1 『ひすいのエクボ』について
○ひすいとは
一般的に言われる「ひすい」は鉱物学でいうところの「ひすい(Jadeite)」の単結晶ではなく、輝石や角閃石を主体とする多種鉱物の集合体です。写真1に、今回実験で用いたミャンマー産のひすいの薄片写真を紹介します。この写真を見ていただいても、ひすいは単結晶ではなく、多結晶体であることが分かります。
写真1 ひすいの偏光顕微鏡写真 (左:オープンニコル、右:クロスニコル。40倍)
※注意:通常の薄片より少々厚めなので干渉色が強めに出ています
○ひすいのエクボとは
宝飾品としてよく用いられる「ひすい」の表面には、少し凹んだ部分が点在します。この凹んだ部分は通称「エクボ」と呼ばれます(写真2)。
写真2 ひすいのエクボ(45倍)
研磨の際、完全にフラットな面ができない理由には、周囲に比べて相対的に軟らかい部分が存在する(図1)か多結晶の一部の粒子が削げ落ちる(図2)かの2種類が考えられます。
図1 表層部の軟らかい部分が研磨することによって、「凹む」場合
図2 表層部に出ている小さい粒子が、研磨する事で削られてなくなった場合
多結晶体であるひすいは、図1のように相対的に軟らかい部分が凹んでしまう場合や、図2のように小さい粒子が削れてしまう場合、どちらも考えられます。現在、ひすいの「エクボ」の成因は、繊維状になったひすいの結晶の向きが原因であるという説もありますが、広い範囲で繊維の結晶の向きがそろっているということは考えにくい等、疑問点があります。そこで今回は、ひすいの「エクボ」の発生原因について検証しました。
○ひすいのエクボの発生工程
今回の実験では、ミャンマー産のひすいを切断してその断面を研磨し、研磨の前後を比較しました。ひすいの断面を丁寧に且つゆっくりと研磨を行っても(最終研磨はダイヤモンドペースト1μmを用いて行いました)、エクボは観察されませんでしたが、少々荒っぽく研磨すると、エクボが少量発生しました。
ここでいう「荒っぽい研磨」とは、強い力でスピードを速くして研磨した場合のことです。「丁寧な研磨」、「荒っぽい研磨」というのは、研磨盤の回転スピード、研磨盤に試料を押さえつける強さのことを指します。
研磨面を、京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻地質学鉱物学教室鉱物学講座の走査型電子顕微鏡「S–3000H(HITACHI)」とエネルギー分散型X線検出装置「EMAX–7000(HORIBA)」をお借りして、観察、そして分析を行いました。
写真3にエクボ発生前後の走査型電子顕微鏡を用いて観察した後方散乱電子像(後方散乱電子像では平均原子番号が重いものほど白っぽく見えます)と写真4にエクボが発生した周囲の組成マッピング(色が濃いところほどその元素の濃度が高いことを示します)を紹介します。
写真3 エクボ発生前と発生後の後方散乱電子像(250倍)
(左、発生前、右発生後、AMP:マグネシオアルベゾン閃石、OMP:オンファス輝石、Jd:ひすい輝石)
写真4 エクボ発生現場付近の組成マッピング結果(左から、Na、Mg、Al、Ca)
今回、観察したひすいは、主としてひすい輝石、オンファス輝石、マグネシオアルベゾン閃石(角閃石の一種)からなる多結晶体でした(分析結果については表1参照)。また、今回エクボが発生した部分はマグネシオアルベゾン閃石の部分でした。今回は紙面の都合上1箇所(の写真)しか紹介できませんでしたが、他の箇所でも角閃石部分がエクボになっていました。角閃石族は、輝石にくらべ硬度が低いため、研磨工程で、その部分が剥がれたり、凹んでしまう可能性は十分にあり得ます。また、研磨盤をゆっくりまわした研磨ではエクボは発生せず、高速にまわした研磨ではエクボが発生したことから、エクボ部分というのは、角閃石部分が凹むというよりも剥がれてしまったものであろうと推測されます。
結論として、今回の観察結果から、ひすいのエクボは、ひすい中の輝石よりも硬度が低い角閃石部分が剥がれることにより発生したと考えられます。
表1
(1) | (2) | (3) | (4) | |
Na2O | 13.64 | 9.49 | 6.17 | 8.76 |
MgO | 2.28 | 19.05 | 10.9 | 8.05 |
Al2O3 | 20.8 | 6.42 | 8.51 | 13.25 |
SiO2 | 59.1 | 57.48 | 56.56 | 57.98 |
CaO | 2.99 | 2.53 | 15.46 | 11.39 |
Cr2O3 | 0.44 | 0.26 | 0.96 | 0.57 |
Fe2O3 | 2.01 | 1.83 | 1.61 | 1.52 |
Total | 101.26 | 97.06 | 100.17 | 101.52 |
11Na | 0.89 | 2.5 | 0.42 | 0.58 |
12Mg | 0.11 | 3.86 | 0.57 | 0.41 |
13Al | 0.83 | 1.03 | 0.35 | 0.54 |
14Si | 2 | 7.82 | 2 | 199 |
20Ca | 0.11 | 0.37 | 0.59 | 0.42 |
24Cr | 0.01 | 0.03 | 0.03 | 0.02 |
26Fe | 0.05 | 0.19 | 0.04 | 0.04 |
😯 | 6 | 23 | 6 | 6 |
※ひすい中の鉱物の分析結果。番号は写真3右に対応。
○謝辞
今回の実験には、京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻地質学鉱物学教室鉱物学研究室の北村雅夫教授、下林典正助教授、三宅亮助教授の協力で、走査型電子顕微鏡「S–3000H(HITACHI)」とエネルギー分散型X線検出装置「EMAX–7000(HORIBA)」を使用させていただき、研究上重要な助言をいただきました。また、実験装置使用に関しては同研究室の大井修吾君、高谷真樹君に手伝っていただき、サンプル石の研磨には同技術職員の堤久雄氏に協力していただきました。ご助力下さいました皆様に対し感謝を申し上げます。
2 『染色樹脂含浸ひすい』について
最近、大きめの処理ひすいを検査する機会を得ました。それらはCジェード(染色ひすいを示す)と称して中国・広州で安く売られているようですが、当方で検査したところ色を付けたエポキシ樹脂の含浸が行われている処理ひすいであることが判明しました。
樹脂含浸ひすいは約15年位前に香港から国内に大量に持ち込まれ、大問題へと発展したため多くの方々にはまだ記憶に鮮明であると思われます。当時、弊社では処理の情報をいち早くつかみ、看破を可能にする手段として赤外分光光度計(FT–IR)を鑑別機関では世界で最初に導入し、樹脂含浸ひすいの鑑別に努力して参りました。噂によると、今回検査したものと同じような有色樹脂含浸が行われたひすいがどれ程の量かは分りませんが国内で流通しているという情報もあるため、改めて業界に注意を促す意味でこの処理ひすいの特徴を紹介させていただきます。
図3 600~700nm間に幅広い吸収は見られますが、690・655・630nmに3本存在する
クロムによる吸収バンドは見られません
今回の石は36.50キャラットでサイズは21.75×16.11×11.24mmの明るい帯黄緑色のひすいです。一般的な検査方法である屈折率や比重はひすい(ジェイダイトJadeite)のデータ範囲ですが、色が鮮やかな緑色のわりに本来ひすいの緑色の原因であるクロム元素に因る吸収は見られません(図3参照)。一般的な染色ひすいではカラーフィルターで赤味が見られるのですが、今回の石では変化が見られませんでした。
次に、反射光を用いた拡大検査では表面にガサガサ感が存在します(写真5参照)。通常この様な処理を施す前の多くのひすいにはさびのような酸化物が石の中に存在し汚染で変色しているため、粒界とひびの間に存在する褐色や黄色の不純物を取り除くために温かい酸に浸けた状態で一定時間放置されます。この処理の過程でひすいの表面に空隙が残されるので、このようなガサガサ感が生まれます。その後、この空隙から含浸された場合、表面のガサガサ感は残っていますが見た目の色と透明度に明らかな影響を与えます。このように処理が行われたために、透過光などを用いて拡大観察すると含浸された色素(染料あるいは有色樹脂)は表面の荒い組織に相関して写真6のように見られます。
写真7
紫外線による蛍光検査では全体的に樹脂による青白い蛍光を示し(写真7参照)、含浸が行われていることを暗示させますが、ワックスが含浸されたものでも似たような蛍光を発することがあります。
樹脂の存在を確実に知るための最も良い方法は、赤外分光光度計(FT–IR)で測定することです。FT–IRで測定した結果3000~3100cm−1にかけてエポキシ樹脂と思われる吸収が明らかになりました。図4の赤で描かれた分布曲線は今回のひすいのものです。比較のため未処理のひすいの分布曲線を緑色で示してあります。
図4 FT–IRの検査では図の通り未処理のひすい(緑)と明らかに異なるエポキシと思われる吸収(赤)が
3000~3100cm−1にかけて見られます。
以上のように、今回検査したひすいは紛れもなく有色樹脂を含浸したひすい(ジェイダイト)で、このような処理ひすいは一見美しさを感じさせますが、価値は非常に低いものです。緑色以外にもトルコ石色、鮮やかなピンクなどの色で出回っているようです。くれぐれもこの様なひすいにはご注意下さい。