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『高圧合成ダイヤモンド-私が出会った様々な結晶-』第1回

公益財団法人 つくば科学万博記念財団 参事/理学博士 神田 久生

昨年末、砂川一郎先生がご逝去された。先生には多くの方がお世話になったと思うが、私もたいへんお世話になった。先生からはさまざまなことを教えてもらったが、そのなかで、私の頭から離れないのが「小さな石にも、歴史と個性がある」という言葉である。この言葉は、先生が東北大学を退官されるときまとめられた冊子のタイトルであるが、私のダイヤモンドに対する関心をまさに的確に表現していたので、この言葉を見たとき大きなよりどころを得たと感じ、とても嬉しかった。私は約30年、ダイヤモンドの研究を行ってきたが、それはダイヤモンドを合成し、その特徴を調べることであった。条件をいろいろ変えてダイヤモンドを合成すると、そのダイヤモンドは一つ一つ形や色などが異なっている。同じ条件で作ったつもりでもダイヤモンドは必ずしも同じではない。本当に個々の結晶が個性をもっていた。まさに「小さな石にも、歴史と個性がある」わけである。私は、研究のなかで、その個性を観察し、個性が現れる仕組みを理解しようとしてきた。個性はさまざまであり、その仕組みは理解できたと思えるものもあれば、不思議で仕方がないものもある。本稿では、私の研究の中で出会ったダイヤモンドの面白い個性を紹介しようと思う。

ダイヤモンド研究を始めた経緯

私は1 9 7 0 年に科学技術庁無機材質研究所という設立されて間もない研究所に就職し、炭素を研究するグループに配属された。そのグループは1974年にダイヤモンドを研究するグループに改組され、私もダイヤモンドを研究することになった。そのとき高圧法でダイヤモンドを合成するチームと気相合成を試みるチームに別れたが、私は前者を選んだ。当時、高圧合成ダイヤモンドは既にゼネラルエレクトリック(GE)社の研究グループにより合成技術は確立されており、一方、気相合成法はまだ海のものとも山のものとも思えない状況であった。高圧合成法のほうが現実的で取っつきやすかったのでそちらを選んだわけである。とはいえ、すぐにダイヤモンドができるわけではなかった。合成のための高圧発生装置が必要であった。さいわい、研究所には高圧研究に軸足をおいたスタッフがいて、ダイヤモンドなどが合成できる新しい高圧装置を開発するチームを立ち上げ、私はその一員となった。 高圧装置は何百トンから何万トンという大きな力を加えるプレスと呼ぶ部分と、その力を集中して何万気圧という圧力を発生する高圧容器からなる。ダイヤモンドを合成するためには約5万気圧に耐えられる容器が必要であるが、それは、購入できるものではなく、設計図もないなかで自作しなければないものであった。その装置の開発は試行錯誤の連続であったが、さいわい、このチームのリーダーの強烈な馬力に引っ張られ、独自の高圧発生装置が開発された。私はあまり苦労をせずにダイヤモンドを合成する機会を得ることができたわけである。本当に運がよかったと思っている。

高圧発生法

もっとも身近な高圧装置は、自転車の空気入れとタイヤかもしれない。空気入れのレバーを押して空気を加圧するとタイヤの圧力が上がる。しかし、発生する圧力は数気圧程度である。人の手では加える力はしれているし、ゴムでできた自転車のタイヤの耐圧強度もわずかである。自動車修理工場で自動車を持ち上げたりするのに油を使ったジャッキを電動ポンプで動かすが、その場合にはもっと高い圧力発生も可能である。しかしながら、このような気体や液体を加圧して高圧発生する方法では1000気圧のオーダーが上限である。それで、ダイヤモンド合成に必要な5万気圧の圧力発生は図1のような原理で行われる。硬い材料を使って、力を小さい面積に集中させる方法である。図1の台形の材料の広い面積にP0の力を加えると、狭い面積のところには面積に反比例したP1という大きい力が発生する。こうしてダイヤモンド合成に必要な数万気圧の圧力に上げることができる。このとき圧力発生の限界は、圧力を集中させるところ(図1では台形のところ)の強度できまる。それは硬いものでないと壊れてしまう。それで、その台形のところの材料の選択が重要であるし、また、その形状も重要である。実際の高圧容器はこのような原理で作られており、その原理をもとにいろいろなデザインの装置が考えられている。私の参加した高圧チームではベルト型と呼ばれるタイプを選択した。これは、GEが作ったタイプであり、その断面模式図は図2のようなものである。

図1高圧発生の原理
図1:高圧発生の原理
台形の底面にPOという圧力をかけると台形の上面にはP1の圧力がかかる。上面の面積が小さいと力が集中し、P1の圧力は大きくなる。
図2ベルト型高圧装置断面の模式図
図2:ベルト型高圧装置断面の模式図
ピストンは台形をしており、ダイは孔の空いた円盤である。この孔の中が高圧空間で、そこにヒーターがおかれその中に試料が詰められる。

ここには上下にペアになったピストンと呼ばれるものがある。この背面の広いところに油圧で力を加えると先端に高い圧力が発生するので、そこに試料をおく。この図にダイと書いたものがあるが、これは、発生した圧力が外に逃げないように試料を横から押さえるためのリング形状をもったものである。このようにピストンとダイで囲まれた空間が高圧になる。ダイヤモンドを作るためには高い温度も必要なので、高圧空間の中にヒーターもセットされる。そのため、そのヒーターの内部が試料空間となって、実際にダイヤモンドが生成する空間は高圧空間の中でも一部になってしまう。我々が使ったベルト型高圧容器は、概略このような形状になるが、現実には多くのパーツから構成され、そのパーツの形状、材質が重要である(図3)。

図3 ベルト型高圧装置に使われる部品
図3:ベルト型高圧装置に使われる部品

ピストンとダイは、力が集中するところなので、力がかかっても変形しにくい硬いものでなければならない。それで、タングステンカーバイド( WC)という物質が使われている。これは、旋盤など切削機械の刃先に使われているとても硬いものである。このピストンとダイは高強度をもつとはいえ繰り返し使うと壊れるので、その寿命が装置のランニングコストの大きなファクターになる。その寿命を延ばすために、ピストンやダイの形状も最適なものにしなければならなかった。 高圧空間の中に入るものには上述のヒーターがあるが、このヒーターは黒鉛でできている。黒鉛は、そこに電気を流せば3000℃以上の温度発生が可能であるし、やわらかいので形状加工が容易であるというメリットがある便利な素材である。ヒーターの中が、ダイヤモンドができる空間であるが、そのほか、ヒーター周辺の高圧空間には使い捨てのさまざまなパーツが詰められる。黒鉛ヒーターに電気を伝える導電材、ヒーターの熱を外に逃がさない断熱材、高圧空間の圧力が外に漏れないようなシール材など。これら消耗品のパーツを準備し、組み立てるのも結構時間がかかる作業である。

図4:700トンプレス
図4:700トンプレス
中央部がベルト型高圧装置。

ピストンやダイのサイズ、ヒーターのサイズで試料のサイズが決まるわけであるが、私が参加したチームではいくつかのサイズの装置を開発した。初めはダイの孔の直径は1センチにも満たない小さなものであった。そのあと、ダイの孔が25ミリ径のものが作られ、私のダイヤモンド合成実験の大半はこの装置を使って行った。それを図4に示す。この装置では黒鉛ヒーターの内径は10ミリで、2~3ミリのダイヤモンド結晶を定常的に作ることができた。80年代になって、さらに大型の装置も開発された。ダイの内径が75ミリのもの、そして100ミリを越えるものも作られた。しかし、後者ではダイヤモンド合成に必要な圧力発生には至らなかった。高圧装置の大型化には、大きな力を加えることができる油圧プレスが必要である。上記、25ミリ径のダイを使った高圧実験用には700トンの力をかけることができる油圧プレスが使われている。75ミリ径の高圧装置用には14000トンの油圧装置が使われた。この装置は1970年に無機材質研究所がつくばに移転したときに設置されたものである。また、80年代には3万トンの油圧プレスも設置された(図5)。これは現在も使われているが、8 0 年代後半からは、1500トンの油圧プレスが数台導入されて、ダイ径30ミリの高圧装置が主力装置として稼動している。実験室スケールではこの程度のサイズが適当と思われる。

図5:3万トンプレス
図5:3万トンプレス

国内外の他の機関で使用しているダイヤモンド合成用の高圧装置について詳細はあまり公表されていないが、上記のようなベルト型もののほかに、バール型と呼ばれるものも使われている。これはロシアを中心に使われており、中国では、キュービック型と呼ばれるものが主流のようである。15~20万気圧というような超高圧の発生には、より複雑な高圧装置が使われている。このような超高圧で、最近注目されている、透明な多結晶ダイヤモンドが作られている。

ダイヤモンド合成法

上記のように、無機材質研究所でダイヤモンドを合成する環境ができ、私はダイヤモンド単結晶合成を担当することになった。研究するからには何か新しいことをせねばならなかったが、すでにGEのグループにより合成技術は確立されていたので、とりあえずGEの成果をお手本にダイヤモンドを実際に作ってみることから始めた。 GEグループは、1955年にダイヤモンド合成成功の論文を発表し、1970年には1カラットの宝石級のダイヤモンドの写真を論文に掲載するなど、50年代から70年代にかけていくつもの論文を発表している。それらの論文から次のような知見が拾い出される。

  • 必要な圧力・温度は、それぞれ約5万気圧、1400℃以上。
  • ダイヤモンドは金属溶媒というものから析出する。
  • その金属溶媒は、鉄、コバルト、ニッケルなど限られた金属である。
  • ダイヤモンドの生成は、金属溶媒に対する炭素の溶解度曲線をもとに考えることができる。
  • 生成するダイヤモンドは1ミリ以下であるが、種結晶から育成するとカラットサイズの大型結晶をつくることができる。
  • 単結晶では天然結晶と違って{100}面が発達する。
  • 通常、窒素を含む黄色のIb型の結晶が得られるが、高温高圧で熱処理するとIa型に変わる。
  • 無色透明なIIa型結晶を作るには窒素ゲッターと呼ばれるチタン( Ti), ジルコニウム(Zr)などを金属溶媒に加える必要がある。
  • ホウ素を加えるとブルーのIIb型が得られる。

ダイヤモンドを合成するにあたって、上記のGEのお手本となる情報のなかで、高圧高温発生の次に重要なのは金属溶媒を用いるという点である。ダイヤモンドの原料となる黒鉛を単独で高温高圧にしても簡単にはダイヤモンドに変換しないが、ある種の金属を黒鉛のそばに入れておけば黒鉛は容易にダイヤモンドに変わる。その金属は鉄やニッケルなどの遷移金属に限るとされている。これらの金属は「金属触媒」と呼ばれたが、炭素の溶媒としてはたらくものと考えられる。G Eの論文でもダイヤモンド結晶が成長する仕組みは、金属への炭素の溶解度という見方で解釈されている。それを図示すると図6のようになる。ダイヤモンドができる高温高圧条件では、金属は融点以上になっており液体である。その液体金属は炭素の溶媒となり、炭素を溶解するが、黒鉛はダイヤモンドよりも溶解度が高い。また、ダイヤモンドの溶解度は温度上昇とともに高くなる。

図6:金属溶媒に対する炭素の溶解度を示す図
図6:金属溶媒に対する炭素の溶解度を示す図
実線はダイヤモンドの溶解度、点線は黒鉛の溶解度を示す。
δC1は温度がT1とT2の間での溶解度差を表し、δC2は黒鉛とダイヤモンドとの間の溶解度差。

この溶解度の図からみて、ダイヤモンド単結晶を作るには大別して二つの方法がある。一つは、黒鉛と金属溶媒を一緒にして高圧高温にすると、黒鉛と金属溶媒が接したところでダイヤモンドの核が自発的にできてそれが成長するというもの。この方法では小さな結晶がたくさんできる。もう一つは、種結晶を入れておき、そこからのみ結晶を成長させるという方法で、大粒結晶をつくることができる。

図7:小粒ダイヤモンド合成のための試料構成
図7:小粒ダイヤモンド合成のための試料構成
1:黒鉛ヒーター、2:原料黒鉛、3:金属触媒、4:圧力媒体、5:生成したダイヤモンド

図7に、小さなダイヤモンド粒を作るための試料構成の例を示す。原料の黒鉛板と金属溶媒が重ねて入れてある。これを高温高圧(1500℃、5万気圧)の条件に置くと数分でダイヤモンドが生成する。図7の模式図のように黒鉛と金属溶媒の境界に生成する。未反応の黒鉛を除去したところの写真を図8に示すが、ぽつぽつと半球状の突起がみられ、ダイヤモンドはこの突起の中に生成しており、金属膜に覆われた形で ある。この金属を塩酸などで溶解除去すれば、図9のようなダイヤモンド粒が回収される。このダイヤモンドは多角形のそろった形をしているが、このような形状の粒を作るには、圧力の精密な制御が必要である。圧力が高すぎるとダイヤモンドはできすぎて、隣の粒とぶつかってしまい、形状は不規則になる。

図8:金属膜に覆われたダイヤモンド粒
図8:金属膜に覆われたダイヤモンド粒
図9:自発核発生で生成したダイヤモンド粒
図9:自発核発生で生成したダイヤモンド粒

大粒の単結晶ダイヤモンドを合成するには図10のような試料構成で行う。金属溶媒の上側に原料の黒鉛を置き、下側に種結晶としてダイヤモンド粒を置く。このような配置においては金属溶媒の上側が下側より温度が高くなるようにすることが必須である。この構成物を高温高圧条件に置くと、金属溶媒が溶けてダイヤモンドの成長が始まる。

図10:大粒ダイヤモンドの合成用試料構成模式図
図10:大粒ダイヤモンドの合成用試料構成模式図
1:黒鉛ヒーター、2:圧力媒体、3:原料黒鉛、4:金属触媒、5:成長したダイヤモンド、6:種結晶

まず、上側の黒鉛がダイヤモンドに変換する。そのダイヤモンドは金属溶媒に溶解し、金属溶媒は炭素で飽和される。ここで飽和した金属溶媒は種結晶のところでは過飽和になる。金属溶媒の下側は温度が低いためである。その過飽和の金属溶媒から種結晶の上にダイヤモンドの成長が始まる。このように金属溶媒の上部と下部で温度差がある限り、上側のダイヤモンドは溶け続け、下側の種結晶は成長を続ける。このようにして成長した試料の写真を図11に示す。これは金属溶媒の底面を見たものである。球状になった金属溶媒の中央に見える小さな結晶は種結晶で、成長したダイヤモンドは金属溶媒の中に埋まっていてここでは見えない。金属溶媒を酸で溶解除去すると図12のような成長したダイヤモンドが得られる。

図11:ダイヤの成長した様子
図11:ダイヤの成長した様子
1:黒鉛ヒーター、2:金属触媒、3:生成したダイヤモンド、4:圧力媒体
図12:種結晶の上に成長したダイヤモンド結晶
図12:種結晶の上に成長したダイヤモンド結晶
矢印が種結晶。

この方法では、時間をかければ結晶はいくらでも大きくできるはずであるが、金属溶媒のサイズが上限となる。つまり、大きな結晶を作るには大きな容器が必要ということになる。図13の2~3ミリの結晶は半日から1日で成長した。私のいた研究室では8 0年代前半にヒーター径が30ミリの大型装置が開発され、その装置を用いて大型結晶の育成を試みたことがある。その結晶の例を図1 4に示す。1センチ近い結晶が得られたが、質はよくない。多結晶状になっていたり、インクルージョンを多量に含み真っ黒に見えるものもある。成長速度の制御が不良だったためだと思われる。そのころ、大型で高品質のダイヤモンドは住友電工やデビアスで作られており、大きいものでは34カラットの結晶も合成されている。また、今では、1 0カラットの結晶は定常的に生産できるようである。

図13:成長したダイヤモンドの結晶の例
図13:成長したダイヤモンドの結晶の例
矢印は種結晶が付着していた跡。
図14:大粒のダイヤモンド結晶
図14:大粒のダイヤモンド結晶

以上、今回は、ダイヤモンドの合成法を中心に述べたが、次回以降、この方法で作られたダイヤモンドの形状や色などの特徴を紹介する。(つづく)

第33回国際宝石学会(IGC)報告

去る2013 年10 月12 日~ 19 日、ベトナムのハノイにおいて第33 回国際宝石学会(IGC) が開催されました。弊社研究室の技術者が出席し、本会議における口頭発表を行いましたので、以下にご報告致します。

◆国際宝石学会(IGC) とは

国際宝石学会(International Gemmolog ical Conference)は、多くの国際的に著名な地質学者、鉱物学者、先端的なジェモロジストなどで構成されており、宝石学の発展と研究者の交流を目的に原則2 年に1 度本会議が開催されています。
この会議の発祥は1952 年、ドイツでの第1 回会議まで遡ります。それ以降はオランダ(1953)、デンマーク(1954)、イギリス(1955)、ドイツ(1956)、ノルウェー(1957)、フランス(1958)、イタリア(1960)、フィンランド (1962)、オーストリア(1964)、スペイン(1966)、スウェーデン(1968)、ベルギー(1970)、スイス(1972)、アメリカ(1975)、オランダ(1977)、ドイツ(1979)、日本(1981)、スリランカ(1983)、オーストラリア(1985)、ブラジル(1987)、イタリア(1989)、南アフリカ(1991)、フランス(1993)、バンコク(1995)、ドイツ(1997)、インド(1999)、スペイン(2001)、中国(2004)、ロシア(2007)、タンザニア(2009)、スイス(2011)と引き継がれ、今回のベトナム、ハノイで33 回目を迎えました。発足当初はヨーロッパの各国で毎年開催されていましたが、近年では2 ~ 3 年に1回、ヨーロッパとそれ以外の地域の各国で交互に開催されています。筆者の一人、北脇は1999 年のインド以降、続けて参加しており、江森は2007 年のロシアに続き2 回目の参加となります。また、弊社研究室技術顧問の赤松氏は今回が初めての参加となります。
時の流れとともにその顔ぶれには多少なり変化が見られるようですが、他の一般的な国際会議とは異なり、IGC では今日もなお、クローズド・メンバー制が守られています。 メンバー(Delegate)は原則的に各国1~ 2 名で、現在33 カ国からの参加者で構成されています。メンバー制は排他的な一面がある反面、メンバーたちのアットホームで親密な交流が保たれています。ジェモロジストの国境を超えたファミリーという認識です。今回はメンバーとオブザーバーを合わせておよそ100 名が会議に出席しました。
日本からは弊社研究室技術者以外に古屋正貴氏、大久保洋子氏がオブザーバーとして会議に出席されました。

◆開催地

今回、開催の地となったハノイは、ベトナム社会主義共和国北部に位置する同国の首都です。人口およそ700 万人弱で、南部のホーチミンに次ぐ第二の都市です。商業都市であるホーチミンに比べて、政治・文化の中心都市として喩えられます。ホーチミンが活気に溢れ、日々目まぐるしくその姿を変えているのに比べ、街中を、ノンラー(藁でできた笠帽子)をかぶって天秤を担いだ行商達が闊歩している光景に代表されるように、ハノイはまだ至るところに昔ながらの風情を漂わせています。しかし、この10 年ほどで都市部には飛躍的にオートバイの数が増え、ほとんど信号機のないハノイ市内の道路では歩行者が横断するのもままならないほどです。
会場となったLAKE SIDE HOTEL はハノイ市の西部にある客室78 の中規模のホテルです。ノイバイ国際空港から20km 強の距離ですが、ハノイ市内の繁華街からは5 ~ 6km と立地条件もよく、ホテル名のとおり、小さな湖に面した静かな環境で学会の会場として申し分ありません。また、ホテルの館内および室内には無料のWi-Fi 環境も整っており、特に外国人旅行者の滞在を快適にしています。

◆第33 回国際宝石学会議

今回の第33 回国際宝石学会は、
◇ Pre Conference Tour ; 10 月10 日(木)~ 12 日(土)
◇ 本会議 ; 10 月12 日(土)~ 16 日(水)
◇ Post Conference Tour ; 10 月17 日(木)~ 19 日(土)
この3 本立てで行われました。本会議前後のConference Tour は、開催地周辺のジェモロジーや地質・鉱物に因んだ土地や博物館などを訪ねます。今回はPre Conference Tour でハロン湾の真珠養殖が視察できるとあって赤松氏が参加し、Post Conference Tour ではLuc Yen のルビー鉱山が見学できるため北脇、江森が参加しました。

レイクサイドホテル内のカンファレンスホール
レイクサイドホテル内のカンファレンスホール
◆本会議

本会議に先立って12 日(土)18 時より同ホテルにてレセプション・パーティが開催されました。各々の国から馳せ参じた旧友たちが2 年ぶりに再会する瞬間です。お互いの健康や研究成果を讃えあい、旧交を温めます。これから始まる長丁場の本会議を迎える大切な儀式といえます。13 日(日)の本会議は主催者のベトナム国際大学のPhung X uan Nha 氏の挨拶に続き、本学会を支援するDOJI Gold & Gems Group のCEO Do Minh Phu 氏が祝辞を述べました。そしてIGC のExecutive Committee を代表してJayshree P anjikar 氏が開会の挨拶を行いました。引き続き、一般講演が開始されますが、第一セッションの開始前に座長のEmmanuel Fritsch 氏の音頭により、昨年永眠された砂川一郎先生とGeorge Bosshart 氏に対して哀悼の意を表し、悼んで1分間の黙祷が捧げられました。
本会議における一般講演は13 日(日)~ 16 日(水)までの4 日間、朝9 時から夕方5 時までびっしりと行われました。各講演は質疑応答を含めて持ち時間各20 分で行われ、合計41 題が発表されました。うち、ダイヤモンド関連は5 題、コランダム関連10 題、ベリル、クリソベリル、スピネル、ガーネット関連7 題、トパーズ、ゾイサイト、フェルスパー、クォーツ、ジェード、光学効果関連6 題、ガラス、歴史的ジュエリー、産地関連6 題、真珠関連7 題でした。弊社研究室からは北脇がダイヤモンドのUV ルミネッセンス像について、江森がコランダムのBe 処理の現状について、赤松氏が真珠産業の現状と未来についてそれぞれ講演を行いました。
最終日の16 日(水)の午前はショートエクスカーションとして、参加者全員でハノイ市内にある首相官邸を訪問しました。本来、プログラムにはなかったイベントですが、豪華な内装が施された官邸内への入場を許可され、副首相であるNguyen Thi Doan 氏が迎えてくれました。今回の国際宝石学会IGC をサポートしたDOGI グループの人脈に加えて、ベトナム経済の宝飾産業への期待の現れが感じ取れます。

首相官邸にてNguyen Thi Doan副首相(中央黒服の女性)とExecutive Committee
首相官邸にてNguyen Thi Doan副首相(中央黒服の女性)とExecutive Committee
◆ポスター・セッション

プログラムには17編のポスターが予定されていましたが、キャンセルも多く、実際には4 日間の本会議開催中、会場には10編ほどのポスターが張り出されました。各セッションの合間の休憩タイムには熱心にポスターに見入る参加者の姿が見られました。また、14 日と15 日の午後にはコア・タイムが設けられ、各ポスターの執筆者が自身のポスターの前に立って説明を行いました。

 

IGC33-Pre Conference Excursion 報告

赤松 蔚

去る10 月10 日~ 16 日ベトナムのハノイを中心に開催されたIGC33 に参加させていただいたので、その報告を以下に行ないます。

1.Pre-Conference Excursion 参加

10 月10 日~ 12 日ハロン湾で開催されたPre-Conference Excursion に参加させていただいた。事前の案内でこのExcursion にハロン湾の真珠養殖場見学が含まれていたので、参加をお願いした次第である。9 日夜遅くハノイのホテルに到着したが、Excursion は翌10 日朝早くハノイを出発する予定になっていたので、かなり眠かったが2 泊3 日用の荷物をリュックにつめる作業をした。10 日朝リュック以外の荷物はホテルに預け、ハノイを出発し、バスで4 時間ほどかけてハロン湾へ移動した。
Excursion の参加者は45 名で、顔見知りのメンバーも何人かいた。ハロン湾についてホテルチェックイン。2 人部屋で私は山梨の日独宝石研究所所長古屋正貴氏と同室になり、いろいろ話しをする機会に恵まれた。翌11 日33 の宿泊部屋を持つ大型遊覧船に乗りハロン湾巡りをした。途中立ち寄ったスン・ソット洞窟は、大講堂のような洞窟が3 つもあり、そのスケールに圧倒された。その後ハロンパール養殖場を見学したが、やらせ半分、実作業半分の印象を受けた。核入れデモンストレーションでは、実作業ではあり得ないような1 年8 ヶ月の小さなアコヤガイに6 ~ 6.5 ミリの核を挿入し、養殖期間は3 年と説明していた。
一方養殖場の片隅では死んだ貝から核を回収していたが、そこでの核サイズは5 ミリのようだったので、実際は2 年弱の母貝に5 ミリの核を入れ、1 年養殖して6 ミリ珠を作っているように思われた。作業場の反対側の海にはかなり多くの抑制籠が吊るされており、これから判断すると20 ~ 40 万貝位実際に養殖しているように思われた。養殖場内で販売されている真珠はかなり低品質のもので、半分以上は中国産淡水真珠のように思われた。
12 日は9 時にホテルを出発。ハイキング組とカヤック組に分かれての行動だった。私は水着を持っていなかったので、ハイキング組に入り、それほど高くはないがかなり急階段の続く山に登った。10 時半船に戻り、信じられないような時間に昼食を食べた。午後1 時下船してバスでハロン湾を発ってハノイ戻り。昨日ベトナムの英雄ボ・ヌエン・ザップ将軍が亡くなられたということで、沿道には黒いリボンのついたベトナム国旗が多く掲げられていた。6 時ホテルに着いてこれでExcursion が終了した。7 時ホテル内でレセプションパーティーが始まり、本会議が始まった。

ハロン湾遠景
ハロン湾遠景
2.本会議出席

12 日~ 16 日ハノイ、レークサイドホテル6階で開催されたIGC33 本会議に出席した。真珠関係の発表は14 日で、私の発表を含め8 つあり、私は「養殖真珠の現状と今後の展望」というテーマで、これからの真珠養殖は「労働集約型」から「技術集約型」へ転換し、母貝資源、漁場環境に配慮し慮視、少量高品質の真珠を作るべきであると発表した。

ハロン湾の真珠養殖場
ハロン湾の真珠養殖場
真珠の核入れ作業のデモンストレーション
真珠の核入れ作業のデモンストレーション

 

IGC33-Post Excursion 報告

江森健太郎

本会議の翌日より三日間(10 月18 日~ 10 月20 日) の日程でベトナムのLuc Yen 鉱山( 右写真) とLuc Yen Gem Market を訪問しました。

1. ベトナムのルビー

ベトナムは非常に宝石が豊な国々に囲まれているにもかかわらず、宝石産出の可能性については1980 年代まで知られていませんでした。1983 年、ハノイの北にあるHam Yen( ハム イェン) とAn Phu( アン フー) でコランダムの産出が報告され、1987 年に試掘が開始されました。また、同じ年にある地質学者がYen Bai( イェン バイ) 省のLuc Yen( ルク イェン) 地区の近郊でルビーを発見し、地元政府の関心を引きました。 1989 年11 月から1990 年3 月までの5 か月間にLuc Yen 地区の鉱床1 ヶ所から原石ピンクサファイアやルビーが300 万ct 以上産出しています。このLuc Yen 地区の鉱床からピンクサファイア、ルビーの他にバイオレットカラーのスピネル、ブルーサファイア、トルマリン、クリソベリルが宝石市場に出ています。
ベトナムからルビーが産出された当時、日本では「ベトナム・ルビー鉱区は実在するのか?」「ベトナムのルビーはほとんどが合成石」という噂が流れましたが、TV等メディアで鉱山が紹介されたこともあり、このような噂は払拭され、ベトナム産ルビーは広く認知されています。なお、現在ではベトナム産のルビーでは、スタールビーが有名になっています。
今回のPost Excursion で、このLuc Yen 鉱山の採掘現場を見学してきたので報告を行います。

Luc Yen 鉱山

2.Luc Yen 鉱山

Post Excursion は約60 名( 中央宝石研究所からは北脇、江森) が参加しました。10 月18 日、我々はハノイを出発し約10 時間、2 台のバスに揺られLuc Yen の町に到着しました。Luc Yen はTay( タイ) 族、Dao( ザオ) 族、Nung( ヌン) 族等少数民族が農作を主に生活をしていた地域でしたが、良質のルビー鉱床が発見され急速に様変わりしたという話です。10 月19 日バスに乗り、Luc Yen 鉱山を目指しました。天候は残念ながら雨でした。バスで1 時間ほど移動し、我々は鉱夫達が住む村へと到着しました。
村からLuc Yen 鉱山までは悪路のため、徒歩で鉱山に向けて進みます。途中、40 分程度進んだところに二次鉱床があり、鉱床の傍にあるテントで採掘されたサンプルを見学してきました( 写真)。

二次鉱床。雨のため、作業は行われていませんでした。
二次鉱床。雨のため、作業は行われていませんでした。

この二次鉱床より1時間半近く、細い山道を登ることになります。雨のため、地面はぬかるんでおり、急な斜面では滑ってしまう見学者も多く、道中は様々な困難に出くわすことになり、見学者の中には途中で引き返すことになった人たちも多くいました。到着したLuc Yen 鉱山は、天候のため作業している鉱夫はいませんでしたが、大理石の中に埋まった沢山の宝石原石を見出だすことができました。
Luc Yen 鉱山でルビーを見つけることはできませんでしたが、大理石の中に埋まったスピネル( 写真) とパーガサイトを採取しました。

二次鉱床の傍のテント内の様子
二次鉱床の傍のテント内の様子
Luc Yen鉱山で見つけたスピネル
Luc Yen鉱山で見つけたスピネル

Luc Yen 鉱山の見学、サンプル採取を終えた我々は村まで歩き、バスでLuc Yen まで戻ります。夕食を済ませた後、学校の講堂で地元の方々より、伝統音楽、ダンス等を披露していただき、歓迎していただきました。

4.Luc Yen Gem Market

10 月20 日朝7 時に朝食を済ませた我々はLuc Yen Gem Market へと向かいました。Luc Yen Gem Marketは一見するとただの公園のようにも見えますが、時間になると小さな木製の机を持ってきた売り子が次々と腰を下ろし、机の上にスピネル、ルビー、サファイア等様々なルースやカット石を並べ商売をはじめます。商品の値段は書かれておらず、売り子と交渉して値段を決めなければなりませんでした。値段交渉の際、売り子は現地の通貨単位であるベトナムドン( VND) での値段を提示きましたが、US ドル(US$) での交渉も可能でした。しかし、VND とUS$ の変換レートがいい加減で、どちらで購入したほうが得であるのかは値段を聞くまでわかりません。また、現金を沢山持っているのを見られてしまうと、スリが近寄ってくるので注意が必要です。このGem Market の売り子は他に職業を持っている方が大勢で本業の前にこの市場に石を販売に来ていますので、1時間程度で市は閉まるそうです。我々は朝9 時に市を去り、また10 時間程度バスに乗りハノイへと戻り、三日間のPost Excursion は終了ました。

Luc Yen Gem Market の様子。軒下に木の台を並べて宝石を販売しています。
Luc Yen Gem Market の様子。軒下に木の台を並べて宝石を販売しています。
購入するサンプルを品定めする様子
購入するサンプルを品定めする様子

宝石学を研究する上で、今回のPost Excursion のように鉱山まで赴き、母岩付きの原石を自らの手で入手することは意義のあることです。宝石の特徴はその母岩の構成、組成と深く関係があります。母岩に含まれる微量元素は宝石結晶に含まれる微量元素と深く関係があるため、微量元素の分析を用いた産地鑑別法を行う上で大きな情報源となります。中央宝石研究所研究室ではこれからも産地鑑別の精度向上のため、確かな原産地情報を集めていく予定です。