)には創立70周年を迎える歴史と伝統を受け継いでおり、優れた人材を社会に送り出しています。

日本鉱物科学会2018年年会・総会が行われた小白川キャンパスの他、米沢、鶴岡キャンパスがあり、 山形県全体としてみると、村山地方(山形市)、置賜地方(米沢市)、庄内地方(鶴岡市)それぞれに所在し、近年、最上地方に「エリアキャンパスもがみ」が設置され、県内4つの地区すべてにキャンパスが配置されています。

会場となった山形大学
会場となった山形大学

 

小白川キャンパスは JR 山形駅から巡回バスで10分程度、徒歩でも30分程度の距離となっており、 駅前からのアクセスは非常に良好です。
今年の年会では、3件の受賞講演、10件のセッションで114件の口頭発表、83件のポスター発表が行われました。

1日目、19日(水)の9時15分より小白川キャンパス基盤教育1号館で「結晶構造」、「地球表層」、「宇宙物質」、「深成岩・火山岩・サブダクションファクトリー」、「火成作用の物質科学」 の5つのセッションが行われました。
また、3日間ポスター発表が開催されており、12時〜14時がコアタイム(ポスター発表者がポスター の横に立ち、質疑応答を行う)として設定されていました。

総会の様子
総会の様子

 

2日目、20日(木)は、9時より基盤教育2号館で総会が行われました。総会は上にも記した通り、 一般社団法人化して2回目の総会となりました。総会は当日出席92名、委任状107名と定足数を満たしました。総会では、各種事業報告の他、役員承認や会員会費規定の改定等の決議事項、授賞式が行われました。総会の後、受賞講演が行われ、平成29年度第18回受賞者である金沢大学 海野進教授、 同第19回受賞者である学習院大学 糀谷浩氏、平成29年度第23回日本鉱物科学会研究奨励賞表彰の東京大学 新名良介氏による講演がありました。同日午後14時からは基盤教育1号館にて「岩水–水」、「岩石・鉱物・鉱床」のセッションが行われました(この2セッションは資源地質学会との共催セッションでした)。

 

受賞講演を行った 3 名(左から新名良介氏、海野進教授、糀谷浩氏)と 日本鉱物科学会会長土`山明教授
受賞講演を行った3名(左から新名良介氏、海野進教授、糀谷浩氏)と 日本鉱物科学会会長 土`山明教授

 

3日目、21日(金)は基盤教育1号館にて「鉱物記載」「変成岩」「高圧深部」のセッションが行われ、「鉱物記載」セッションで弊社研究者2名が「周囲圧力下で熱処理(LPHT処理)された褐ピンク色CVD合成ダイヤモンドの分光特性」「マダガスカル、ディエゴ産ブルーサファイア中に観察されるBe含有ナノインクルージョン」の発表を行いました。講演後、多数の質問が寄せられ、鉱物科学会会員の方々の宝石学への興味の強さを感じることができました。(なお、発表内容についてはCGL通信43号、45号に掲載されています。https://www.cgl.co.jp/latest_jewel/tsushin/)

 

「鉱物記載」セッションで講演を行う筆者
「鉱物記載」セッションで講演を行う筆者

 

今回行われた発表の中で、宝石と関係の深い話で興味深いものが2点ありましたので紹介します。

 

「人工知能による深層学習を利用したヒスイ判別機の開発」

小河原孝彦(フォッサマグナミュージアム)

新潟県糸魚川市フォッサマグナミュージアムでは、開館当初から市民に広く開かれた博物館をめざし、海岸等で採取した石の名前の鑑定を窓口で学芸員が行っている。鑑定件数は年々増加し、この件数増加に博物館側は対応に苦慮している。発表者は、人工知能を用いた石の鑑別(ヒスイか否か)の可能性について研究を行った。本研究では画像の深層学習に2015年にGoogleが開発した機械学習ソフトウェアライブラリであるTensor Flowを利用し、画像分類と物体検出に適応したアーキテクチャのNASNetを転移学習に用いた。糸魚川の海岸で採取した礫の写真13,000枚を教師画像とし、ヒスイお よびヒスイ以外の2種類に分類し、NASNetに転移学習させた。結果として、20,000回の学習でヒスイとヒスイ以外の認識率は約96%になった。本研究から、人工知能を用いた画像の深層学習でヒスイの認識が可能であることが明らかになった。

 

「肥後および西彼杵変成岩中より見出されたダイヤモンド様物質の鉱物学的特徴」

大藤弘明、福庭功祐(愛媛大・GRC)、西山忠男(熊本大・先端科学)

日本の九州地方に分布する肥後変成岩および西彼杵変成岩中からもダイヤモンドと考えられる炭素物質が発見され、注目を浴びている。筆者らはこのようなダイヤモンド様物質の直接観察をめざし、コンタミの可能性などに注意を払いながら観察試料を作成し、電子顕微鏡観察を行った。ダイヤモンド様物質を含む肥後変成岩(クロミタイト)柱のダイヤモンド様物質は、クロマイト中に含まれる負結晶中に1μmほどの紡錘形粒子として観察され、ランダムに集合した径数十〜数百nmの極めて細粒なグラファ イトから成ることが分かった。西彼杵変成岩(泥質片岩)中のものは、基質を構成するフェンジャイトの空隙部に径0.4〜1μmほどの不定形から半自形(八面体様)の粒子として濃集しており、TEM下で電子線回折によって調べたところ、確かにダイヤモンドであるがコンタミの可能性も否定できず、今後の課題であると発表された。

 

毎年開催される日本鉱物科学会年会では、最先端の鉱物学研究が発表され、弊社も毎年2件研究発表を行っています。鉱物学と宝石学は密接な関係があり、参加、聴講することで最先端の鉱物学に関する知識を得られ、普段接する機会が少ない研究者の方々と交流を深めることができます。来年も鉱物科学会年会に参加し、中央宝石研究所で行われている各種宝石についての最先端の研究を発表、深めていく予定です。なお、来年の日本鉱物科学会年会は9月20日〜22日、九州大学で開催されます。◆

ポ ス タ ー セ ッ ション コ ア タ イ ム の 様 子
ポスターセッション コアタイムの様子

 

フォッサマグナミュージアム:「宝石の国」展に参加して

PDFファイルはこちらから2018年11月PDFNo.47

リサーチ室 北脇 裕士

新潟県糸魚川市のフォッサマグナミュージアムにて、2018年9月8日より10月28日までの予定で「宝石の国」展が行われていました。その関連イベントとして9月16日(日)に特別講演会が企画されhttp://www.city.itoigawa.lg.jp/7077.htm、筆者が「宝石の国の宝石学」というタイトルで講演させていただきました。

 

写真1:フォッサマグナミュージアム外観
写真1:フォッサマグナミュージアム外観

 

「宝石の国」は、月刊アフタヌーンで大好評連載中の市川春子氏原作の漫画です。昨年にはテレビアニメが放映され、その人気に拍車が掛かりました。登場人物が擬人化された宝石という斬新な内容で、ミネラルファン達をも取り込んだようです。
フォッサマグナミュージアムでは漫画世代の20–30代の若い男女に宝石や岩石鉱物(特に日本の国石となったヒスイ)の魅力を発信するために「宝石の国」展を企画しました。会場には複製原画や登場キャラクターに関係した宝石の原石、カット石、イラストを展示しており、宝石学会(日本)、日本鉱物科学会なども後援しました。

写真2:「宝石の国」展特別講演会会場
写真2:「宝石の国」展特別講演会会場

 

写真3:「宝石の国」展展示会場の様子
写真3:「宝石の国」展展示会場の様子

 

特別講演会当日は3連休の中日ということもあってか、県内だけでなく北海道から九州まで日本全国からの来場者がありました。特に関東近郊からのお客様が多く、新幹線の利便性が後押ししたようです。予定していた定員は80名でしたが、開始時刻の1時間前から人が並び始め最終的には124名の参加者で会場が超満員になりました。関係者の話によるとミュージアム史上最高の聴講者の数だったとの事で、アニメ化された漫画の人気に驚かされるばかりでした。この企画が次世代を担う若者たちに宝石の魅力を発信できる場になったことは間違いなさそうです。

 

【フォッサマグナミュージアム】

 

フォッサマグナミュージアムは、日本最大のヒスイ産地であり、世界最古のヒスイ文化発祥の地として知られる新潟県糸魚川地域にあります。現在は糸魚川ユネスコ世界ジオパークの情報発信の重要な拠点となっています。
フォッサマグナ(ラテン語で大きな溝:大地溝帯)の成立や人間と地球史とのかかわりを示す資料を収集・保管・展示し、あわせて調査研究およびその成果の普及を通して、市民の教育・学術および文化の発展に寄与することを目的に1994年(平成6年)に開館しました。1982年(昭和57年)の糸魚川市の総合計画を発端に平成元年には博物館開設の基本計画が策定されました。そしてふるさと創生事業の一環として、自治省や新潟県の補助を受け、総工費17億円が投じられ、立派な施設が出来上がりました。
開館当初は年間来場者が10万人近くありましたが、徐々に減少傾向が続き平均して4万人程度となりました。しかし、2008年(平成20年)に日本ジオパークに選定され、翌2009年(平成21年)に世界ジオパークに認定されて以降、来場者が増加に転じました。そして、2015年(平成27年)の展示リニューアルにより再び10万人を突破することになりました。

 

写真4–a:ミュージアム館外に展示されているヒスイの巨礫と学芸員の竹之内博士
写真4–a:ミュージアム館外に展示されているヒスイの巨礫と学芸員の竹之内博士

 

美山公園の高台に立地するミュージアムへは糸魚川駅から車(路線バスあるいはタクシー)で10分ほどです。館外の敷地にはヒスイの巨礫がいくつも並べられ、ここがヒスイの産地であることを思い起こさせてくれます。その一角に人の背丈ほどのヒスイの巨礫がひとつ。これは2007年(平成19年)5月に設置されたものですが、盗掘の被害を避けるためにここに疎開させてきたそうです。ミュージアム学芸員の竹之内博士の話によると、この巨礫はもともと国の天然記念物として指定されている小滝川上流のヒスイ峡からさらに4kmほど上流にあったそうです。天然記念物に指定された場所からは外れているので、小礫を拾う程度なら良いそうですが(指定区域では採取はもちろんのこと、石を動かすことも文化財保護法で禁止されています)、この巨礫は削岩機を使って運び出されようとしたため保護の目的でここに運ばれてきたそうです。これも重要なミュージアムの仕事のひとつです。この巨礫には削岩機で開けられた複数の穴や突き刺さったままのタガネを見ることができます。

 

写真4–b:削岩機で開けられた2つの穴
写真4–b:削岩機で開けられた2つの穴

 

写真4–c:刺さったままのタガネ
写真4–c:刺さったままのタガネ

 

館内の展示・収蔵標本は糸魚川産のヒスイをはじめ岩石・鉱物、化石など2,000点以上に及びます。これらがテーマ別に非常に見やすく配置されており、観客の興味を満たしています。正面のエントランスから入ってすぐの休憩室のスペースでは学芸員による無料鑑定サービスが行われています。これは市民や観光客が海岸などで拾った石を鑑定してもらえるサービスで1人1回10個までだそうです。土日や夏休みになると鑑定を希望する人たちで行列ができるそうです。
展示コーナーに向かうと、まず大小のヒスイ礫が目に飛び込んできます。スクリーンに映し出された小滝川の風景とあわせて擬似的にヒスイ峡を訪れた気分を味わえます。来館者の心をつかむ演出です。

 

続く第1展示室は、「魅惑のヒスイ」コーナーです。糸魚川産のヒスイの逸品が展示されています。おなじみの緑色のヒスイ、ラベンダーヒスイの原石や遺跡から発掘された勾玉のレプリカなどが展示されています。

第2展示室は、「糸魚川大陸時代」がテーマです。糸魚川の地質がどのように形成されたのかを詳しく解説しています。さらにヒスイを科学的に詳しく紐解いています。
第3展示室は、「誕生日本列島」がテーマとして取り上げられています。フォッサマグナシアターと名付けられた大型スクリーンと床に広がるマルチ画面で雄大な地球創生の映画が上映されています。また、日本地質学の父と呼ばれるナウマン博士のドイツの自宅を模した展示で、フォッサマグナを発見した博士の生涯を紹介しています。
第4展示室は、「変わりゆく大地」をテーマに、日本海の海抜0mから白鳥山(1,286.9m)、犬ヶ岳(1,592m)を経て朝日岳(2,418m)を結ぶ北アルプス最北部の縦走路となる栂海新道(つがみしんどう)や標高2400mの活火山である焼山などの形成について紹介されています。
第5展示室は、「魅惑の化石」をテーマに日本国内や世界のいろいろな化石が時代別に展示されています。日本の名前がついた奇妙な形のアンモナイトのニッポニテスやシーラカンス、さらには草食恐竜の糞の化石などが興味をそそります。
第6展示室は、「魅惑の鉱物」をテーマに各種岩石・鉱物が展示されています。鉱物名になった日本人や日本で発見された新鉱物、新潟県の鉱床など、他の博物館では見られない展示が工夫されています。

 

フォッサマグナミュージアムでは、このような魅力ある展示が多く成されており、特に糸魚川のヒスイについて理解を深めることができます。北陸新幹線で結ばれたことも有り、関東近郊からの日帰りさえも可能です。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

※【ユネスコ世界ジオパークとは・・・】

ジオパークとは、「地球・大地(ジオ:Geo)」 と 「公園(パーク:Park)」 とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、まるごと楽しめる場所をいいます。大地(ジオ)の上に広がる動植物や生態系(エコ)の中で人間(ヒト)は生活し、文化や産業などを築き、歴史を育んでいます。ジオパークでは、これらの「ジオ」、「エコ」、「ヒト」の3つの要素を楽しく理解することができます。
ジオパークでは、見所となる地形・地質の場所を「ジオサイト」に指定して、多くの人々がその場所の魅力を知り、将来にわたって継続的な保護を行います。その上で、これらのジオサイトを教育やジオツアーなどの観光活動などに活かし、地域を元気にする活動や、その地域の素晴らしさを発信する活動を行っています。
ユネスコ世界ジオパークは、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の定める基準に基づいて認定された質の高いジオパークで、2015年11月の第38回ユネスコ総会において正式プログラムとなりました。2018年4月現在、日本には、「日本ジオパーク」が44地域あります。そしてそのうちの9地域がユネスコ世界ジオパークに認定されています。世界的には38カ国、140地域にユネスコ世界ジオパークがあります。
糸魚川地域では2009年に日本のジオパークとして初めてユネスコ世界ジオパークに認定されました。この年には雲仙火山を擁する島原半島(長崎県)と洞爺湖有珠山(北海道)が同時にユネスコ世界ジオパークに認定されています。
ユネスコ世界ジオパークに認定されるためには、まず日本ジオパーク委員会の審査を通過した後、世界ジオパークネットワークの加盟申請をします。書類審査や現地審査を経た後合格すればユネスコ世界ジオパークと名乗ることができます。ユネスコ世界ジオパークに一度認定されても4年に一度の再審査に合格しなければ加盟を取り消されるという厳しい規則があります。◆

小滝川ヒスイ峡(小滝川硬玉産地)を訪ねて

PDFファイルはこちらから2018年11月PDFNo.47

リサーチ室 北脇 裕士

【日本の石(国石)ヒスイ】

2016年9月24日、日本鉱物科学会平成28年度総会にてヒスイが日本の国石に選定されました。

図 1:日本の国石となったヒスイ(フォッサマグナミュージアム提供)
図 1:日本の国石となったヒスイ(フォッサマグナミュージアム提供)

 

日本の石(国石)は日本鉱物科学会の一般社団法人化の記念事業の一環として考案されたものです。「日本で広く知られて、国内でも産する美しい石(岩石および鉱物)であり、鉱物科学のみならず様々な分野でも重要性をもつものを、「国石」として選定することにより、私たち日本人が立っている大地を構成する石について、自然科学の観点のみならず社会科学や文化・芸術の観点からもその重要性を認識するとともに、その知識を広く共有する」 という趣旨のもと取り組まれてきました。日本鉱物科学会のホームページにはヒスイが国石に選定された理由を以下のように述べています。「ヒスイ輝石やこの鉱物からなるヒスイ輝石岩は、日本列島のようなプレート収束域(沈み込み帯)の冷たい地温勾配の環境下でのみ形成されると考えられ、特に細粒でやや透明感をもったヒスイは宝石として高い価値を持ちます。ヒスイの産出は約5.5億年前より若い時代の蛇紋岩分布地域に限られ、藍閃石片岩や超高圧変成岩と同様、地球の冷却を示す岩石の一つです。ヒスイを敲(たたき)石として使ったものが、糸魚川市の大角地(おがくち)遺跡から発見され、縄文時代前期前葉の利用例として知られています。縄文時代に国内で加工された大珠は人類初のヒスイ加工の証であり、以後奈良時代まで利用された勾玉と共に日本史で重要な石であります。その後、日本からのヒスイの産出は忘れ去られますが、1938年に新潟県でヒスイが再発見され、翌年に学術論文として公表されます。そして現在では、新潟県糸魚川市をはじめ兵庫県養父市、鳥取県若桜町、岡山県新見市、長崎県長崎市など日本各地において野外で観察できるとともに、法律により保護されているところもあります。ヒスイの名は一般の人にも広く知られており、まさしく日本のシンボルであり、国石としてふさわしい石と認められます。」(注:日本鉱物科学会のHPには「ひすい」とひらがな表記されていますが、本稿では「ヒスイ」とカタカナで統一しています)

 

【小滝川でのヒスイの発見】

 

図2–1:小滝川ヒスイ峡(小滝川硬玉産地)の位置
図2–1:小滝川ヒスイ峡(小滝川硬玉産地)の位置

 

図2–2:小滝川ヒスイ峡(小滝川硬玉産地)の位置
図2–2:小滝川ヒスイ峡(小滝川硬玉産地)の位置(詳細)

 

日本国内の縄文、弥生、古墳時代の各地の遺跡からヒスイ製の勾玉や大珠などが見つかっています。 これらのルーツは現在ではすべて糸魚川地域であると考えられています。しかし、以前は日本で見つかるヒスイは大陸から渡来したものと考えられていました。なぜならば日本国内にはヒスイの産地が見つかっていなかったからです。

1938年に小滝川の支流のひとつ土倉沢の出会い付近でヒスイが発見されます。この発見に大きな役割を果たしたのが相馬卸風氏といわれています。相馬氏は明治から昭和にかけて歌人、文芸評論家として活躍する糸魚川在郷の知識人です。一般には早稲田大学の校歌の作詞で知られています。相馬氏は高志の国(現在の福井から新潟にかけて)の姫である奴奈川姫がヒスイの首飾りをしていたという伝説から、そのヒスイは地元産ではないかと考えていました。奴奈川姫はあくまでも伝説の人物ですが、数多くの資料が残されており、糸魚川の人々にとって特別な存在です。市内には「奴奈川姫の産所」など奴奈川姫にまつわる伝承地も数多く、式内社(しきないしゃ)である「奴奈川神社」にも、奴奈川姫と八千矛命(やちほこのみこと=大国主命)がともに祀られています。市内各地には奴奈川姫にちなんだ地名とともに、いくつもの伝承も数多く残っています。また、『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜(を) しも」(作者未詳)の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」 はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、奴奈川姫はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとも考えられています。

このような相馬氏のヒスイが地元にあるのではないかという発想が知人に伝えられ、ヒスイの調査が行われました。そして小滝川でのヒスイの発見に繋がります。見つけられたヒスイらしき石は幾人かを介して東北大学に届けられ、研究者らによって詳しく調べられました。その研究成果が、昭和14年(1939年)岩石鉱物鉱床学という科学誌に河野義礼(かわのよしのり)博士による「本邦に於ける翡翠の新産出及その化学性質」として発表されます。このヒスイ発見の経緯については、フォッサマグナミュー ジアム上席学芸員の宮島宏博士が専門誌で詳しく解説されています(地質学雑誌 第116巻 補遺 pp143‒153、2010年)。

 

【ヒスイの保護】

ヒスイの発見が最初に発表されたのが岩石・鉱物の専門誌であったためか、考古学者たちが日本からのヒスイ産出の情報を知るまでには少し時間が掛かったようです。今なら新聞、テレビ、雑誌、SNSなどで一瞬にしてこの手のニュースは拡散すると思われますが・・・。しかし、戦後になってようやく郷土研究家、考古学者を中心にヒスイの文化的価値が急速に認識され、重要視されるようになりました。そしてヒスイ保護運動が高まり、昭和29年(1954年)2月に小滝川のヒスイが新潟県指定の文化財になります。このときの指定内容は「明星山下の硬玉岩塊」とされ、指定地域についてはあいまいでした。 県の文化財に指定された後も、県外の複数の者たちによって発破を仕掛けてヒスイ岩塊を持ち出そうと する騒動が起こりました。これを契機に地元でも保護か開発かでゆれる時期があったそうです。そして、 これらの騒動が収束し、昭和31年(1956)6月には国指定天然記念物「小滝川硬玉産地」となり、指定地域も明確にされています。

 

【小滝川ヒスイ峡(小滝川硬玉産地)】

 

図 3:国の天然記念物であることを示す石碑
図 3:国の天然記念物であることを示す石碑

 

小滝川ヒスイ峡へのアクセスは自家用車がお勧めです。残念ながら直接ヒスイ峡まで行ける路線バス等の公共交通機関はありません。新幹線の停まる糸魚川駅にはタクシーがありますし、レンタカーも利用可能です。もし、徒歩で行く場合はJR大糸線小滝駅から片道およそ60分の行程となります。いずれにしても道路事情は必ずしもよくありませんので、ネット等で事前に情報収集することが必須です。 筆者はフォッサマグナミュージアム学芸員の竹之内博士の車で小滝川ヒスイ峡を訪れることができました。

 

図 4:明星山の大岩壁 ( 写真左のなだらかな斜面が蛇紋岩体 )
図 4:明星山の大岩壁 (写真左のなだらかな斜面が蛇紋岩体)

 

糸魚川は、過去に宝石学会(日本)の開催地になったことが2度あります(1992年と2002年)。 そのときのエクスカーションで小滝川ヒスイ峡を訪れる機会がありました。久しぶりではありますが、今回が3回目の訪問となりました。車で糸魚川市内から姫川沿いに国道148号線を南下し、JR小滝駅近くから県道483号に入り、山道を小滝川に沿って登っていきます。市内から小一時間走った頃、突然目の前に明星山の絶壁が現れます。明星山の岩壁は石灰岩からできており、ロッククライミングのゲレンデとして有名です。明星山は標高1188mで、岩壁の高さは500mもあります。明星山の西側にはややなだらかな傾斜の斜面があります。

 

図 5:小滝川ヒスイ峡(写真左が上流、右端がヒスイ産地の上流側境界)
図 5:小滝川ヒスイ峡(写真左が上流、右端がヒスイ産地の上流側境界)

 

図 6:小滝川ヒスイ峡のヒスイの転石(白っぽい岩がヒスイ)
図 6:小滝川ヒスイ峡のヒスイの転石(白っぽい岩がヒスイ)

 

植生も回りに比べてやや新しく緑鮮やかです。この部分は蛇紋岩です。蛇紋岩は水を吸うと膨張してもろくなる性質があり、この緩斜面は蛇紋岩の地すべりによってできた地形です。この緩傾斜地はその岩体の中にさまざまな種類の構造岩塊を含む蛇紋岩メランジュとなっています。小滝川ヒスイ峡のヒスイはこの蛇紋岩メランジュの中の構造岩塊として取り込まれたものです。地すべりによって蛇紋岩岩体が小滝川に滑り落ち、その後の侵食によって蛇紋岩が削り取られ、強固なヒスイだけが流域に残されたと考えられます。

図 7:天然記念物保護の注意書き
図 7:天然記念物保護の注意書き

 

図 8:天然記念物に指定される地域の上流側の境
図 8:天然記念物に指定される地域の上流側の境

 

ヒスイは低温高圧型の変成作用によって生成します。このような変成作用が生じるのは海洋プレートが 大陸プレートに沈み込んでいる場所(沈み込み帯もしくはサブダクションゾーンともいう)の地下20‒30kmと考えられています。沈み込み帯では冷たくなった海洋プレートが海溝の下に沈み込んでいくために、プレート同士が衝突して圧力が高いわりに他の場所より温度が低くなっています。最近の研究では、ヒスイの多くは橄欖(かんらん)岩が蛇紋岩化する際に関連した熱水溶液から生成したと考えられています。沈み込み帯では多量の海水を含む堆積物が海洋プレートとして地下深くに沈み込みます。 その際、橄欖岩が蛇紋岩へと変化する作用が生じます。それに伴って、局所的に蛇紋岩の割れ目に熱水溶液が発生し、ヒスイが生成します。このようなヒスイを含む蛇紋岩は回りの岩石よりも軽いため、大きな断層帯にそって上昇します。これが小滝川で見られるヒスイを伴う蛇紋岩メランジュなのです。◆