2015年5月No.26
リサーチルーム北脇 裕士
去る2014年12月3日(月)~7日(土)の5日間、GIT2014 The 4th International Gem and Jewelry Conference(国際宝石宝飾品学会)のPre-Conference Excursion(本会議前の原産地視察)としてミャンマーのモゴック鉱山ツアーが行われました。世界的に著名なモゴック鉱山の最新状況を視察することができましたので、以下に概要をご報告致します。
Pre-Conference Excursion
宝石や地質学関連の学術会議ではしばしば本会議の前後にタイプロカリティ(基準産地)や鉱山などを視察するツアーが組み込まれます。GIT2014ではPre-Conference Excursion(本会議前の原産地視察)として4泊5日でミャンマーのモゴック鉱山ツアーが行われました。Mogokは長い間外国人の立ち入りが厳しく規制されていましたが、最近になってようやく受け入れを始めました(文献1)。 GIT2014のツアーではAIGS(Asian Institute of Gemological Sciences)の協力の下、ミャンマー政府の許可を得てMogok Stone Tractを視察することができました。参加者は世界各国から総勢27名(ガイドとスタッフを含む)で、マンダレー空港に集合したのち、ワゴン車3台に分乗してモゴックを目指しました(Fig.2)。
パゴダのある国ミャンマー
ミャンマーは正式にはミャンマー連邦共和国ですが、以前はビルマと呼ばれていました。1989年、当時の軍事政権は国名の英語表記をUnion of BurmaからUnion of Myanmarに改称しましたが、軍事政権の正統性を否定する立場の方々や組織からはミャンマーではなく、今なおビルマと呼称されています。
ミャンマーはインドシナ半島西部に位置し、周囲をインド、中国、ラオス、タイおよびバングラデシュといった国々に囲まれており、南はベンガル湾に接しています(Fig.3)。
その面積は68万平方キロメートルで日本のおよそ1.8倍あります。人口は5,141万人でその70%がビルマ族です。ミャンマーは多民族国家で130以上の少数民族があり、主なものとしてカレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族およびシャン族などが知られています(文献2)。10世紀以前にいくつかの民族文化が栄えていたと言われていますが、遺跡などから確実にビルマ族の存在が認められるのはパガン朝(11世紀~13世紀)以降と考えられています。
ミャンマーでは多くの人々(およそ90%)が仏教徒で、いたるところにパゴダ(Pagoda)と呼ばれる寺院があります。パゴダは日本の仏塔と同じで仏舎利(釈迦仏の遺骨など)などを安置するための施設です。今回訪れたモゴックにも数多くのパゴダがありました(Fig.4)。人々が多く居住する街中だけではなく、見渡す限りの山々の頂にも大小様々なミャンマー様式の仏塔が見られました(Fig.5)。ミャンマーの人々にとって、パゴダは釈迦に代わる存在であり、釈迦の住む家とされています。従って、パゴダに入る時は履物を脱ぐことが求められ、訪れる人々は皆素足になります。
世界の宝石採掘地Mogok Stone Tract (モゴック ストーン トラクト)
ミャンマーにはMogok(モゴック)、Mong Hsu(モンスー)、Nanyaseik(ナムヤー)などの著名なルビー鉱山がありますが、最も歴史と名声があるのはモゴックです。歴史的なロイヤルジュエリーにセットされているルビーのほとんどはこのモゴックで採掘されたものです。また、世界的に著名なオークションにおいて1ctあたり$50,000以上の価格が付けられた150個以上のルビーのうちモゴック産でなかったものは12個に過ぎなかったという報告もあります(文献3)。モゴックはルビーだけでなくレッドスピネルやブルーサファイアも有名です。その他にペリドット、アパタイト、スカポライト、ムーンストーン、ジルコン、ガーネットおよびアメシストも良く知られています。また、ペイナイト、ポードレッタイト、ダイアスポアおよびハックマナイトなどのレアストーンの重要な産地でもあります(Fig.6)。モゴックはチャッピン(Kyatpyin)やその他の複数の村や宝石を産出する渓谷を含めてMogok Stone Tract(モゴック ストーン トラクト)を形成しています。
モゴックはミャンマー第二の都市であるマンダレー(Mandalay)から北東におよそ200kmに位置します。以前はマンダレーから船や曲がりくねった未舗装道路を車で乗り継ぎ、かなり大変な道のりであったとされていますが(文献4)、現在は全区間舗装されており、小型車でも6~7時間ほどでたどり着くことができます。しかし、標高が1500m以上あることから(Fig.7)、最後の1時間は曲がりくねったアップダウンの激しい道が続きます。
モゴック地域の居住者は1960年代で6000名程度に過ぎませんでしたが(文献4)、現在はモゴックで30万人、チャッピンで25万人程度といわれています(文献5)。これらの人口の増加は近年著しく、政府に因る宝石取引自由化が引き金になっていると考えられます。
モゴック鉱山の歴史
モゴック鉱山がいつごろから採掘されてきたかは文献により諸説があります。しかし、この地域の実際の採掘についての最も古い記録が6世紀にはすでに存在したとされています(文献6)。そして、ビルマ族による最初の王朝であるバガン王朝が樹立された1044年にはモゴックのルビーはすでに王国の経済活動の重要な位置づけにあったと考えられています(文献3)。信頼できるビルマの史録に、1597年にシャン族からモゴックの鉱床がビルマ国王の手に渡ったとされています。ビルマ国王は一定のサイズを超える価値の高いルビーはすべて自身の所有にし、供出しなかった者は拷問の責め苦や死罪にしました。そのため、いくつかの大きなルビーは無償で国王に供出するよりも売却するために割られてしまったそうです(文献5)。17世紀~18世紀にかけてはビルマ国王の過酷な統制の下、宝石を増産するために容赦ない要求が出され、鉱山は流刑場と化しました。
3度に及ぶ英緬戦争の末、英国がこの地を支配すると、宝石の採掘と売買に関しても監視するようになりました。1887年に採掘権がロンドンのジュエラーに与えられ、ビルマ ルビー マインズ社(BRM)が設立されました。同社は政府に権利金と利益の30%を支払うことで採掘の独占権を獲得し、重機を使用した機械化された採掘を行いました(文献6)。
BRMはモゴック ストーン トラクトとして知られる大部分の場所で作業をしていましたが、ヨーロッパ市場における合成ルビーの出現、第一次世界大戦の勃発および世界恐慌などの障害により1925年に自主解散し、その後賃借権を政府に譲渡しました。BRMが採掘していた跡地は大雨などで排水溝が破壊されてその後大きな湖となり、今も往時の繁栄を垣間見ることができます(Fig.8)。
1930年代に英国人が撤退すると、現地人の手による採掘が再開されました。採掘方法は彼らに馴染の深い昔ながらの手法に戻り、経験に基づく作業が行われていました。1963年にはビルマ政府によって事業は完全に国営化され、外国人による採掘や販売はすべて禁止され、実質上鉱山への立ち入りが不可能になりました。1990年代になると、これらの規制は緩やかになり、政府と個人企業に因る合弁事業が許可されるようになりました。さらに最近の数年間のうちにミャンマーの宝石取引は革新的な変化を遂げました。宝石の個人売買と合法的な輸出入が可能となり、多くの外国人によって活発な商取引がなされるようになっています。
モゴック ストーン トラクトの地質
多くの著名な宝石産地がそうであるように、モゴック ストーン トラクトも地勢、植生、気候などの悪条件が重なり地質踏査が困難な地域といえます。それでも先人の努力により精度の高い地質図が作成されています。これによると、この地区にはモゴック片麻岩類と呼ばれる変成度の高い変成岩類、花崗岩類、大理石などが広く分布しています(文献6)。
片麻岩類は黒雲母片麻岩、グラニュライト、角閃岩などの多様な種類で構成されており、東部地域の3分の2を占めています。花崗岩類は狭義の花崗岩や閃長岩などを含んでおり、これらはブルーサファイアの重要な母岩となっています。大理石はルビー、スピネルの重要な母岩でモゴック片麻岩類に挟在しています。
モゴック地域のルビー、サファイアの成因は5,500万年前に始まったインドプレートとユーラシアプレートの衝突に関連があります。2つのプレートの衝突による広域的な温度・圧力の上昇により、この地の変成岩が形成されました。アフガニスタン、パキスタン、タジキスタン、ネパールおよびベトナムにまで広がる一連の大理石起源のルビー鉱床も同一の地質学的イベントによるものと考えられています(文献7)。
採掘方法
モゴック ストーン トラクトでは、伝統的な手法から重機を用いた近代的な方法まで種々の採掘方法が見られます。ルビーは母岩の大理石を直接採掘する方法(第一次鉱床)とByonと呼ばれる含宝石土壌を採掘する方法(第二次鉱床)が見られます。第一次鉱床では主に目的とする宝石種が採掘されますが、第二次鉱床からはルビー、スピネル、サファイアなど種々の宝石類が同時に採取されています。
規模の大きい鉱山では一般にオープンピット法と呼ばれる地表から土を掘り返す手法や重機や火薬を用いて大理石の母岩を直接採掘する手法がとられています。いっぽう、大多数の規模の小さな鉱山ではtwin-lonと呼ばれる丸い穴をあけて谷底の堆積物を採掘する手法がとられています。また、大理石のカルスト地形特有の手法があり、lu-dwinと呼ばれています。これは大理石の浸食によってできた空洞や亀裂に集積するルビーを採掘します。他の方法に比べて歩留りは良いのですが、複雑に入り組む洞窟に奥深く入るため危険を伴います。実際に1992年に鉱夫が何人も死亡するという事故があったそうです(文献6)。
モゴック鉱山現況
モゴック ストーン トラクトにはルビー、サファイアの鉱山が大小合わせると300以上あります。今回のツアーではこれらのうち生産量の多い規模の大きな鉱山5か所と伝統的な採掘を行っている小規模な鉱山を複数訪ねました。
モゴック東部のShun Pun 村にあるBhone Myint Aung ルビー鉱山は風化した大理石を含む土砂を採掘する第二次鉱床です(Fig.9)。宝石を含む土砂は川底周辺の採掘が容易ですが、最近は山腹や丘陵までが採掘の対象となっています。ここでは重機を用いて土砂を堀り、水圧を使って土を砕いていきます。これらを水と一緒にホースで吸い上げ、ベルトコンベアー上でふるいにかけられます。最終的に集積タンクに比重の大きい石(宝石類)が集められています(Fig.10)。ここではルビーが採取されていますが、その何倍ものレッドスピネルが採れています。
モゴック北部のYadana Shin Ruby鉱山は大理石から直接ルビーを採掘する第一次鉱床です。モゴック ストーン トラクトの中でも最大級の規模の鉱山で、400名に及ぶ鉱夫が働いており、寝食を共にしています。大理石の露岩も見られる広大な敷地内から縦坑がいくつも掘られています。風化していない硬い大理石は削岩機で砕かれ、10cm~20cm程度のサイズにされます。それをバケツに入れて地表に運び、一旦山積みにされます(Fig.11)。地上では積まれた大理石の塊を鉱夫が人力で運搬し(Fig.12)、クラッシャーにかけられます。細かくなった大理石はさらにハンマーで慎重に砕かれ、中からルビーやスピネルが採取されていきます。
モゴック西部のチャッピン地区にあるBawmar 鉱山は、2008年以降採掘量が急増したブルーサファイアの重要な鉱床です(文献8)。この地域は主にモゴック片麻岩類が分布しており、閃長岩や花崗岩類を伴っています。ブルーサファイアは高度に変成した黒雲母片麻岩などに貫入した閃長岩やペグマタイトの風化土壌から採掘されています。Bawmar 鉱山は10年ほど前から重機を用いた採掘がおこなわれており、現在は露天掘りとトンネル方式が組み合わされています(Fig.13)。トンネル方式では最大で深さ80mにもおよぶ縦坑が掘られています(Fig.14)。
そこから削岩機を用いて風化した岩石を砕き、水平方向に掘り進められていきます。地表に挙げられた鉱石は洗浄され、サイズの異なるふるいにかけて選別されます。その後、女性たち(ミャンマーの女性の多くは伝統的なおしゃれで頬にタナカと呼ばれる木の粉を付けています)の手によってトリミングされ(Fig.15)、最終的にカット・研磨されます。 この鉱山のブルーサファイアは原石のままで濃色であり(Fig.16)、最大で15ct程度ものカット石が得られています。
モゴック西部のBaw Lone Gyi ルビー鉱山ではミャンマーならではの採掘風景を見ることができます。この地には近くの鉱山で既に選鉱された尾鉱(廃石)がトラックで運ばれてきます(Fig.17)。モゴックの村人たちにはこれらの尾鉱から宝石を探すことが許されており、見つけた者が所有することができます。しかし、英国が鉱山を支配していたころはこの権利は女性に限定されており、KANASE(カナセ)と呼ばれていました。Baw Lone Gyiでは多くのカナセが真っ白な大理石の小石から赤いルビーやスピネルを探す姿が見られます(Fig.18)。そして、見つけた宝石をオープンマーケットで販売します。
モゴックの宝石マーケット
今回のモゴックツアーでは計5か所のジェムマーケットを訪れました。うち4か所は毎日開催されていますが、午前中のみもしくは午後のみの2~3時間の開催です。
モゴック東部地区のYoke Shin Yoneは、通称“Cinema”と呼ばれる午前中のみ開催のマーケットです。その名の通り古い映画館前の通りに活気にあふれた露店が並んでいます。手作りの背の低い机や木箱、あるいは直接地面に白い布を敷いてその上に真鍮製の皿に盛られた宝石類が並べられています(Fig.19)。そのほとんどは低品質の未研磨石で、カナセたちが持ち寄ったものです。地元の通貨(kyat)で取引されていますが、交渉次第では米ドルの使用も可能です。
同じく東部地区のPan Shanの宝石マーケットは、午後1時~3時に開催されています。モゴック最大規模で、強い日差しを遮るため広げられた300近いパラソルが圧巻です。その様子から通称“umbrella”マーケットと呼ばれています(Fig.20)。
ここではカナセたちが持ち寄った低品質の未研磨石や原石もありますが、カット・研磨された質の良いルビー、サファイア、スピネル、ペリドット・・・など多くの種類の宝石が見られ、トーチとヘッドルーペを用いて慎重に検品する様子も伺えます(Fig.21)。
このようなジェムマーケットにはミャンマー族の人々に加え多くのネパール人の姿が見られます。彼らは英国統治時代にモゴック鉱山の警備に送られてきたグルカ族の子孫ということです。彼らはヒンディー語を話すため、我々のツアーに参加していたインド人達とは会話が弾み交渉もスムーズに行われているようでした(Fig.22)。
モゴック北部Bamard-myoのマーケットは5日に一度の周期で開催されています。ここは宝石類というより野菜、干物、衣類、花など日用雑貨が豊富に取り揃えられており、モゴックの人々の生活に密着したマーケットです。
メインの通り沿いでは店舗を構えていますが(Fig.23)、脇に入ると多くは路上にシートを敷き品物を並べています。売り手の多くは女性で小さな子供たちを連れている光景もあちこちに見られます(Fig.24)◆
【参考文献】
文献1.Huges R W. (2014) Ruby & Sapphire a collector’s guide. Gem and Jewelry Institute of Thailand,383pp
文献2.外務省ホームページ ミャンマー基礎データhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/
文献3.Shor R., Weldon R. (2009) Ruby and sapphire production: A quarter century of change. Gems & Gemology, Vol.45, No.4, pp.236-259
文献4.Keller P.C. (1983) The rubies of Burma: A review of the Mogok Stone Tract. Gems & Gemology, Vol.19,
No.4, pp.209-219
文献5.Lucas A., Pardieu V. (2014) Mogok expedition series, part1~part3
http://www.gia.edu/gia-news-research-expedition-to-the-valley-of-rubies-part-1-3
文献6.Kane R E., Kammerling R C. (1992) Status of ruby and sapphire mining in the Mogok Stone Tract.
Gems & Gemology, Vol.28, No.3, pp.152-174
文献7.Smith C P., Beesley C R., Darenius E Q., Mayerson W M. (2008) Inside Rubies. RAPAPORT magazine, Vol.31, No.47, pp.140-149
文献8.Kan-Nyunt H P., Karampelas Stefanos., Link K., Thu K., Kiefert L., Hardy P. (2013) Blue sapphires from the Baw Mar mine in Mogok. Gems & Gemology, Vol.49, No.4, pp.223-232