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『高圧合成ダイヤモンド-私が出会った様々な結晶-』第3回

公益財団法人 つくば科学万博記念財団参事/理学博士
中央宝石研究所 技術顧問 神田 久生

はじめに

高圧合成ダイヤモンドについて、私の研究体験を振り返る形で3回のシリーズの記事を書いているが、初回は合成法、2回目は形、そして今回が最後となり色について述べる。
宝石ダイヤモンドを評価するさいに4C(Carat, Cut, Color, Clarity)が使われるが、Color(色)はそのひとつであり、重要な要素である。色は、工業的にも半導体として電気的性質とも密接に関係し、古くから多くの研究が行われている。
私は1970年代半ば、ダイヤモンド単結晶合成の研究を始めるにあたって、結晶成長機構の理解を深めるという視点から、色に影響を与える不純物の結晶への取り込まれ方ということにも関心をもった。ダイヤモンドの色についての論文検索で、その頃わかっていたのは次のようなことである。

  • 通常の高圧合成ダイヤモンドは、窒素原子が単原子状で混入し黄色を呈しており、Ib型に分類される。一方、天然ダイヤモンドでは窒素原子が2原子あるいは4原子になって集合した状態で含まれており無色である。これはIa型と分類される。
  • 無色透明のダイヤモンドも合成することができるが、そのためには窒素の混入を防ぐことが必要で、合成触媒の合金にチタン( Ti)など窒素ゲッターと呼ばれる元素を加える必要がある。このような窒素を含まないダイヤモンドはII型と分類される。
  • ホウ素を添加すると青色の結晶を作ることができる。これはIIb型である。
  • 黄色のIb型結晶を高温(約2000℃)に加熱すれば無色のIa型に変化する。

ざっとこのような具合で、かなり主要なところは公知であった。米国ゼネラルエレクトリック社の研究者の貢献が大である。

金属触媒依存性

既に述べたように、ダイヤモンドはニッケル(Ni)、コバルト(Co)、鉄(Fe)を主成分とした合金の中で成長し、これら合金から成長したダイヤモンドは窒素を数百ppm含むIb型で黄色を呈する。窒素を含まない無色のII型の結晶は、窒素ゲッターとよばれるチタン( Ti), ジルコニウム(Zr), アルミニウム(Al)を添加した合金を使うことで成長させることができる、ということが予備知識としてあった。
私は、窒素ゲッターという物質のはたらきをより詳しく知りたいために、各種の元素を加えた合金を使ってダイヤモンドを合成した。図1に元素の周期表を示す。ダイヤモンド合成触媒のNi, Co, Feがオレンジ色で示してある。

図1 周期表。オレンジ色で囲った元素が代表的な金属触媒。灰色で囲った元素がダイヤモンドへの不純物窒素の混入を抑制する効果をもつ。
図1 周期表。オレンジ色で囲った元素が代表的な金属触媒。灰色で囲った元素がダイヤモンドへの不純物窒素の混入を抑制する効果をもつ。

 

そして、窒素ゲッターのTi, Zr, Alが灰色で示してある。私は、周期表のFeとTiの元素の間にあるバナジウム( V )、クロム(Cr)、マンガン(Mn)を加えた合金を使ってダイヤモンドを合成してみた。その結果、次のことがわかった。

  •  V , Cr , Mnを加えることでも窒素濃度を下げることができる。
  •  濃度を下げる力はMn, Cr, V, Tiの順に強くなる。

つまり、Mnはより多量に加えないと窒素濃度は下がらず、Tiは少しの添加で窒素濃度は下がる。よって、Tiは窒素ゲッターと呼ぶことになったのだろう。このような窒素濃度と合金組成との関連は、金属触媒の窒素との親和力ということで理解できる。つまり、金属触媒が窒素と結合しやすいほど、その中で成長するダイヤモンドの窒素濃度は低くなる。窒素は金属触媒により多く分配されるわけである。

図2 各種の合成ダイヤモンド
図2 各種の合成ダイヤモンド
図3 板状に研磨した合成ダイヤモンド断面、黄色の着色が不均一。{111}成長セクターが黄色であるのに対して、{113}セクターは無色。
図3 板状に研磨した合成ダイヤモンド断面、黄色の着色が不均一。{111}成長セクターが黄色であるのに対して、{113}セクターは無色。

このようなことで、ダイヤモンドの窒素濃度は、金属触媒の元素組成を変えることで連続的に下げることができ、Ib型とII型の間は連続的につながる。
こういう理屈で、金属触媒の成分を変えるだけで合成される結晶は黄色にも無色にもなるのなら、より評価の高い無色の結晶ばかりつくればよいと思われるが、無色の結晶を作ろうとすると金属インクルージョンが入りやすく、クラリティが下がる。無色透明で、かつクラリティの高い結晶を得ようとすれば成長速度を下げなければならないので経済的な負担は大きくなる、というのが実情である。
以上、ダイヤモンドの金属触媒依存性を述べたが、このようにしてできたダイヤモンドは、図2のようなものであった。黄色や無色の多面体である。(ひとつ緑色の結晶もあるが、これについては後述する。)このような結晶の着色の濃さは詳しく観察すると均一ではない。図3に板状に研磨した結晶断面を示す。黄色の領域と無色の領域がある。これをわれわれは着色のセクター依存性と呼んでいる。この結晶の場合、{111}セクター({111}面が重なって成長した領域)が黄色で、{113}面が重なってできた{113}セクターは無色である。一般的に、{111}面が最も不純物が入りやすい。
上にも少し述べたが、いろいろな金属触媒を使ってダイヤモンドを作っていると、緑色に着色した結晶ができることがあった。これは先行の報告にもなく、けっこう美しいので興味を引かれ、詳しく調べてみた。結晶が緑色になるのはNiに2%のTiを加えた合金を触媒として使ったときであった。では、Tiの添加量をさらに増やすとどうなるかということで、3%加えた合金で結晶を合成してみると、緑ではなく茶色の結晶が成長した(図4)。つまり、NiーTi合金でTi添加量を増していくと、黄色→緑色→茶色というふうに変化していくことがわかった。なんとも不思議な現象でしばらく気になっていた。1983年、米国での国際会議で、英国のT.Evans氏に会ったとき、このような色の話をすると、A.Collins氏の論文を送ってくれた。これはNiが不純物としてダイヤモンド中に混入して、着色や発光に影響するというものであった。強固な結晶格子を持つダイヤモンドに不純物として入るのは窒素とホウ素に限られると思い込んでいたので、ニッケル原子もダイヤモンド中に入るということには驚いた。

図4 合成ダイヤモンドの着色の金属触媒依存性。(a) Ni, (b) Ni-2%Ti, (c) Ni-3%Ti 。ニッケル触媒にチタンを添加することで色が変化する。
図4 合成ダイヤモンドの着色の金属触媒依存性。(a) Ni, (b) Ni-2%Ti, (c) Ni-3%Ti 。ニッケル触媒にチタンを添加することで色が変化する。

A.Collins氏は、ダイヤモンドの光や電気的性質の専門家で、着色や発光の性質を詳細に調べていた。その一方で、測定試料の入手は限定されていたようである。それで、1988年、1ヶ月ほどロンドンのA.Collins氏の研究室に滞在する機会を得たときには、種々の合成ダイヤモンドを持って行き、吸収スペクトルなど測定した。1ヶ月の短期間であったが、効率的に成果が得られた。合成屋と測定屋とのうまいコラボレーションであったといえる。そのころ、学生時代の1年先輩であった磯谷順一氏に15年ぶりに再会し、そのことからまた新しい成果が得られた。

磯谷氏は、電子スピン共鳴(ESRあるいはEPR)の専門家である。この方法を使うと結晶中の微量の不純物の濃度や存在状態を知ることができるということで、彼は、私の合成したいくつかの合成ダイヤモンドを測定し、実際、Ni原子がダイヤモンド格子の炭素原子と置き換わって入っていることを見出した。これも合成屋と測定屋のうまくいったコラボレーションである。
ダイヤモンド中にNi原子が入るということなら、同じ合成触媒であるCoやFeの原子も不純物として入るのではないかと期待された。しかし、C o やF eの合金ではN iのときのような色の変化は認められなかった。1 9 9 1 年、S.Lawson氏がポスドク研究員として我々の研究室にやってきて、ダイヤモンドの光学的性質の研究を始めた。彼はA.Collins氏の研究室の出身で光測定の専門家である。彼は、Niに関する光測定を行っていたが、あるとき、Coから成長したダイヤモンドに、変わった発光がみられることに気がついた。紫外線を照射すると黄色に光ったのである。(後述するが、これは、Coからできた結晶を熱処理したものである。)こうして、Coも不純物としてダイヤモンド中に入ることが見出された。ただ、着色には影響を与えず、発光にのみ影響がみられることから、CoはNiほどはダイヤモンド格子中に入らないようである。Ni、Coがダイヤモンド中に入るなら、同じ触媒であるFeも入りそうであるが、これはまだ検出されていない。

ホウ素の添加

ダイヤモンドにホウ素が入ると青色に着色し、電気も流れるようになるので、ホウ素不純物は、古くから半導体工学の分野でも関心が高い。また、天然ダイヤモンドでも青色のダイヤモンドは希少価値が高く、珍重されている。スミソニアン博物館に展示してあるホープダイヤモンドはその典型であろう。
私が研究を始めたころにはすでに青色の美しい結晶は合成されていたが、後追いながらホウ素ドーピングの様子を調べてみた。結晶成長の観点から、ホウ素の混入の不均一性に注目したわけである。不均一性についても、成長セクター依存性が報告されていた。しかし、これは窒素を含まないIIb型と分類されている結晶についての報告である。では、窒素とホウ素の両方がダイヤモンドに混入すればどのようになるかという関心で実験を行った。そうすると、興味深い結果が得られた。
結晶の青色は、ホウ素の添加量が増えるにともない、濃くなって、すぐに見かけは真っ黒になり不透明になる。きれいな青色にするには添加のホウ素量は極わずかに抑える必要がある。極端なことをいえば、金属触媒や原料黒鉛にはホウ素がわずかに含まれており、ホウ素を全く含まないダイヤモンドを合成することは困難といわれている。

図5 ホウ素添加による青色着色の成長セクター依存性。ホウ素添加量の増加に伴い青色が濃くなっているが、成長セクターにより着色が異なる。
図5 ホウ素添加による青色着色の成長セクター依存性。ホウ素添加量の増加に伴い青色が濃くなっているが、成長セクターにより着色が異なる。

ホウ素の添加量を変えて合成したダイヤモンドの断面を図5に示す。添加量の増加に伴い青色は濃くなっているが、濃さは成長セクターによって異なっている。注目したいところは、添加量が少ないときには、{113}セクターが青くなっているにもかかわらず、{111}セクターは黄色のままである。そして、添加量が増えると、すべてのセクターが青くなるが、その濃さは{111}が強くなる。つまり、{111}セクターは青色に変わるのは遅いが、いったん青色になると急に濃くなる、ということである。{110}セクターも{113}セクターと同様な傾向を示す。一見、不思議なことであるが、これは、窒素不純物の入りやすさと合わせて考えれば、理解できることがわかった。それを図6で説明する。

横軸がホウ素添加量、縦軸がダイヤモンド中の窒素、ホウ素の濃度を示す模式図である。成長セクターごとに窒素濃度が異なっており、ホウ素添加量の増加とともにホウ素濃度が増している。そして、ホウ素濃度が窒素濃度を越えたとき青色に変わるわけである。ホウ素が入っても窒素濃度より少なければ色は黄色のままである。R.Burns氏は後に{110}と{113}との間でも不純物の入り方が違うという、より詳細な報告をしている。
以上、ホウ素添加による着色を紹介した。発光についても私の同僚の渡邊賢司氏が調べ、ホウ素濃度が低く純度が高いほど残光時間が長いということを解明している。
ホウ素添加の実験を行っているなかで、着色が合成温度によって変わることに気がついた。着色に対する合成温度の影響を次に述べる。

図6 ホウ素添加による青色着色のしくみ。 ホウ素濃度が窒素濃度を越えたところ(灰色のゾーン)で青色になる。
図6 ホウ素添加による青色着色のしくみ。 ホウ素濃度が窒素濃度を越えたところ(灰色のゾーン)で青色になる。
合成温度の影響

ホウ素添加の合成実験で失敗したときのことである。図7のような試料構成でホウ素添加の合成実験を行うが、通常、電力を投入して黒鉛ヒーターを1400~1500℃に加熱して、10時間、20時間など長時間、投入電力を一定に保持して結晶を成長させている。しかし、時には金属触媒が動いて黒鉛ヒーターと接触し、試料の温度が制御不能になってしまうことがあった。この試料をとりだしてみると、成長した結晶は図8のように、きたない形をしていてがっかりする結果であった。しかし、その色を観察してみると、黄色と濃青色の2色が混ざっていた。上記のように成長セクターで2色になっているのとは様子が違うので、ひょっとして温度が変われば色が変わるのではないかと予想し、成長中に意図的に温度を変える実験を行った。
例えば、始めの5時間は1500℃に設定し、その後、1450℃に下げてその温度に保持して成長を継続するわけである。そのようにして成長した結晶の断面を観察した。その結果、予想通りに温度が変わったと思われるところで着色に変化がみられた。その現象は窒素やNi、Coの入り方が変わるということで理解している。

図7 ホウ素添加のダイヤモンド合成試料構成模式図。 1:黒鉛ヒーター 2:NaCl媒体 3:原料黒鉛 4:金属触媒 5:成長したダイヤモンド 6:種結晶 7:ホウ素粉末
図7 ホウ素添加のダイヤモンド合成試料構成模式図。
1:黒鉛ヒーター 2:NaCl媒体 3:原料黒鉛 4:金属触媒 5:成長したダイヤモンド 6:種結晶 7:ホウ素粉末
図8 成長中に温度が変動して形成された不規則な形状のダイヤモンド。黄色と濃青色の2色からなる。
図8 成長中に温度が変動して形成された不規則な形状のダイヤモンド。黄色と濃青色の2色からなる。

図9はCo触媒で合成した結晶で、途中で温度を下げた例である。後半で黄色が少し濃くなっており窒素濃度が高くなっている。ホウ素添加の場合には、低温で黄色、高温で青色という2色が現れている。図10は、はじめ高温で成長させその後温度を下げ、再び温度を上げて成長させたものである。青→黄色→青というふうに温度に対応して色が変化している。この現象は、温度上昇とともに窒素濃度は小さくなると考えればつじつまは合うようである。

図9 (a)成長中に温度を下げた結晶の断面。明瞭ではないが内側(1)領域が外側(2)領域より黄色味が淡い。 (b) は黄色味をより明瞭にするために短波長透過フィルターを通して撮影した写真。
図9 (a)成長中に温度を下げた結晶の断面。明瞭ではないが内側(1)領域が外側(2)領域より黄色味が淡い。 (b) は黄色味をより明瞭にするために短波長透過フィルターを通して撮影した写真。

図10

図10 成長途中に温度を変化させて合成したダイヤモンド。温度は高温→低温→高温というように変化させた。高温時に成長したところが濃青色で、低温時では黄色に着色している。矢印は成長方向

Niを含む場合にはちょっと違った結果が得られた。図11(a)のように温度が下降中にNi濃度が高くなったような筋ができている。時間をおいて2回下げた場合には2本の筋がみえる(図11(b))。逆に、途中で温度を上昇させたときには筋はできていない(図11(c))。下降中は金属触媒の中の炭素の過飽和度が高くなって成長速度が上がり、そのためNi濃度が高くなるのだろうと考えている。
不純物混入の温度効果は住友電工社によっても発表されており、合成温度が低いときには、{100}セクターのほうが、{111}セクターより窒素濃度が高いが、少し温度が上がると逆になる、と報告されている。高精度の温度制御の結果、このような現象が見出されたといえる。私が行った合成実験では、ここまで詳しくは見られなかった。

図11
図11 成長途中に温度を変化させて合成したダイヤモンド
(Ni-2%Ti 金属触媒)。 (a),(b) は途中で温度を下げた。(c)は温度を上昇した。温度が下降中のところに筋がみえる(矢印)。
熱処理の影響

温度の影響といえば、不純物窒素の構造の問題もある。一般に、合成ダイヤモンドでは窒素原子は単原子状で含まれたIb型であり、天然ダイヤモンドと同じIa型(凝集窒素を含む)は高温高圧で熱処理することで生成することがGE社により報告されている。しかし私の体験で、合成温度が高いときには凝集窒素を含むこともあった。この結晶はI a 型とI b 型が混ざったものであった。これは、単原子で取り込まれた窒素原子が成長中に熱処理を受けて凝集したと考えられるが、もし、そうだとすれば、ひとつの結晶内でも初期にできた部分のほうが窒素の凝集はより進んでおり、Ia型になっていることになる。しかしながら、赤外線吸収スペクトル法で不純物窒素の分布を測定してみると、そんなに単純ではなかった。同じ時期にできたはずの場所でも明らかに窒素凝集度は違っていた。図12はその一例を示す。黄色の濃さは不均一であり、黄色の淡いところは窒素が少ないのではなく窒素が凝集したためであった。加熱による凝集速度については、「{111}セクターが凝集速度が高い」とか「電子線照射すると凝集速度が高くなる」というの報告もあり、共存する欠陥が多いと窒素の凝集が促進される傾向がある。そのことから、図12のような凝集度の不均一性は、窒素と共存する何らかの欠陥の不均一性に関係すると考えられる。この結晶の場合、結晶セクターの境界で窒素の凝集度が高いので、このあたりが欠陥濃度が高いといえる。これは成長速度と関係していると解釈している。一枚の写真とスペクトル測定で欠陥の生成や成長機構まで考えていくのもおもしろいものである。

図12
図12 黄色の濃淡の見られるダイヤモンド断面。矢印の黄色の淡い場所はIa型窒素が多い。

Ib型結晶を熱処理すると無色になるが、NiやCoを含む結晶を熱処理しても、興味深い色や発光の変化が認められた。図13にその例を示す。黄色の結晶でもNiを含むものは茶色っぽく変化し、緑色の結晶は茶色に変化する。しかし、紫外線照射では緑色に発光する。Coを含む黄色の結晶は、熱処理で無色になるが、紫外線照射すると黄色の発光が認められる。このような熱処理による色や発光の変化は、NiやCoと窒素が集合した不純物の複合体を形成するためと考えられている。

図13
図13 合成ダイヤモンドの熱処理による着色の変化と蛍光。 金属触媒の種類で熱処理による着色も異なる。
おわりに

3回にわたって、多様な高圧合成ダイヤモンドを私の経験を軸に紹介した。最近では、気相合成法によっても宝石級の結晶がつくられているようである。宝石業界においてはこれらのダイヤモンドを正確に鑑別することが大きな問題である。 合成技術は今後も進歩を続けていくのはまちがいないであろう。その進歩に遅れないように、ダイヤモンドの評価技術も向上させ、多様なダイヤモンドの世界の理解を深めていくことが必要である。また、このような中で新しい発見に遭遇すれば、それは楽しいことだろう。

インド視察報告

リサーチルーム 北脇 裕士

2014年3月19日(水)~4月2日(水)にインドのスーラトにおけるダイヤモンド研磨、タンザニアにおけるタンザナイト鉱山およびケニアにおけるツァボライト鉱山を視察する機会を得ました。このうち、今回はインドの視察概要をご報告致します。

スーラトのダイヤモンド研磨工場が多く集まる地域
スーラトのダイヤモンド研磨工場が多く集まる地域
急速に発展するスーラト 建築中の道路や建物が多く、砂塵が舞う
急速に発展するスーラト 建築中の道路や建物が多く、砂塵が舞う
インドのスーラトにおけるダイヤモンド研磨

スーラト(Surat)は、インド北西部にあるグジャラート州南部の港湾都市です。同州の名称は6世紀に北方から南下し、この地に勢力を張ったグジュラ族に由来します。グジャラート州は、インド西方への玄関口かつ首都デリー方面への交通路の起点という位置から遠距離交易の重要な拠点として発展してきました。スーラトは、グジュラート州で州都アーメダバードに次ぐ第二の都市ですが、インドで最も発展している都市として数えられています。
『日経ビジネス』2011によると、「伸びゆく世界の都市ベスト100」で上位一桁にランクインしています。スーラトの人口は450万人程ですが、そのうちおよそ50万人はダイヤモンドの研磨・加工に携わっていると推定されています。スーラトにはダイヤモンドの加工場が大小合わせると7500以上もあり、世界のダイヤモンドの9割が加工されているとも言われています。
3月20日、スーラトの空港に降り立つと、空と地上の境界線付近が茶色く霞んでおり、大陸特有の砂塵かと思われましたが、車で市内の中心地に着くとどうやら大気の汚れによるものと気づかされます。無尽蔵の車、バイク、建設途中のビルや道路。急速な発展途上にあり、将来的なポテンシャルを秘めた都市であることが判ります。
今回は知人の紹介でスーラトに拠点を置く中堅のダイヤモンド加工場を2軒視察することができました。中堅といってもひとつは800人規模の会社でビルごとすべてがダイヤモンドの加工に関わっていました。最大規模では5000人におよぶ研磨工場もあるそうです。

ダイヤモンド原石の包有物の位置をギャラクシーで検査
ダイヤモンド原石の包有物の位置をギャラクシーで検査

原石はイスラエル製のハイテク機器「ギャラクシー」で測定され、一個の石からどれだけ歩留まりよくダイヤモンドが切り出せるか、さらにイメージングソフトを駆使して計算されます。そして、設計図に従ってレーザー加工や職人による手作業により磨き上げられていきます。圧倒的な設備とクオリティの追求を目前にして、スーラトにおけるダイヤモンド産業の躍動する息吹を感じ取ることができました。

訪問した研磨工場の受付
訪問した研磨工場の受付
原石の歩留まりを考慮し、パソコンソフトを駆使してカット形状の設計がなされる。
原石の歩留まりを考慮し、パソコンソフトを駆使してカット形状の設計がなされる。
コンピュータ制御されたレーザーソーイング
コンピュータ制御されたレーザーソーイング
研磨工程の多くは職人の手作業による
研磨工程の多くは職人の手作業による
スーラトとCVD合成ダイヤモンド

2012年5月、ベルギーの大手鑑別機関からGemesis社製と思われる非開示のCVD合成ダイヤモンドを600個検査したとの報告があり、ダイヤモンド業界を賑わせました。それ以降、インドや中国の検査機関からも相次いでCVD合成ダイヤモンドに関する報告がなされており、小紙においても1ct以上のCVD合成ダイヤモンドについて報じています(CGL通信NO.12)。そして、これらのCVD合成ダイヤモンドはインドのスーラトで研磨され、天然ダイヤモンドのパーセルに混入されて米国、中国そして日本などに輸出されていると複数のメディアが報じています。インドの日刊英字新聞で英字新聞としては世界最多の発行部数を誇るTHE TIMES OF INDIAにも昨年以降、数回にわたってスーラトにおけるCVD合成ダイヤモンドの記事が掲載されています。昨年10月には「パーセルから合成ダイヤモンドが見つかる」 今年1月には「合成ダイヤモンドがスーラトの名を汚す」のタイトルで報じられています。他にも信頼できる情報筋からDTCのあるサイトホルダーがGemesis社と繋がりがあり、そのサイトホルダーから購入したロットの中にCVD合成ダイヤモンドが天然ダイヤモンドに混ぜられていたとのニュースも流されました。このような背景にはインド経済とメレダイヤモンドの価格変動が関連するとの見解もあります。インドの通貨ルピーの米ドルに対する価値が2012年以降急落しています。以前は1ドルに対して40ルピー台でしたが、2012年には50ルピー、現在は60ルピーを超えています。また、品質の高いメレダイヤモンドは中国での需要の高まりなどが影響して2011年~2013年に価格が高騰したようです。このような状況下、スーラトの研磨業界では数万人単位の失業者を生み出したようで、少しでも利益を確保するための手段としてやむなくCVD合成の混入が行われたのではないかと見られています。
しかし、スーラトの研磨工場でCVD合成ダイヤモンドの話題に触れると、彼らはCVDがsynthetic(合成)であることは知っているが、我々は扱っていないと口を揃えて答えます。CVD合成ダイヤモンドがあれば入手したいといっても、モアッサナイト(彼らはモイザナイトと発音します)やCZ(キュービックジルコニア)なら手に入ると話題をそらせます。良く聞くと、スーラトのある研磨工場ではモアッサナイトやCZのメレ石が天然ダイヤモンドに混入されているとのことでした。この類似石混入の話題についても複数の関係者から確認できましたので、CVD合成ダイヤモンドとともに今後注意する必要がありそうです。(タンザニア・ケニア報告につづく)

『高圧合成ダイヤモンド-私が出会った様々な結晶-』第2回

公益財団法人 つくば科学万博記念財団参事/理学博士
中央宝石研究所 技術顧問 神田 久生

はじめに

前回、ダイヤモンドの高圧合成法について述べた。今回は、合成されたダイヤモンドの形の特徴を紹介する。宝石のダイヤモンドを評価する場合、4Cという言葉をよく聞く。この4つのCはCarat Cut Color Clarityの頭文字のCであるが、結晶としての特徴という視点からは、この4Cは、それぞれ、サイズ、形、色、含有物ということができよう。今回はそのうちの形ということになる。私は、結晶成長のメカニズムに関心があったため、合成実験で得られた結晶を見るとき、その結晶がどのように成長してきたのであろうか、ということがいつも頭にあった。それで研究を続けながら、結晶の形や表面模様を注意深く観察したものである。

ダイヤモンドの基本的な形

ダイヤモンドでは炭素原子が4本の手でお互いに結合している。原子を玉に見立てて、図1(左)のように4本の手で繋いでいくと、図1(右)のように八面体ができてくる。繋ぐ際、表面に現れる手が少なくなるように繋ぐのである。このことから、本物のダイヤモンドが成長するときも、炭素原子を積み重ねていくと八面体ができやすいといいうことが感覚的に理解できる。実際、天然結晶はこの八面体が基本形とされていている(図2)。それに対して、高圧合成ダイヤモンドはキューブの面が大きく発達した結晶がよく現れるといわれている(図3)。

図1 ダイヤモンドの結晶模型。 (左) のように黒い玉を繋いでいくと(右)のような模型ができる。
図1 ダイヤモンドの結晶模型。 (左) のように黒い玉を繋いでいくと(右)のような模型ができる。

 

図2 八面体の天然ダイヤモンド
図2 八面体の天然ダイヤモンド
図3 高圧合成ダイヤモンド。 {111}面と{100}面からなる。
図3 高圧合成ダイヤモンド。 {111}面と{100}面からなる。

キューブの面だけの結晶はさいころのような六面体になることから、八面体の三角形と六面体のキューブの面の両方があらわれる結晶は六八面体と呼ばれる。ダイヤモンド合成研究の初期には、キューブの面の有無が天然結晶と合成結晶との大きな相違点とされていた。
私がダイヤモンド合成を始めたときには、図2,3のように、天然ダイヤモンドは八面体、合成ダイヤモンドは六八面体、というイメージを持っていて、それをスタートとして実験を始め、実験を続けていくなかで多様な形に出会うことになったわけである。また、結晶の表面模様についても、天然結晶と合成結晶には大きな違いがあり、天然結晶ではトライゴンと呼ばれる三角形の凹みがあるのに対して、合成結晶では樹枝状模様が見られる、というのが予備知識であった(図4)。

図4 (a)トライゴンが見られる天然ダイヤモンド表面。
図4 (a)トライゴンが見られる天然ダイヤモンド表面。
図4 (b)樹枝状模様がみられる高圧合成ダイヤモンド表面。
図4 (b)樹枝状模様がみられる高圧合成ダイヤモンド表面。
金属触媒

ゼネラルエレクトリック(GE)社などの先行研究を追って、私は、まずさまざまな金属触媒(本稿では触媒と表現するが、この金属は炭素の溶媒として働くので金属溶媒とも言われることもある)を使ってダイヤモンドを合成した。ダイヤモンドの金属触媒として有効なものは、鉄(Fe)、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、それにこれらを主成分とする合金に限られるといわれていた。それで、私は、市販の合金を使ったり、アークメルト炉で所望の組成の合金をつくり、それを使ってダイヤモンドを合成した。

図5 高圧合成ダイヤモンド。{111},{100},{110},{113}の4種類の面が認められる。
図5 高圧合成ダイヤモンド。{111},{100},{110},{113}の4種類の面が認められる。

このような種々の金属触媒を用いて合成したダイヤモンドを観察してみると、文献にあるように、{1 1 1}面と{1 0 0}面が大きく発達したものが多かった。しかし、私の体験では、{100}面と同じくらい{113}面や{110}面も頻繁に見られた。図5のように、{111}、{100}、{113}、{110}の4種類が見られる。これらの面は、八面体を基にして頂点や陵を削ると現れる面で、模式的に示すと図6のようになる。ここに表示した{111}、{100}、{113}、{110}は結晶面の向きを示す記号でそれぞれの表面で炭素原子の配列が異なる。異なる記号の表面は成長のメカニズムも異なる。

図6 ダイヤモンド結晶外形の模式図。面の方位が{}で表記されている。
図6 ダイヤモンド結晶外形の模式図。面の方位が{}で表記されている。

上述のように、合成結晶に見られる表面は{ 1 1 1 }、{ 1 0 0 }、{ 1 1 3 }、{ 1 1 0 }が頻繁に現れるが、G E の論文には{ 1 1 1 }、{ 1 0 0 }、{ 1 1 3 }、{110}ほかに、{117}もあらわれると記載されている。珍しいもの好きな私は、{117}面も気になり、この面を見つけること、そして、このような高指数の面がなぜ出現するのかにも関心があった。繰り返し合成実験をしていると、稀に、{117}らしい面をもつ結晶ができることもあった。

図7 {115}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。
図7 {115}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。
図8 {113}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。
図8 {113}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。

図7のように、{111}面と{100}面との間に二つの面が見える。たいていは、図8のようにひとつだけで、これは{113}面である。したがって、二つ目の面は、レアな{117}面に違いなく、GEの論文の追試に成功、ということになった。しかし、どうして{117}というような方向の面がでるのか、ダイヤモンドの炭素原子の配列とどういう関連があるのか疑問は残り、その面の角度を調べた。このような問題は、重箱の隅を突くようなオタクのやることであるが、私はこのようなことについはまり込んで、この面の写真をとって角度を測定した。その結果、{117}ではなく{115}という方位のほうが正しいことがわかった。{117}でも{115}でも些細なことでどちらでもよいかもしれないが、炭素原子の配列の点でも{115}のほうが理屈に合うようで、気分的にすっきりして満足した(覚えがある)。
{111}、{100}などの面がどのような仕組みで出現するのか、結晶成長機構に関心のある私には、その機構の理解を進めたいということで、成長機構の証拠が残されている結晶表面の模様も調べていた。砂川先生は早くから表面模様の観察をもとに結晶成長機構を研究されており、さまざまな結晶について、位相差顕微鏡で原子オーダーの凹凸を観察し、成長ステップの形態からスパイラル成長などの成長機構を報告されている。
私は、位相差顕微鏡はほとんど使わなかったが微分干渉顕微鏡をよく使った。手軽に結晶表面の模様が観察できる顕微鏡である。しかも、光の干渉効果で美しいカラー画像を楽しむことができる。合成した結晶表面を顕微鏡で眺めてみると、よく見られるのが図4のような樹枝状模様である。これはダイヤモンド合成初期から、合成ダイヤモンドの大きな特徴のひとつとして記載され、天然ダイヤモンドにはみられないものである。この樹枝状模様はそれなりに多様性があり、なかにはダイヤモンドの結晶方位と関係する対称性の高い美しい幾何学的なパターンも観察されたこともある(図9)。

図9 方位のそろった樹枝状模様。 (a){100}
図9 方位のそろった樹枝状模様。 (a){100}
図9 方位のそろった樹枝状模様。 (b){111}
図9 方位のそろった樹枝状模様。 (b){111}

この模様は金属触媒の合金組成と関係していた。これらの模様はそれなりにきれいではあるが、結晶成長機構を考えようとすると、不都合な模様である。なぜなら、この樹枝状模様は、ダイヤモンドの成長中の模様ではなく、金属触媒が固化するとき形成されるものだからである。樹枝状模様は成長模様を覆い隠してしまっている。成長機構を調べるためには、何とかして、樹枝状模様のない結晶を得たいと常々思っていた。
1980年代半ば、砂川先生の指導の下で博士論文を作成する機会を得た。そのとき、論文のために何か新しい成果を追加したいと思って、それまでに合成した結晶を眺めていて、樹枝状模様のない結晶もできていることに気がついた。樹枝状模様は、金属触媒が固化するときダイヤモンドが金属の中にあるとできてしまう。それでダイヤモンドが、金属触媒が固化する前に金属触媒から飛び出てしまえば、樹枝状模様はできず、飛び出たときの成長表面が残っている。そのような結晶の写真と模式図を図10に示す。高圧容器の中でダイヤモンドが成長中に液体状態の金属触媒が変形することがある。この変形のとき、ダイヤモンドが部分的に飛び出たのである。成長温度が高いときにこのようなことが起きやすい。このようにしてできた樹枝状模様のない表面を詳しく観察すると、結晶成長の仕組みを考える上で興味深い模様がみられた。

図10 成長中に金属触媒から部分的に飛び出たダイヤモンド。 模式図のハッチ部分が金属触媒に埋まっており、その他の部分が飛び出ていた。
図10 成長中に金属触媒から部分的に飛び出たダイヤモンド。模式図のハッチ部分が金属触媒に埋まっており、その他の部分が飛び出ていた。

まず、{111}面であるが、この面は非常にフラットで、位相差顕微鏡や微分干渉顕微鏡でやっと判別できる原子オーダーの成長ステップが観察された( 図1 1 )。このダイヤモンドはこのような原子オーダーの成長層が広がりながら成長したと考えられる。他の結晶では、成長表面上に成長丘のみられる結晶もあった(図12)。これはこの成長丘の中心から成長層が広がるような成長をしていたことを示す。図13のような面白い模様もみられた。スパイラル模様があるが、これを詳しく見るとスパイラルの中央は周囲よりくぼんでいることがわかった。つまり、この結晶は、金属溶媒から飛び出たときには、溶解しつつあったということがいえる。私が行った成長実験では、ダイヤモンドは常に一定速度で成長したとは限らず、条件や環境の変動で溶解することもあったことを示す。

図11 成長ステップのみられる{111}面。
図11 成長ステップのみられる{111}面。
図12 成長丘のみられる{111}面。
図12 成長丘のみられる{111}面。

 

図13 スパイラルの溶解模様のみられる{111}面。 (b) は(a)の中の矢印で示す部分の拡大写真。
図13 スパイラルの溶解模様のみられる{111}面。 (b) は(a)の中の矢印で示す部分の拡大写真。

樹枝状模様のない{100}面もみられることもあったが、これは全く平らで、成長ステップもよくわからなかった。{110}面や{113}面も観察することができた。図14に{110}面と{113}面を示す。表面は平滑で、隣の面との境界のエッジが盛り上がっている。隣の{111}面が庇のように飛び出ている。このような凹面になる成長は{111}のように成長層が広がるというような成長とは異なるのかもしれない。

図14 樹枝状模様のみえない (a){110}面と (b){113}面。
図14 樹枝状模様のみえない (a){110}面と (b){113}面。

以上、鉄やニッケルなどの金属触媒で合成されたダイヤモンドの特徴を述べた。これらの金属触媒は、半世紀前にGEにより見出され、現在、高圧合成ダイヤモンドの生産に用いられている主要なものである。次に、変わった溶媒の中で育ったダイヤモンドの特徴を紹介する。

非金属触媒

1990年、私の先輩であった赤石實氏が、黒鉛に炭酸カルシウムを混ぜて高温高圧処理すると黒鉛がダイヤモンドに変換することを見出した。ダイヤモンドの新触媒の発見である。天然ダイヤモンドは、金属触媒からできているわけではないので、この炭酸塩からのダイヤモンドの生成は、天然ダイヤモンドの成因と関連することが期待され、地球科学的にも興味深いものである。その後、炭酸塩のほかに、水やキンバライトなどからもダイヤモンドが生成することも確認された。これら非金属触媒から合成されるダイヤモンドは数ミクロンから数十ミクロンの微粒しかできず、天然ダイヤモンドと様子は大分違っている。私は、結晶成長の興味から、成長メカニズムがより詳しく観察できるように、ダイヤモンド基板上への成長の様子を調べた。ダイヤモンドの成長は通常の金属触媒に比べると成長速度は桁違いに小さく、種結晶の上に数十ミクロンオーダーの薄い成長層が現れる程度であった(図15)。しかし、成長模様は興味深いものであった。
種結晶を覆った{111}成長面には成長丘が観察され、成長ステップが広がることで成長していることがわかる(図16)。

図15 非金属触媒から成長したダイヤモンド。種結晶を薄く覆っている成長層(矢印)。
図15 非金属触媒から成長したダイヤモンド。種結晶を薄く覆っている成長層(矢印)。
図16 非金属触媒から成長したダイヤモンドの{111}成長面(写真の上半分の領域)。
図16 非金属触媒から成長したダイヤモンドの{111}成長面(写真の上半分の領域)。

図17は美しいスパイラルパターンを示す。{100}面においても成長丘が観察され成長層の拡がりが見られたが、凹凸が大きいものであり、金属触媒からの成長とはずいぶん異なる成長模様が観察された(図18)。

図17 非金属触媒から成長した{111}成長面上にみられるスパイラル模様。
図17 非金属触媒から成長した{111}成長面上にみられるスパイラル模様。

 

図18 非金属触媒から成長したダイヤモンド{100}面上の成長丘。(a)微分干渉顕微鏡、 (b)干渉像。
図18 非金属触媒から成長したダイヤモンド{100}面上の成長丘。(a)微分干渉顕微鏡、 (b)干渉像。

 

非金属触媒からダイヤモンドが成長することがわかってから、他の物質からでもダイヤモンドが成長するだろうという期待で、赤石氏や私は新触媒の探索を行った。その結果、銅や亜鉛など炭素とはほとんど反応しないといわれる金属の中からもダイヤモンドが成長することがわかり、リンの中からも成長した。(どうしてリンからの成長を試みたかというと、ダイヤモンドにリンがドーピングされるとn形半導体となり、エレクトロニクスの分野で役に立つことが期待されるためである。)これら成長したダイヤモンドはユニークな成長パターンを示し、その解釈に頭をひねるようなこともあった。
銅から成長した結晶には、{110}面だけからなるダイヤモンドも成長した(図19)。理想的な形になれば、十二面体となる。天然ダイヤモンドには十二面体結晶も知られているが、その場合は、溶解によって生成したものといわれていることから、{110}面が主要な面として成長するのは珍しい。

図19 銅から成長したダイヤモンド。{110}面からなる12面体結晶(矢印)が、黒鉛に埋まっている。
図19 銅から成長したダイヤモンド。{110}面からなる12面体結晶(矢印)が、黒鉛に埋まっている。

リンから成長した結晶にはもっと不思議な形がみられた。図20に{111}面上の成長パターンを示す。きれいな成長丘であるが、そこのステップの方向がちょっと変わっている。

図20 リンから成長したダイヤモンド{111}面上の成長丘。成長ステップが<110>方向から外れている。
図20 リンから成長したダイヤモンド{111}面上の成長丘。成長ステップが方向から外れている。
図21 リンから成長したダイヤモンド{100}表面に見らえれる微小窪み。くぼみの斜面は{310}という項高指数面からなる。
図21 リンから成長したダイヤモンド{100}表面に見らえれる微小窪み。くぼみの斜面は{310}という項高指数面からなる。

{111}面上の成長ステップは、通常は<110>方向で、成長丘は三角形あるいは六角形に限られる。ところが図20の成長ステップの方向を測定すると<321>になる。この方向のステップでは炭素原子の配列はイメージしにくい。このような成長丘がみられる結晶で、{100}面に相当するところではどうなっているかといえば、図21のような穴ぼこだらけで、しかもその穴の斜面の方位も奇妙で、その方位を求めると{310}となった。このような高指数の面は、ダイヤモンドの炭素原子の配列からはとても理解できない。いまもって不思議な形である。
次に、また違った種類の奇妙な形のダイヤモンドを紹介する。

水の影響

ダイヤモンド合成を始めた初期のころの話である。できるだけ精度を上げて結晶を作ろうということで、反応容器に熱電対を入れて温度をモニターしながらダイヤモンドの合成を試みた。温度をきちんと測りながらダイヤモンドを合成すればできてくる結晶はよいものだろうと期待したわけである。しかし、何度か試みてもどうも形が悪い。一部欠けたような形のキズものである。「熱電対を入れて丁寧に」、というところが裏目に出ているのかもしれないと思った。熱電対を差し込むとき、それを固定するためセメントを使うので、そのときのセメントに含まれる水がいたずらをするのかもしれない。それで、水の影響を確認するため、ヒーターの内部にわざと水を添加してダイヤモンドを合成してみた。そうすると案の定、できたダイヤモンドはキズモノであった。このようなことから、水を出す物質として水酸化マグネシウム(Mg(OH)2)を添加し、その添加量を変えてできてくるダイヤモンドの形態を観察した。その結果が図22のとおりである。添加量が増えるとともに形も奇妙になっていった。添加量が少ないときには、八面体のエッジを削るように、筋の入った{1 1 0}面が現れた。さらに添加量が増えると、平らな{111}面はできなくなり、平滑面は{100}面だけとなった。そして次には、針状の結晶の集合体となってしまった。こうして、水は金属触媒のはたらきに何らかの影響を与えることがわかった。しかし、その仕組みはよくわからない。これも不思議な現象である。

図22 水の影響下で成長したダイヤモンド。水の添加量の増加に伴って(a)→(c)のように荒れた結晶面が主体となっていく。
図22 水の影響下で成長したダイヤモンド。水の添加量の増加に伴って(a)→(c)のように荒れた結晶面が主体となっていく。
おわりに

以上、さまざまなダイヤモンドの形態を記載した。ダイヤモンドの成長はダイヤモンド表面に炭素原子がやってきて結合するというプロセスであるが、炭素原子が表面のどこに結合するかでできてくる結晶の形は変わってくる。一般論としてはこのようにまとめることができるが、多様な形態の具体的な成因はよくわからない。不思議なパズルである。
次回は、ダイヤモンドの色や発光の特徴を紹介する。(つづく)

『高圧合成ダイヤモンド-私が出会った様々な結晶-』第1回

公益財団法人 つくば科学万博記念財団 参事/理学博士 神田 久生

昨年末、砂川一郎先生がご逝去された。先生には多くの方がお世話になったと思うが、私もたいへんお世話になった。先生からはさまざまなことを教えてもらったが、そのなかで、私の頭から離れないのが「小さな石にも、歴史と個性がある」という言葉である。この言葉は、先生が東北大学を退官されるときまとめられた冊子のタイトルであるが、私のダイヤモンドに対する関心をまさに的確に表現していたので、この言葉を見たとき大きなよりどころを得たと感じ、とても嬉しかった。私は約30年、ダイヤモンドの研究を行ってきたが、それはダイヤモンドを合成し、その特徴を調べることであった。条件をいろいろ変えてダイヤモンドを合成すると、そのダイヤモンドは一つ一つ形や色などが異なっている。同じ条件で作ったつもりでもダイヤモンドは必ずしも同じではない。本当に個々の結晶が個性をもっていた。まさに「小さな石にも、歴史と個性がある」わけである。私は、研究のなかで、その個性を観察し、個性が現れる仕組みを理解しようとしてきた。個性はさまざまであり、その仕組みは理解できたと思えるものもあれば、不思議で仕方がないものもある。本稿では、私の研究の中で出会ったダイヤモンドの面白い個性を紹介しようと思う。

ダイヤモンド研究を始めた経緯

私は1 9 7 0 年に科学技術庁無機材質研究所という設立されて間もない研究所に就職し、炭素を研究するグループに配属された。そのグループは1974年にダイヤモンドを研究するグループに改組され、私もダイヤモンドを研究することになった。そのとき高圧法でダイヤモンドを合成するチームと気相合成を試みるチームに別れたが、私は前者を選んだ。当時、高圧合成ダイヤモンドは既にゼネラルエレクトリック(GE)社の研究グループにより合成技術は確立されており、一方、気相合成法はまだ海のものとも山のものとも思えない状況であった。高圧合成法のほうが現実的で取っつきやすかったのでそちらを選んだわけである。とはいえ、すぐにダイヤモンドができるわけではなかった。合成のための高圧発生装置が必要であった。さいわい、研究所には高圧研究に軸足をおいたスタッフがいて、ダイヤモンドなどが合成できる新しい高圧装置を開発するチームを立ち上げ、私はその一員となった。 高圧装置は何百トンから何万トンという大きな力を加えるプレスと呼ぶ部分と、その力を集中して何万気圧という圧力を発生する高圧容器からなる。ダイヤモンドを合成するためには約5万気圧に耐えられる容器が必要であるが、それは、購入できるものではなく、設計図もないなかで自作しなければないものであった。その装置の開発は試行錯誤の連続であったが、さいわい、このチームのリーダーの強烈な馬力に引っ張られ、独自の高圧発生装置が開発された。私はあまり苦労をせずにダイヤモンドを合成する機会を得ることができたわけである。本当に運がよかったと思っている。

高圧発生法

もっとも身近な高圧装置は、自転車の空気入れとタイヤかもしれない。空気入れのレバーを押して空気を加圧するとタイヤの圧力が上がる。しかし、発生する圧力は数気圧程度である。人の手では加える力はしれているし、ゴムでできた自転車のタイヤの耐圧強度もわずかである。自動車修理工場で自動車を持ち上げたりするのに油を使ったジャッキを電動ポンプで動かすが、その場合にはもっと高い圧力発生も可能である。しかしながら、このような気体や液体を加圧して高圧発生する方法では1000気圧のオーダーが上限である。それで、ダイヤモンド合成に必要な5万気圧の圧力発生は図1のような原理で行われる。硬い材料を使って、力を小さい面積に集中させる方法である。図1の台形の材料の広い面積にP0の力を加えると、狭い面積のところには面積に反比例したP1という大きい力が発生する。こうしてダイヤモンド合成に必要な数万気圧の圧力に上げることができる。このとき圧力発生の限界は、圧力を集中させるところ(図1では台形のところ)の強度できまる。それは硬いものでないと壊れてしまう。それで、その台形のところの材料の選択が重要であるし、また、その形状も重要である。実際の高圧容器はこのような原理で作られており、その原理をもとにいろいろなデザインの装置が考えられている。私の参加した高圧チームではベルト型と呼ばれるタイプを選択した。これは、GEが作ったタイプであり、その断面模式図は図2のようなものである。

図1高圧発生の原理
図1:高圧発生の原理
台形の底面にPOという圧力をかけると台形の上面にはP1の圧力がかかる。上面の面積が小さいと力が集中し、P1の圧力は大きくなる。
図2ベルト型高圧装置断面の模式図
図2:ベルト型高圧装置断面の模式図
ピストンは台形をしており、ダイは孔の空いた円盤である。この孔の中が高圧空間で、そこにヒーターがおかれその中に試料が詰められる。

ここには上下にペアになったピストンと呼ばれるものがある。この背面の広いところに油圧で力を加えると先端に高い圧力が発生するので、そこに試料をおく。この図にダイと書いたものがあるが、これは、発生した圧力が外に逃げないように試料を横から押さえるためのリング形状をもったものである。このようにピストンとダイで囲まれた空間が高圧になる。ダイヤモンドを作るためには高い温度も必要なので、高圧空間の中にヒーターもセットされる。そのため、そのヒーターの内部が試料空間となって、実際にダイヤモンドが生成する空間は高圧空間の中でも一部になってしまう。我々が使ったベルト型高圧容器は、概略このような形状になるが、現実には多くのパーツから構成され、そのパーツの形状、材質が重要である(図3)。

図3 ベルト型高圧装置に使われる部品
図3:ベルト型高圧装置に使われる部品

ピストンとダイは、力が集中するところなので、力がかかっても変形しにくい硬いものでなければならない。それで、タングステンカーバイド( WC)という物質が使われている。これは、旋盤など切削機械の刃先に使われているとても硬いものである。このピストンとダイは高強度をもつとはいえ繰り返し使うと壊れるので、その寿命が装置のランニングコストの大きなファクターになる。その寿命を延ばすために、ピストンやダイの形状も最適なものにしなければならなかった。 高圧空間の中に入るものには上述のヒーターがあるが、このヒーターは黒鉛でできている。黒鉛は、そこに電気を流せば3000℃以上の温度発生が可能であるし、やわらかいので形状加工が容易であるというメリットがある便利な素材である。ヒーターの中が、ダイヤモンドができる空間であるが、そのほか、ヒーター周辺の高圧空間には使い捨てのさまざまなパーツが詰められる。黒鉛ヒーターに電気を伝える導電材、ヒーターの熱を外に逃がさない断熱材、高圧空間の圧力が外に漏れないようなシール材など。これら消耗品のパーツを準備し、組み立てるのも結構時間がかかる作業である。

図4:700トンプレス
図4:700トンプレス
中央部がベルト型高圧装置。

ピストンやダイのサイズ、ヒーターのサイズで試料のサイズが決まるわけであるが、私が参加したチームではいくつかのサイズの装置を開発した。初めはダイの孔の直径は1センチにも満たない小さなものであった。そのあと、ダイの孔が25ミリ径のものが作られ、私のダイヤモンド合成実験の大半はこの装置を使って行った。それを図4に示す。この装置では黒鉛ヒーターの内径は10ミリで、2~3ミリのダイヤモンド結晶を定常的に作ることができた。80年代になって、さらに大型の装置も開発された。ダイの内径が75ミリのもの、そして100ミリを越えるものも作られた。しかし、後者ではダイヤモンド合成に必要な圧力発生には至らなかった。高圧装置の大型化には、大きな力を加えることができる油圧プレスが必要である。上記、25ミリ径のダイを使った高圧実験用には700トンの力をかけることができる油圧プレスが使われている。75ミリ径の高圧装置用には14000トンの油圧装置が使われた。この装置は1970年に無機材質研究所がつくばに移転したときに設置されたものである。また、80年代には3万トンの油圧プレスも設置された(図5)。これは現在も使われているが、8 0 年代後半からは、1500トンの油圧プレスが数台導入されて、ダイ径30ミリの高圧装置が主力装置として稼動している。実験室スケールではこの程度のサイズが適当と思われる。

図5:3万トンプレス
図5:3万トンプレス

国内外の他の機関で使用しているダイヤモンド合成用の高圧装置について詳細はあまり公表されていないが、上記のようなベルト型もののほかに、バール型と呼ばれるものも使われている。これはロシアを中心に使われており、中国では、キュービック型と呼ばれるものが主流のようである。15~20万気圧というような超高圧の発生には、より複雑な高圧装置が使われている。このような超高圧で、最近注目されている、透明な多結晶ダイヤモンドが作られている。

ダイヤモンド合成法

上記のように、無機材質研究所でダイヤモンドを合成する環境ができ、私はダイヤモンド単結晶合成を担当することになった。研究するからには何か新しいことをせねばならなかったが、すでにGEのグループにより合成技術は確立されていたので、とりあえずGEの成果をお手本にダイヤモンドを実際に作ってみることから始めた。 GEグループは、1955年にダイヤモンド合成成功の論文を発表し、1970年には1カラットの宝石級のダイヤモンドの写真を論文に掲載するなど、50年代から70年代にかけていくつもの論文を発表している。それらの論文から次のような知見が拾い出される。

  • 必要な圧力・温度は、それぞれ約5万気圧、1400℃以上。
  • ダイヤモンドは金属溶媒というものから析出する。
  • その金属溶媒は、鉄、コバルト、ニッケルなど限られた金属である。
  • ダイヤモンドの生成は、金属溶媒に対する炭素の溶解度曲線をもとに考えることができる。
  • 生成するダイヤモンドは1ミリ以下であるが、種結晶から育成するとカラットサイズの大型結晶をつくることができる。
  • 単結晶では天然結晶と違って{100}面が発達する。
  • 通常、窒素を含む黄色のIb型の結晶が得られるが、高温高圧で熱処理するとIa型に変わる。
  • 無色透明なIIa型結晶を作るには窒素ゲッターと呼ばれるチタン( Ti), ジルコニウム(Zr)などを金属溶媒に加える必要がある。
  • ホウ素を加えるとブルーのIIb型が得られる。

ダイヤモンドを合成するにあたって、上記のGEのお手本となる情報のなかで、高圧高温発生の次に重要なのは金属溶媒を用いるという点である。ダイヤモンドの原料となる黒鉛を単独で高温高圧にしても簡単にはダイヤモンドに変換しないが、ある種の金属を黒鉛のそばに入れておけば黒鉛は容易にダイヤモンドに変わる。その金属は鉄やニッケルなどの遷移金属に限るとされている。これらの金属は「金属触媒」と呼ばれたが、炭素の溶媒としてはたらくものと考えられる。G Eの論文でもダイヤモンド結晶が成長する仕組みは、金属への炭素の溶解度という見方で解釈されている。それを図示すると図6のようになる。ダイヤモンドができる高温高圧条件では、金属は融点以上になっており液体である。その液体金属は炭素の溶媒となり、炭素を溶解するが、黒鉛はダイヤモンドよりも溶解度が高い。また、ダイヤモンドの溶解度は温度上昇とともに高くなる。

図6:金属溶媒に対する炭素の溶解度を示す図
図6:金属溶媒に対する炭素の溶解度を示す図
実線はダイヤモンドの溶解度、点線は黒鉛の溶解度を示す。
δC1は温度がT1とT2の間での溶解度差を表し、δC2は黒鉛とダイヤモンドとの間の溶解度差。

この溶解度の図からみて、ダイヤモンド単結晶を作るには大別して二つの方法がある。一つは、黒鉛と金属溶媒を一緒にして高圧高温にすると、黒鉛と金属溶媒が接したところでダイヤモンドの核が自発的にできてそれが成長するというもの。この方法では小さな結晶がたくさんできる。もう一つは、種結晶を入れておき、そこからのみ結晶を成長させるという方法で、大粒結晶をつくることができる。

図7:小粒ダイヤモンド合成のための試料構成
図7:小粒ダイヤモンド合成のための試料構成
1:黒鉛ヒーター、2:原料黒鉛、3:金属触媒、4:圧力媒体、5:生成したダイヤモンド

図7に、小さなダイヤモンド粒を作るための試料構成の例を示す。原料の黒鉛板と金属溶媒が重ねて入れてある。これを高温高圧(1500℃、5万気圧)の条件に置くと数分でダイヤモンドが生成する。図7の模式図のように黒鉛と金属溶媒の境界に生成する。未反応の黒鉛を除去したところの写真を図8に示すが、ぽつぽつと半球状の突起がみられ、ダイヤモンドはこの突起の中に生成しており、金属膜に覆われた形で ある。この金属を塩酸などで溶解除去すれば、図9のようなダイヤモンド粒が回収される。このダイヤモンドは多角形のそろった形をしているが、このような形状の粒を作るには、圧力の精密な制御が必要である。圧力が高すぎるとダイヤモンドはできすぎて、隣の粒とぶつかってしまい、形状は不規則になる。

図8:金属膜に覆われたダイヤモンド粒
図8:金属膜に覆われたダイヤモンド粒
図9:自発核発生で生成したダイヤモンド粒
図9:自発核発生で生成したダイヤモンド粒

大粒の単結晶ダイヤモンドを合成するには図10のような試料構成で行う。金属溶媒の上側に原料の黒鉛を置き、下側に種結晶としてダイヤモンド粒を置く。このような配置においては金属溶媒の上側が下側より温度が高くなるようにすることが必須である。この構成物を高温高圧条件に置くと、金属溶媒が溶けてダイヤモンドの成長が始まる。

図10:大粒ダイヤモンドの合成用試料構成模式図
図10:大粒ダイヤモンドの合成用試料構成模式図
1:黒鉛ヒーター、2:圧力媒体、3:原料黒鉛、4:金属触媒、5:成長したダイヤモンド、6:種結晶

まず、上側の黒鉛がダイヤモンドに変換する。そのダイヤモンドは金属溶媒に溶解し、金属溶媒は炭素で飽和される。ここで飽和した金属溶媒は種結晶のところでは過飽和になる。金属溶媒の下側は温度が低いためである。その過飽和の金属溶媒から種結晶の上にダイヤモンドの成長が始まる。このように金属溶媒の上部と下部で温度差がある限り、上側のダイヤモンドは溶け続け、下側の種結晶は成長を続ける。このようにして成長した試料の写真を図11に示す。これは金属溶媒の底面を見たものである。球状になった金属溶媒の中央に見える小さな結晶は種結晶で、成長したダイヤモンドは金属溶媒の中に埋まっていてここでは見えない。金属溶媒を酸で溶解除去すると図12のような成長したダイヤモンドが得られる。

図11:ダイヤの成長した様子
図11:ダイヤの成長した様子
1:黒鉛ヒーター、2:金属触媒、3:生成したダイヤモンド、4:圧力媒体
図12:種結晶の上に成長したダイヤモンド結晶
図12:種結晶の上に成長したダイヤモンド結晶
矢印が種結晶。

この方法では、時間をかければ結晶はいくらでも大きくできるはずであるが、金属溶媒のサイズが上限となる。つまり、大きな結晶を作るには大きな容器が必要ということになる。図13の2~3ミリの結晶は半日から1日で成長した。私のいた研究室では8 0年代前半にヒーター径が30ミリの大型装置が開発され、その装置を用いて大型結晶の育成を試みたことがある。その結晶の例を図1 4に示す。1センチ近い結晶が得られたが、質はよくない。多結晶状になっていたり、インクルージョンを多量に含み真っ黒に見えるものもある。成長速度の制御が不良だったためだと思われる。そのころ、大型で高品質のダイヤモンドは住友電工やデビアスで作られており、大きいものでは34カラットの結晶も合成されている。また、今では、1 0カラットの結晶は定常的に生産できるようである。

図13:成長したダイヤモンドの結晶の例
図13:成長したダイヤモンドの結晶の例
矢印は種結晶が付着していた跡。
図14:大粒のダイヤモンド結晶
図14:大粒のダイヤモンド結晶

以上、今回は、ダイヤモンドの合成法を中心に述べたが、次回以降、この方法で作られたダイヤモンドの形状や色などの特徴を紹介する。(つづく)

第33回国際宝石学会(IGC)報告

去る2013 年10 月12 日~ 19 日、ベトナムのハノイにおいて第33 回国際宝石学会(IGC) が開催されました。弊社研究室の技術者が出席し、本会議における口頭発表を行いましたので、以下にご報告致します。

◆国際宝石学会(IGC) とは

国際宝石学会(International Gemmolog ical Conference)は、多くの国際的に著名な地質学者、鉱物学者、先端的なジェモロジストなどで構成されており、宝石学の発展と研究者の交流を目的に原則2 年に1 度本会議が開催されています。
この会議の発祥は1952 年、ドイツでの第1 回会議まで遡ります。それ以降はオランダ(1953)、デンマーク(1954)、イギリス(1955)、ドイツ(1956)、ノルウェー(1957)、フランス(1958)、イタリア(1960)、フィンランド (1962)、オーストリア(1964)、スペイン(1966)、スウェーデン(1968)、ベルギー(1970)、スイス(1972)、アメリカ(1975)、オランダ(1977)、ドイツ(1979)、日本(1981)、スリランカ(1983)、オーストラリア(1985)、ブラジル(1987)、イタリア(1989)、南アフリカ(1991)、フランス(1993)、バンコク(1995)、ドイツ(1997)、インド(1999)、スペイン(2001)、中国(2004)、ロシア(2007)、タンザニア(2009)、スイス(2011)と引き継がれ、今回のベトナム、ハノイで33 回目を迎えました。発足当初はヨーロッパの各国で毎年開催されていましたが、近年では2 ~ 3 年に1回、ヨーロッパとそれ以外の地域の各国で交互に開催されています。筆者の一人、北脇は1999 年のインド以降、続けて参加しており、江森は2007 年のロシアに続き2 回目の参加となります。また、弊社研究室技術顧問の赤松氏は今回が初めての参加となります。
時の流れとともにその顔ぶれには多少なり変化が見られるようですが、他の一般的な国際会議とは異なり、IGC では今日もなお、クローズド・メンバー制が守られています。 メンバー(Delegate)は原則的に各国1~ 2 名で、現在33 カ国からの参加者で構成されています。メンバー制は排他的な一面がある反面、メンバーたちのアットホームで親密な交流が保たれています。ジェモロジストの国境を超えたファミリーという認識です。今回はメンバーとオブザーバーを合わせておよそ100 名が会議に出席しました。
日本からは弊社研究室技術者以外に古屋正貴氏、大久保洋子氏がオブザーバーとして会議に出席されました。

◆開催地

今回、開催の地となったハノイは、ベトナム社会主義共和国北部に位置する同国の首都です。人口およそ700 万人弱で、南部のホーチミンに次ぐ第二の都市です。商業都市であるホーチミンに比べて、政治・文化の中心都市として喩えられます。ホーチミンが活気に溢れ、日々目まぐるしくその姿を変えているのに比べ、街中を、ノンラー(藁でできた笠帽子)をかぶって天秤を担いだ行商達が闊歩している光景に代表されるように、ハノイはまだ至るところに昔ながらの風情を漂わせています。しかし、この10 年ほどで都市部には飛躍的にオートバイの数が増え、ほとんど信号機のないハノイ市内の道路では歩行者が横断するのもままならないほどです。
会場となったLAKE SIDE HOTEL はハノイ市の西部にある客室78 の中規模のホテルです。ノイバイ国際空港から20km 強の距離ですが、ハノイ市内の繁華街からは5 ~ 6km と立地条件もよく、ホテル名のとおり、小さな湖に面した静かな環境で学会の会場として申し分ありません。また、ホテルの館内および室内には無料のWi-Fi 環境も整っており、特に外国人旅行者の滞在を快適にしています。

◆第33 回国際宝石学会議

今回の第33 回国際宝石学会は、
◇ Pre Conference Tour ; 10 月10 日(木)~ 12 日(土)
◇ 本会議 ; 10 月12 日(土)~ 16 日(水)
◇ Post Conference Tour ; 10 月17 日(木)~ 19 日(土)
この3 本立てで行われました。本会議前後のConference Tour は、開催地周辺のジェモロジーや地質・鉱物に因んだ土地や博物館などを訪ねます。今回はPre Conference Tour でハロン湾の真珠養殖が視察できるとあって赤松氏が参加し、Post Conference Tour ではLuc Yen のルビー鉱山が見学できるため北脇、江森が参加しました。

レイクサイドホテル内のカンファレンスホール
レイクサイドホテル内のカンファレンスホール
◆本会議

本会議に先立って12 日(土)18 時より同ホテルにてレセプション・パーティが開催されました。各々の国から馳せ参じた旧友たちが2 年ぶりに再会する瞬間です。お互いの健康や研究成果を讃えあい、旧交を温めます。これから始まる長丁場の本会議を迎える大切な儀式といえます。13 日(日)の本会議は主催者のベトナム国際大学のPhung X uan Nha 氏の挨拶に続き、本学会を支援するDOJI Gold & Gems Group のCEO Do Minh Phu 氏が祝辞を述べました。そしてIGC のExecutive Committee を代表してJayshree P anjikar 氏が開会の挨拶を行いました。引き続き、一般講演が開始されますが、第一セッションの開始前に座長のEmmanuel Fritsch 氏の音頭により、昨年永眠された砂川一郎先生とGeorge Bosshart 氏に対して哀悼の意を表し、悼んで1分間の黙祷が捧げられました。
本会議における一般講演は13 日(日)~ 16 日(水)までの4 日間、朝9 時から夕方5 時までびっしりと行われました。各講演は質疑応答を含めて持ち時間各20 分で行われ、合計41 題が発表されました。うち、ダイヤモンド関連は5 題、コランダム関連10 題、ベリル、クリソベリル、スピネル、ガーネット関連7 題、トパーズ、ゾイサイト、フェルスパー、クォーツ、ジェード、光学効果関連6 題、ガラス、歴史的ジュエリー、産地関連6 題、真珠関連7 題でした。弊社研究室からは北脇がダイヤモンドのUV ルミネッセンス像について、江森がコランダムのBe 処理の現状について、赤松氏が真珠産業の現状と未来についてそれぞれ講演を行いました。
最終日の16 日(水)の午前はショートエクスカーションとして、参加者全員でハノイ市内にある首相官邸を訪問しました。本来、プログラムにはなかったイベントですが、豪華な内装が施された官邸内への入場を許可され、副首相であるNguyen Thi Doan 氏が迎えてくれました。今回の国際宝石学会IGC をサポートしたDOGI グループの人脈に加えて、ベトナム経済の宝飾産業への期待の現れが感じ取れます。

首相官邸にてNguyen Thi Doan副首相(中央黒服の女性)とExecutive Committee
首相官邸にてNguyen Thi Doan副首相(中央黒服の女性)とExecutive Committee
◆ポスター・セッション

プログラムには17編のポスターが予定されていましたが、キャンセルも多く、実際には4 日間の本会議開催中、会場には10編ほどのポスターが張り出されました。各セッションの合間の休憩タイムには熱心にポスターに見入る参加者の姿が見られました。また、14 日と15 日の午後にはコア・タイムが設けられ、各ポスターの執筆者が自身のポスターの前に立って説明を行いました。

 

IGC33-Pre Conference Excursion 報告

赤松 蔚

去る10 月10 日~ 16 日ベトナムのハノイを中心に開催されたIGC33 に参加させていただいたので、その報告を以下に行ないます。

1.Pre-Conference Excursion 参加

10 月10 日~ 12 日ハロン湾で開催されたPre-Conference Excursion に参加させていただいた。事前の案内でこのExcursion にハロン湾の真珠養殖場見学が含まれていたので、参加をお願いした次第である。9 日夜遅くハノイのホテルに到着したが、Excursion は翌10 日朝早くハノイを出発する予定になっていたので、かなり眠かったが2 泊3 日用の荷物をリュックにつめる作業をした。10 日朝リュック以外の荷物はホテルに預け、ハノイを出発し、バスで4 時間ほどかけてハロン湾へ移動した。
Excursion の参加者は45 名で、顔見知りのメンバーも何人かいた。ハロン湾についてホテルチェックイン。2 人部屋で私は山梨の日独宝石研究所所長古屋正貴氏と同室になり、いろいろ話しをする機会に恵まれた。翌11 日33 の宿泊部屋を持つ大型遊覧船に乗りハロン湾巡りをした。途中立ち寄ったスン・ソット洞窟は、大講堂のような洞窟が3 つもあり、そのスケールに圧倒された。その後ハロンパール養殖場を見学したが、やらせ半分、実作業半分の印象を受けた。核入れデモンストレーションでは、実作業ではあり得ないような1 年8 ヶ月の小さなアコヤガイに6 ~ 6.5 ミリの核を挿入し、養殖期間は3 年と説明していた。
一方養殖場の片隅では死んだ貝から核を回収していたが、そこでの核サイズは5 ミリのようだったので、実際は2 年弱の母貝に5 ミリの核を入れ、1 年養殖して6 ミリ珠を作っているように思われた。作業場の反対側の海にはかなり多くの抑制籠が吊るされており、これから判断すると20 ~ 40 万貝位実際に養殖しているように思われた。養殖場内で販売されている真珠はかなり低品質のもので、半分以上は中国産淡水真珠のように思われた。
12 日は9 時にホテルを出発。ハイキング組とカヤック組に分かれての行動だった。私は水着を持っていなかったので、ハイキング組に入り、それほど高くはないがかなり急階段の続く山に登った。10 時半船に戻り、信じられないような時間に昼食を食べた。午後1 時下船してバスでハロン湾を発ってハノイ戻り。昨日ベトナムの英雄ボ・ヌエン・ザップ将軍が亡くなられたということで、沿道には黒いリボンのついたベトナム国旗が多く掲げられていた。6 時ホテルに着いてこれでExcursion が終了した。7 時ホテル内でレセプションパーティーが始まり、本会議が始まった。

ハロン湾遠景
ハロン湾遠景
2.本会議出席

12 日~ 16 日ハノイ、レークサイドホテル6階で開催されたIGC33 本会議に出席した。真珠関係の発表は14 日で、私の発表を含め8 つあり、私は「養殖真珠の現状と今後の展望」というテーマで、これからの真珠養殖は「労働集約型」から「技術集約型」へ転換し、母貝資源、漁場環境に配慮し慮視、少量高品質の真珠を作るべきであると発表した。

ハロン湾の真珠養殖場
ハロン湾の真珠養殖場
真珠の核入れ作業のデモンストレーション
真珠の核入れ作業のデモンストレーション

 

IGC33-Post Excursion 報告

江森健太郎

本会議の翌日より三日間(10 月18 日~ 10 月20 日) の日程でベトナムのLuc Yen 鉱山( 右写真) とLuc Yen Gem Market を訪問しました。

1. ベトナムのルビー

ベトナムは非常に宝石が豊な国々に囲まれているにもかかわらず、宝石産出の可能性については1980 年代まで知られていませんでした。1983 年、ハノイの北にあるHam Yen( ハム イェン) とAn Phu( アン フー) でコランダムの産出が報告され、1987 年に試掘が開始されました。また、同じ年にある地質学者がYen Bai( イェン バイ) 省のLuc Yen( ルク イェン) 地区の近郊でルビーを発見し、地元政府の関心を引きました。 1989 年11 月から1990 年3 月までの5 か月間にLuc Yen 地区の鉱床1 ヶ所から原石ピンクサファイアやルビーが300 万ct 以上産出しています。このLuc Yen 地区の鉱床からピンクサファイア、ルビーの他にバイオレットカラーのスピネル、ブルーサファイア、トルマリン、クリソベリルが宝石市場に出ています。
ベトナムからルビーが産出された当時、日本では「ベトナム・ルビー鉱区は実在するのか?」「ベトナムのルビーはほとんどが合成石」という噂が流れましたが、TV等メディアで鉱山が紹介されたこともあり、このような噂は払拭され、ベトナム産ルビーは広く認知されています。なお、現在ではベトナム産のルビーでは、スタールビーが有名になっています。
今回のPost Excursion で、このLuc Yen 鉱山の採掘現場を見学してきたので報告を行います。

Luc Yen 鉱山

2.Luc Yen 鉱山

Post Excursion は約60 名( 中央宝石研究所からは北脇、江森) が参加しました。10 月18 日、我々はハノイを出発し約10 時間、2 台のバスに揺られLuc Yen の町に到着しました。Luc Yen はTay( タイ) 族、Dao( ザオ) 族、Nung( ヌン) 族等少数民族が農作を主に生活をしていた地域でしたが、良質のルビー鉱床が発見され急速に様変わりしたという話です。10 月19 日バスに乗り、Luc Yen 鉱山を目指しました。天候は残念ながら雨でした。バスで1 時間ほど移動し、我々は鉱夫達が住む村へと到着しました。
村からLuc Yen 鉱山までは悪路のため、徒歩で鉱山に向けて進みます。途中、40 分程度進んだところに二次鉱床があり、鉱床の傍にあるテントで採掘されたサンプルを見学してきました( 写真)。

二次鉱床。雨のため、作業は行われていませんでした。
二次鉱床。雨のため、作業は行われていませんでした。

この二次鉱床より1時間半近く、細い山道を登ることになります。雨のため、地面はぬかるんでおり、急な斜面では滑ってしまう見学者も多く、道中は様々な困難に出くわすことになり、見学者の中には途中で引き返すことになった人たちも多くいました。到着したLuc Yen 鉱山は、天候のため作業している鉱夫はいませんでしたが、大理石の中に埋まった沢山の宝石原石を見出だすことができました。
Luc Yen 鉱山でルビーを見つけることはできませんでしたが、大理石の中に埋まったスピネル( 写真) とパーガサイトを採取しました。

二次鉱床の傍のテント内の様子
二次鉱床の傍のテント内の様子
Luc Yen鉱山で見つけたスピネル
Luc Yen鉱山で見つけたスピネル

Luc Yen 鉱山の見学、サンプル採取を終えた我々は村まで歩き、バスでLuc Yen まで戻ります。夕食を済ませた後、学校の講堂で地元の方々より、伝統音楽、ダンス等を披露していただき、歓迎していただきました。

4.Luc Yen Gem Market

10 月20 日朝7 時に朝食を済ませた我々はLuc Yen Gem Market へと向かいました。Luc Yen Gem Marketは一見するとただの公園のようにも見えますが、時間になると小さな木製の机を持ってきた売り子が次々と腰を下ろし、机の上にスピネル、ルビー、サファイア等様々なルースやカット石を並べ商売をはじめます。商品の値段は書かれておらず、売り子と交渉して値段を決めなければなりませんでした。値段交渉の際、売り子は現地の通貨単位であるベトナムドン( VND) での値段を提示きましたが、US ドル(US$) での交渉も可能でした。しかし、VND とUS$ の変換レートがいい加減で、どちらで購入したほうが得であるのかは値段を聞くまでわかりません。また、現金を沢山持っているのを見られてしまうと、スリが近寄ってくるので注意が必要です。このGem Market の売り子は他に職業を持っている方が大勢で本業の前にこの市場に石を販売に来ていますので、1時間程度で市は閉まるそうです。我々は朝9 時に市を去り、また10 時間程度バスに乗りハノイへと戻り、三日間のPost Excursion は終了ました。

Luc Yen Gem Market の様子。軒下に木の台を並べて宝石を販売しています。
Luc Yen Gem Market の様子。軒下に木の台を並べて宝石を販売しています。
購入するサンプルを品定めする様子
購入するサンプルを品定めする様子

宝石学を研究する上で、今回のPost Excursion のように鉱山まで赴き、母岩付きの原石を自らの手で入手することは意義のあることです。宝石の特徴はその母岩の構成、組成と深く関係があります。母岩に含まれる微量元素は宝石結晶に含まれる微量元素と深く関係があるため、微量元素の分析を用いた産地鑑別法を行う上で大きな情報源となります。中央宝石研究所研究室ではこれからも産地鑑別の精度向上のため、確かな原産地情報を集めていく予定です。

真珠講座4 『養殖真珠の現状と将来の方向』

赤松 蔚

前回は養殖真珠がどのようにして発明され、今日に至ったかについて述べた。今回は養殖真珠の現状はどうなっているのか、また将来どの方向に進むかについて述べる。

1.養殖真珠の現状

1)アコヤ真珠の低迷

日本のアコヤ真珠養殖は1992年に発生した新種プランクトン「ヘテロカプサ」(写真1)による赤潮、更に1994年に発生した感染症が現在も続いており、この2つの原因により、アコヤガイが大量にへい死し、生産される真珠は量、質共に大きく低下した。ヘテロカプサ赤潮は魚類には全く影響を与えず、アコヤガイ、アサリ、カキなどの二枚貝のみを狙い撃ちする強烈なもので、アコヤガイの体内にヘテロカプサが入るとアコヤガイは数分で死ぬ。ヘテロカプサは台風や異常高水温などによって海底の泥が撹拌された時急に増殖して赤潮を引き起こすと言われている。

写真1:赤潮ヘテロカプサ
写真1:赤潮ヘテロカプサ

一方感染症は肉質部、特に貝柱が損傷を受け赤変化し、摂餌機能や血液輸送機能が著しく低下し、代謝機能に障害を起こして死に至る(写真2)。これらに対する対策が研究され、赤潮に対してはアコヤガイを生物センサーとする赤潮予知システム「貝リンガル」が開発された。また感染症に対してはこの病気の進行が水温に極めて強く依存していることがわかり、水温が16℃以下になると病気の発症が抑えられることがわかり、「低水温負荷」により感染した貝を水温16℃以下の環境に置くことで、発病を防ぐことが可能になった。

写真2:上段・健康なアコヤガイ、下段・感染症アコヤガイ
写真2:上段・健康なアコヤガイ/下段・感染症アコヤガイ
2)養殖真珠のグローバル化

かつて日本には「真珠養殖事業法」という法律があり、日本の養殖真珠産業はこの法律によって手厚く保護されていた。そしてその中には水産長官通達の「海外真珠養殖3原則」も含まれていた。これは①養殖真珠技術の非公開、②海外で養殖された真珠はすべて日本に持ち帰ること、③海外で真珠養殖を行う際、どこでどんな母貝を使用し、どれだけ生産するかをあらかじめ届け出て許可を得ること。海外でのアコヤ真珠養殖の禁止、というものであった。別の言い方をすれば、日本の真珠産業を守るため、この3原則によって養殖真珠のグローバル化が阻止されていたのである。

しかし1970年代に入るとこの3原則をかいくぐって養殖技術が海外に流出していった。 そして海外真珠養殖は次第に日本人の手を離れ、現地人、現地資本、現地技術による方向へと展開していった。特に1992年に発生したヘテロカプサ赤潮、1994年に発生した感染症により、日本のアコヤ養殖真珠は量、質共に大きな低下を余儀なくされた。このため多くの国内外の真珠業者はアコヤ真珠からシロチョウ、クロチョウなど、他の母貝真珠にシフトして行った。その結果、シロチョウ真珠、クロチョウ真珠の生産が急速に伸び、グローバル化が加速されて行った。そしてこの傾向は1997年末の真珠養殖事業法の廃止と共に一段と顕著になった。

一方中国では1971年からカラスガイで養殖されたわずか160匁の淡水真珠が日本に初めて輸入された。それから42年、現在の2013年のヒレイケチョウガイ(三角貝)で生産された淡水真珠の量は1500トン(40万貫)を越えていると言われ、実に2,500倍にも拡大するとは誰が予想出来たであろうか。この中国産淡水養殖真珠もグローバル化に拍車をかけていることは事実である。

養殖真珠のグローバル化は真珠産業構造に大きな影響を与えている。それは真珠に対する価値観の多様化である。かつてアコヤ真珠が市場の大半を牛耳っていた時の真珠の価値観が、アコヤ真珠の影響力の低下に伴い、真珠生産国それぞれの価値観で真珠が作られるようになった。例えばオーストラリアではまだ宝石的、あるいは高級宝飾品的真珠を作ろうというコンセプトが養殖の中心を占めているが、インドネシア、タヒチではこれがかなり危うくなり、養殖した真珠は上から下まで全部売ってしまいたいという考えになり、中国になると養殖業者は本当に宝飾品を作ろうとして真珠を作っているのだろうかと疑いたくなる。たまたま養殖した真珠のトップを宝飾業者が宝飾品として買ってくれる。その下の品質のものは土産物屋が土産物の材料として買ってくれる。さらにその下は粉末にすれば化粧品メーカー、食品メーカー、製薬会社が原料として買ってくれる。要するに養殖真珠は上から下まで全くロスのない商品と考えているようである。
真珠核についても日本は100年以上前の養殖当初の淡水産二枚貝を丸くしたものを守っているが、日本以外の生産国では「真珠袋が形成されるものであれば何でもOK」ということになる。ここらで養殖真珠の基本コンセプトを固めないと、とんでもない方向へ行ってしまいそうな雰囲気である。

写真3:中国人核入技術者(タヒチ)
写真3:中国人核入技術者(タヒチ)
3)低価格指向の真珠市場

現在アコヤ真珠に限らずすべての養殖真珠が値段の安い方へと突き進んでいる。例えばテレビショッピングでは8mmのアコヤネックレスが「にっきゅっぱ」すなわち29,800円と、考えられないような価格で登場してくる。どれだけ良い真珠を作ってもそれが正当な値段で評価されなくなり、真珠の値段が市場価格に引っ張られて下がり始めると、浜揚真珠の売上で養殖コストを吸収出来なくなり、無理な養殖コストダウンが始まる。また取扱い真珠の値段が下がれば品質もそれに呼応して下がり、この品質低下を加工処理で補おうとする。

① 無理な養殖コストダウン

現在養殖コストダウンで主に行われているのは安い核への転換と人件費の削減である。核のコストダウンは全ての養殖真珠で行われているが、その出方は母貝によって異なる。
アコヤ真珠では従来の米国産淡水産二枚貝で作られたものから、中国で淡水産真珠養殖に使用されたヒレイケチョウガイ(三角貝)の貝殻で作られたものに代わりつつある。ところがこの淡水産二枚貝で作られた核は色付きが多く、そのためロンガリットという還元剤による漂白や、蛍光増白剤処理されたものが市場に出ている。漂白核は脆く、穴をあけると割れるという問題があり(写真4)、また蛍光増白剤処理核は紫外線を照射すると、真珠は本来持っていない蛍光を発するということで、いずれも日本では使わないことにしているが、実際はかなりの量が出回っているようである。

写真4:シャコ核、通常穴開けで破損
写真4:シャコ核、通常穴開けで破損

一方シロチョウ真珠では貼合せ核が問題になっている。シロチョウ真珠養殖に使われる核はサイズが大きく、これを米国産淡水産二枚貝で作るとかなり値段の高いものになる。そこで中国産のヒレイケチョウガイを板状にし、4、5枚貼合せて厚みをかせいで大きな核にする、あるいは中国産ドブガイを3枚貼合せた核が使用されて真珠が作られる。貼合せ核はエポキシ系接着剤で接着されているので、虐待試験で剥がれることがわかった。また4、5枚貼合せたものは貼合せ面に穴あけ針が当たると核が割れたという報告もある。
タヒチでクロチョウ真珠養殖に使用されるシャコ核は問題がかなり深刻である。シャコ核の原料となるシャコガイは二枚貝中最大のものであるから、いくらでも大きな核を作ることが出来、値段も通常核の百分の1位とのことである。ところがこのシャコガイの採取はワシントン条約付属書Ⅱで規制されているが、中国はそれを無視して違法のシャコ核を製造しているわけである。
シロチョウ、クロチョウ真珠の場合、問題のある核が日本を経由しないで中国から直接養殖地域に送られ、真珠になって初めて日本に入ってくるので、真珠層で覆われたこうした核を非破壊で鑑別することになるが、これがほとんど不可能に近い状態である。現在市場にはこうした核で養殖された真珠がかなり出回っていると思われる。

人件費の削減では4年ほど前、オーストラリアの大手真珠業者の養殖場を見学した際、多くの外国人が雇われ、主に貝掃除などの仕事をしていた。これらの仕事はかつて「バックパッカー」と呼ばれるオーストラリアの若者たちによって支えられていたが、これが外国人に代わったということは人件費削減が原因であろう。一方タヒチでは核入をしていた日本人がほとんど中国人に代わったと聞いている。日本人1名雇う賃金で中国人数人雇えるからであろう。しかし中国人の挿核技術者は日本人に比べるとかなり劣ると言われ、特に中国人の大半が大きな核を入れる技術を持たないため、生産される真珠が小サイズ化し、10mm以上の良質真珠の割合が減ったようである。安い核を使用し、安い人件費で真珠を作っても良い真珠が出来ず、その結果真珠に余り良い値段がつかない。そこで更に無理な養殖コストダウンが行われる。こうした悪循環は今後も続きそうである。

② 加工処理の高度化、巧妙化

真珠市場が低価格指向になれば、低価格でもそこそこ利益の取れる真珠で対応しなければならない。その結果真珠の品質も下がり、正しく「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則状態になる。そしてこの品質低下を如何に良く見せるかという加工処理が非常に高度化、巧妙化している。こうした加工処理例をいくつか以下に示す。

ⅰ)前処理
前処理は真珠の色やテリを良く見せるため、シロチョウ真珠に広く行われている処理である。前処理は本来アコヤ真珠の漂白を効果的に行うため、漂白前に行われる予備処理であった。つまり前処理の「前」は漂白の前の意味であった。ところが前処理が淡水真珠に、そして最終的にシロチョウ真珠に移り、処理方法もアコヤとは大きく異なるようになった。「前処理」は非常に都合の良い言葉で、何をやっても前処理で片付け、具体的な処理方法は全く示されていない。具体的には加温有機溶剤への浸漬、研磨などであるが、漂白もかなり行われているようである。

ⅱ)ゴールデン染め
これはアコヤ真珠、シロチョウ真珠に行われている染色である。かつての染色とは異なり、最近のゴールデン染めは高温、高圧で染料を真珠表面から浸透させる方法で行われるため、無穴の珠でも行われ、処理の有無の鑑別が非常に難しくなっている(写真5)。昨年染色されたゴールデン真珠が香港のジュエリーショーで「ナチュラルカラー」として販売され、大きな問題になった。

写真5:染色ゴールデンパール
写真5:染色ゴールデンパール
(下から2列目のみナチュラルカラーのゴールデンパール)

ⅲ)着色処理
これは染料によらず、化学薬品で真珠の色調を変える方法である。具体的には、硝酸銀による黒染めが最も一般的である(写真6)。

写真6:硝酸銀染めアコヤブラック真珠
写真6:硝酸銀染めアコヤブラック真珠

ⅳ)放射線照射
シロチョウ真珠に放射線(γ線)を照射して色調をシルバーに変えたものが最近市場に出始めた。そしてこの真珠がゴールデン同様、香港のジュエリーショーで「ナチュラルカラー」として販売され、これを購入した韓国の業者が鑑別機関に出したところ、放射線処理と鑑別されたことから問題が表面化した。放射線処理されたかどうかの検証は中央宝石研究所でも行われ、処理を確認した(写真7)。(CGL通信 No.13 参照

写真7:真珠処理放射線照射
写真7:上から1本目と2本目アコヤの放射線処理、
      上から3本目と4本目中国淡水真珠の放射線処理、
      一番下のみナチュラルのブラックパール

ⅴ)シロチョウ真珠のピンク染め
これはホワイト系のシロチョウ真珠にゴールデン染め同様高温高圧でピンク系の染料を珠表面から浸透させるものである。アコヤ真珠の未加工珠は大体グリーンから黄色味を帯びているので、先ず漂白で白くしてから色をつけるが、ホワイト系のシロチョウ真珠は元来白いので、漂白を経由せずいきなり染色できる。漂白処理されていないのでコンキオリン蛋白の傷みもなく、分光光度計による染色チェックも難しいので、ナチュラルカラーと鑑別されてしまう恐れは十分ある。

2.養殖真珠の将来の方向

これまで見てきたように市場の低価格指向に引っ張られ、コストをかけてでも高品質の真珠を作ろうとする機運が失われつつあるのは残念である。このまま突き進んで行けば一体養殖真珠はどうなるのかという危惧さえ感じられる。こうした中にあって国内の大手真珠企業がこれまでの労働集約型真珠養殖から技術集約型に転換したことは注目に値する。またこの技術集約型真珠養殖のモデルとして福岡県の相島(あいのしま)で新たな養殖を開始している。この相島の真珠養殖はアコヤ真珠のみならず、全ての養殖真珠が将来進むべき方向を示しているように思われる。

写真8:相島で養殖されたアコヤ真珠
写真8:相島で養殖されたアコヤ真珠
 1)労働集約型真珠養殖から技術集約型真珠養殖への転換

労働集約型真珠養殖の特徴は量拡大基調と経験、勘に頼る真珠養殖である。先ず量拡大基調であるが、どの業者も出来るだけ沢山真珠を作ろうと貝の数を増やすので、漁場環境は悪化し、母貝は弱体化する。その結果生産される真珠の品質も中~下が多くなるが、そこは量でカバーしようとする。また経験と勘に頼る真珠養殖では、ヘテロカプサ赤潮や感染症が発生すると全くなす術もなく、貝を大量へい死させ、その対策として試行錯誤的に中国産とのハーフ貝を大量に作り、純国産のアコヤガイが絶滅に追い込まれるほど母貝資源破壊を招いたりしている。
一方技術集約型真珠養殖では、少量、高品質、希少価値のある真珠つくりを目指し、母貝の資源保護や漁場環境の保全にも注意を払っていて、漁場の適正規模を守り、純国産アコヤガイを使用し、養殖活動によって生じた廃棄物は全て陸上で処理(ゼロエミッション)している。漁場環境は最新の環境測定機器を用いて科学的に管理され、母貝もゲノム解析など、遺伝子レベルで管理されている。

2)技術集約型真珠養殖モデルの相島真珠養殖

2007年大手真珠企業は福岡県の玄界灘にある相島(あいのしま)で新たなアコヤ真珠養殖へのチャレンジをスタートさせた。これは120年前半円真珠養殖に成功した御木本幸吉の「天然真珠に負けない真珠を自分の手で作る」という夢の再現である。この相島で技術集約型の真珠養殖が実践されているが、その特徴は次の通りである。

 ① 母貝資源の確保

相島に生息する純国産アコヤガイのみを天然採苗で集め、養殖に必要な数量が確保されれば残りは全て海に戻し、母貝資源を確保している。

② 漁場環境の保全

養殖する貝の数を漁場自浄可能範囲に留め、ゼロエミッションを実施し、真珠養殖作業のよって発生した廃棄物は全て陸上処理し、漁場を汚さない。

③ 宝石的価値を有する真珠の生産

養殖期間を2年以上とし、厚マキ、宝石的価値のある大珠を生産する。

④ 宝石的価値を有する真珠の生産

ゲノム解析による貝の特性分析、真珠形成理論に基づいた核入技術など、新技術により養殖技術の向上を図る。

⑤ 後継者の育成、地場産業としての貢献

地元の若年層を中心に後継者の育成を行い、地場産業として貢献する。

以上のようなこれまでの労働集約型真珠養殖とは異なる養殖を実施し、2012年最初の浜揚を行った結果、商品になる真珠の割合が極めて高く、8ミリアップの大珠の割合も多かった。またマキは片側1mm以上あり、最も巻いたものは2mm以上あった。このように技術集約型真珠養殖を実施すれば、宝石的価値のある真珠が間違いなく得られる。これは相島のアコヤ真珠養殖に限らず、全ての養殖真珠の将来取るべき方向を示唆していると思われる。

日本鉱物科学会2013年年会

去る9月11日(水)から13日(金)までの3日間、筑波大学第1エリアにて日本鉱物科学会の2013年年会が行われました。弊社からは2名の技術者が参加し、それぞれ発表を行いました。以下に年会の概要を報告いたします。

筑波大学内、石の広場にて
筑波大学内、石の広場にて
日本鉱物科学会とは

日本鉱物科学会(Japan Association of Mineralogical Sciences)は平成19年9月に日本鉱物科学会と日本岩石鉱物鉱床学会の2つの学会が統合・合併され発足し、現在は大学の研究者を中心におよそ1000名の会員数を擁しています。 日本鉱物科学会は鉱物科学およびこれに関する諸分野の学問の進歩と普及をはかることを目的としており、「出版物の発行(和文誌、英文誌、その他)」、「総会、講演会、研究部会、その他学術に関する集会および行事の開催」「研究の奨励および業績の表彰」等を主な事業として活動しています。

日本鉱物科学会2013年年会

会場となった筑波大学は1872年(明治5年)に日本で最初に設立された師範学校を創基とする東京教育大学を前身とする大学で、その創立は日本で最も古い大学の一つです。大学に対する内外からのいろいろな要請にこたえるため、日本ではじめて抜本的な大学革命を行い1973年(昭和48年)10月に「開かれた大学」「教育と研究の新しい仕組み」「新しい大学自治」を特色とした総合大学として発足しました。
地理的には茨城県つくば市の中央部、筑波山の南側にあります。交通手段としてはつくばエクスプレスつくば駅からバスが定期的に出ており、アクセスに不便はありません(なお、東京駅から30分に1本直通バスも出ています)。

筑波大学正門
筑波大学正門

一日目、11日(水)の午前9時30分より「高圧科学・地球深部」「地球内部・高圧化学」「宇宙物質」「水-岩石相互作用」「岩石-水相互作用」のセッションが行われました。「地球内部・高圧化学」「水-岩石相互作用」の二つは同時に開催されていた地球化学会との共通セッションです。また別会場でポスターセッションが同時に開催されていました。12時~14時はポスターセッションのコアタイムに指定されており、ポスター発表者による説明、質疑応答、議論などが活発に行われていました。なお、ポスター発表は学会開催期間3日間を通して行われており、3日間ともコアタイムはたくさんの人で賑わっていました。

ポスターセッションのコアタイムの様子
ポスターセッションのコアタイムの様子

二日目、12日(木)の午前9時より鉱物科学会の総会、10時10分より鉱物科学会受賞講演がありました。

日本鉱物科学会会場入口
日本鉱物科学会会場入口

平成24年度日本鉱物科学会賞第9回受賞者で東京大学大学院理学系研究科の永原裕子教授の講演、同第10回受賞者で国立大学博物館の宮脇律郎氏の講演、平成23年度日本鉱物科学会研究奨励賞第11回受賞者で広島大学大学院理学研究科の宮原正明氏、同第12回受賞者で東北大学大学院環境科学研究科の岡本敦氏の講演がありました。

鉱物科学会賞受賞講演の様子
鉱物科学会賞受賞講演の様子

受賞講演終了後、午後14時から「鉱物記載・分析評価」「深成岩・火山岩及びサブダクションファクトリー」のセッションがあり、弊社研究者は「鉱物記載・分析評価」のセッションで「LA-ICP-MSを用いた宝飾用含ベリリウムコランダムの分析」と「宝飾用CVD合成ダイヤモンドの物性評価と鑑別」の2件の講演を行いました。会場はほぼ満席で立ち見もでており、鉱物学者達の宝石学への興味は年々増加している様子が感じられました。
三日目の13日(金)は9時30分より「変成岩とテクトニクス」「岩石・鉱物・鉱床一般」「結晶構造・結晶化学・物性・結晶成長・応用鉱物」「地球表層環境における鉱物科学」「火成作用と流体」のセッションが行われました。「結晶構造・結晶化学・物性・結晶成長・応用鉱物」のセッションで愛媛大学地球深部ダイナミクス研究センターの大藤弘明氏のグループがロシアのpopigai(ポピガイ)・クレーターから発見されたImpact Diamond(衝突ダイヤモンド)の最新の研究結果を発表していました。popigai(ポピガイ)には1兆カラットものダイヤモンドが存在すると報告されているが、産出されるダイヤモンドは隕石の衝突でできた衝突ダイヤモンドでグラファイトのマルテンサイト固様変態から生じた多結晶ダイヤモンドであり、宝飾用にはなりえないダイヤモンドで、工業用の用途として期待されるという話でした。

鉱物学は宝石学と密接な関係があり、毎年開催される鉱物科学会年会は最先端の鉱物学研究が発表され、これらを聴講することで最先端の鉱物学に関する知見が得られます。また、鉱物科学会年会で発表することで、普段接する機会が少ない研究者の方々からのアドバイスを得ることができます。来年も鉱物科学会年会に参加し、中央宝石研究所で行っている各種宝石についての研究をさらに深めていく予定です。

真珠講座3『真珠養殖のグローバル化』

赤松 蔚 

1907年アコヤガイによる真円真珠養殖発明に刺激され、ほとんど間を置かず、シロチョウガイ、クロチョウガイ、マベ、イケチョウガイといった他の真珠貝による真珠養殖への挑戦が始まった。ある者はフィリピン、パラオ、インドネシアへ、又ある者は沖縄、奄美大島へ、そして又ある者は琵琶湖へと真珠の夢を追い求めて行った。先ずシロチョウ真珠養殖では、三菱の岩崎男爵が1916年フィリピンのミンダナオ島サンボアンガ近くで、藤田輔世の下で養殖に着手している。又パラオでは1920年御木本が最初に養殖場を開き、成功を収めた。一方インドネシアのブートンでは1920年藤田輔世がサウスシーパール会社を設立、アラフラ海のシロチョウガイを使用して真珠養殖を行った。クロチョウ真珠養殖については1914年御木本が沖縄の名蔵湾で養殖を開始し、1921年パラオでも手がけている。マベ半形真珠養殖が最初に試みられたのは1908年で、猪谷壮吉らの名がそこに残されている。淡水真珠養殖は藤田昌世によって1924年具体化し、琵琶湖でカラスガイに核を入れる方法でスタートさせたが、その後母貝をイケチョウガイに変えている。このように各地で色々な母貝を使用して真珠養殖が開始されたものの、全ては第二次大戦により中断を余儀なくされた。

戦後海外での真珠養殖は大きく展開して行った。海外における真珠養殖で、中国のアコヤ真珠養殖、淡水真珠養殖を除くその他で日本が優位に立てたのには、かつて日本には「真珠養殖事業法」という法律があり、日本の養殖真珠産業はこの法律によって手厚く保護されていたからである。特に水産庁長官通達の「海外真珠養殖3原則」は、(1)養殖真珠技術の非公開、(2)海外で養殖された真珠はすべて日本に持ち帰ること、(3)海外で真珠養殖を行う際、どこでどんな母貝を使用し、どれだけ生産するかを予め届け出て許可を得ること。海外でのアコヤ真珠養殖の禁止、というものであった。別の言い方をすれば日本の真珠産業を守るため、この3原則によって養殖真珠のグローバル化が阻止されていたのである。しかし1970年代に入るとこの3原則をかいくぐって養殖技術が海外に流出し始め、海外真珠養殖は次第に日本人の手を離れ、現地人、現地資本、現地技術による方向へと展開していった。特に1992年に発生したヘテロカプサ赤潮、1994年に発生した感染症により、日本のアコヤ養殖真珠は量、質共に大きく低下し、このため多くの国内外真珠業者がアコヤ真珠に見切りをつけ、シロチョウ、クロチョウなど他の母貝真珠にシフトして行った。その結果シロチョウ真珠、クロチョウ真珠の生産量が急速に伸び、養殖真珠のグローバル化が加速されていった。そしてその傾向は1998年末の真珠養殖事業法の廃止と共に一段と顕著になった。

次に現在の真珠のグローバル化についてシロチョウ真珠、クロチョウ真珠、淡水真珠を中心に以下に述べる。またその他の真珠についても最近の情報を報告する。

写真1:シロチョウガイ ゴールドリップ

写真1:シロチョウガイ ゴールドリップ

写真2:シロチョウガイ シルバーリップ

写真2:シロチョウガイ シルバーリップ


1.シロチョウ真珠養殖

第二次大戦後養殖は1954年ビルマ(現ミャンマー)で再開されたがその後中断し、1950年代後半から1960年代に入るとオーストラリアへの進出が顕著になった。またインドネシア、フィリピン、再びミャンマーにも進出するようになり、現在30社前後の日本企業が進出している。また現在ではオーストラリアのパスパレー社、フィリピンのジュエルマ社のように現地大手真珠養殖業者が何社も存在している。現在シロチョウ真珠はオーストラリア、インドネシアを中心に行われ、この2国で全生産量の90%を占める。この2国にフィリピン、ミャンマーが続いている。

シロチョウガイには真珠層に黄色い色素を含む「ゴールドリップ」(写真1)と呼ばれるものと、色素を含まない「シルバーリップ」(写真2)と呼ばれるものがある。前者はフィリピン、インドネシアに多く生息し、この貝を使用してゴールデン系のシロチョウ真珠が生産される。一方シルバーリップはオーストラリアに多く生息し、この貝を使用した真珠は「シルバー」、「スチール」などと呼ばれるホワイト系のシロチョウ真珠が多い。

2.クロチョウ真珠養殖

写真3:クロチョウガイ

写真3:クロチョウガイ

写真4:クロチョウ核入れの様子、タヒチ

写真4:クロチョウ核入れの様子、タヒチ

戦後のクロチョウ真珠は1951年沖縄で再開された。何社かが養殖を試みたが脱落し、琉球真珠1社のみが残り、1965年123個の真珠養殖に成功した。その後生産量も増え、1970年代は琉球真珠の独壇場であったが、1980年代に入ると仏領ポリネシア(タヒチ)の養殖が本格化し、その結果真珠養殖の中心が沖縄からタヒチへシフトしていった。仏領ポリネシアは全ヨーロッパがすっぽり入るくらい広いので、本格的な養殖が始まるとたちまち量で沖縄を圧倒し、現在全生産量の90%以上をタヒチが占めるようになった。タヒチでは天然に孵化した稚貝を「コレクター」と呼ばれる付着器で集めた天然採苗貝を使用し、1年半~2年養殖して真珠を生産している。現在真珠の価格がアコヤ真珠のみならず、全ての真珠で下落しており、タヒチは養殖コストの削減のため、違法とされている安価なシャコ核を使用したり、核入技術者を日本人から中国人に代えているが、このことが新たな真珠の品質低下原因となり、その結果真珠の値段が下がり、さらなるコストダウンを迫られるという悪循環に陥っている。

最近フィジーで養殖されたクロチョウ真珠が市場に出ている。量的には大したことはないが、フィジー産のクロチョウ真珠はグリーン色が特徴として人気があるようだ。また2012年ミクロネシアでもクロチョウ真珠の養殖が始まったと報告されている。

3.淡水真珠養殖

1)日本の淡水真珠養殖
写真5:淡水ピース入れの様子

写真5:淡水ピース入れの様子

琵琶湖の淡水真珠養殖の再開は比較的早く、1946年である。戦前は淡水真珠養殖も他の真珠同様核を挿入するいわゆる有核真珠であったが、淡水真珠養殖では外套膜にポケットを作り、そこにピースのみを挿入する方が良い真珠が出来ることが偶然わかり、全面的に有核真珠養殖から無核養殖真珠へ代わって行った。その後生産は順調に伸びたが、養殖の拡大に伴い漁場環境の悪化、母貝の弱体化、外来生物による生態系の変化などにより、生産量は1980年の1,690貫をピークに減少し続け、現在はわずか20貫程度になり、もはや産業と呼べる規模ではなくなった。


2)中国の淡水真珠養殖
写真6:ヒレイケチョウガイ、中国

写真6:ヒレイケチョウガイ、中国

戦後中国の養殖真珠だけが日本企業の進出なしに独自に発展した。中国の淡水真珠は最初カラスガイを用いて無核の真珠養殖を始め、1971年160匁を初めて日本に輸出した。品質も悪く琵琶湖産のものとは比較にならないほどであった。しかしこの真珠がヨーロッパで大流行したため、生産は急速に伸び、1984年日本の輸入量は実に13,000貫に達した。わずか13年の間に輸入量が8万倍にもなったのである。このカラスガイによる無核真珠はやがて流行が消えると同時に市場から姿を消した。1990年代に入ると母貝をヒレイケチョウガイ(三角貝)に代えた新たな中国産淡水養殖真珠が市場に登場してきた。この新商品は品質も良く価格も安いので、琵琶湖の淡水真珠、サイズの小さい日本産アコヤ真珠とも競合し、日本は競争に負けて脱落していった。中国はその後サイズアップや真球度の向上など、様々な技術革新を行い、現在では全ての養殖真珠と競合するまでになっている。生産量は年1,500トン(40万貫)とも言われ、真珠の希少価値を根底から破壊し、強烈に加工処理をするなど、正に台風の目、的存在である。

4.その他の真珠養殖

1)アコヤ真珠養殖
写真7:アコヤ核入れの様子、ベトナム

写真7:アコヤ核入れの様子、ベトナム

アコヤ真珠は現在日本以外に中国、ベトナム、UAE(アブダビ、ラスアルハイマ)で養殖されている。中国のアコヤ真珠養殖は1950年代中頃に本格化した。特に1983年の開放政策以降個人養殖が可能になり、急速に量産化が進んだ。養殖は海南島北部から雷州半島、広西自治区にかけてで、流沙、営盤、白龍湾、北海などに大規模な養殖場がある。中国産アコヤガイは中国では「馬氏貝」と呼ばれ、すべて人工採苗で作られている。日本産の貝に比べるとやや小ぶりで黄色味が強く、光沢も少なく、余り良質珠の生産は望めない。養殖サイズは5、6、7ミリで8ミリアップのものは極めて少ない。生産量はかつては4,000貫とも言われたが、現在はかなり減少しているようで、日本の輸入量も数百貫程度といわれているが正確な量はわからない。養殖後の加工処理は日本からの技術を取り入れ、同じ方法で処理されている。一方、ベトナムでは北の中国に近いハロン湾と南のホーチーミン(旧サイゴン)市に近いバンフォン湾がメインの養殖場である。4社ほどアコヤ真珠の養殖を行なっている。神戸に本社を置くオリエントパールは南北両方の養殖場で4~6ミリの真珠を生産している。UAEでは最近ドバイをはさんでアブダビ、ラスアルハイマ両首長国で真珠養殖が行なわれている。アブダビでは天然に孵化したアコヤガイ稚貝を集めて2年ほど養殖し、母貝に育てた後核入手術を行う。母貝はそれほど大きくないので、メインサイズは5、6ミリである。一方ラスアルハイマでは海底に湧水の出る箇所が何箇所かあり、この付近に生息する天然のアコヤガイを採集して母貝としている。アブダビ産アコヤガイに比べると貝はかなり大きく、養殖される真珠も7、8ミリが中心である。両養殖場とも養殖可能な貝数は約20万といわれており、両者とも真珠市場に及ぼす影響はほとんどないが、アブダビではペルシャ湾の天然真珠を養殖で再現したものとして研磨以外の加工処理は一切やらないことにしている。

2)マベ真円真珠養殖

1990年マリンワールドプロジェクト社社長の大島肇氏がフィリピンルソン島で養殖試験を開始し、2年後に本格的に事業を開始した。マベ真円真珠養殖で最大の問題は脱核であるが、大島氏は原住民が痛み止めやキズの薬として使用している薬草を抑制に応用して脱核を改善し、養殖に成功した。現在天然の2年貝を使用し2年養殖して7~12mmの真珠を生産している。

3)アワビ養殖真珠

アワビを母貝とする真珠養殖はかつて日本(宮城県、長崎県)や韓国(済州島)で行われていたが、現在商業ベースで養殖が行われているのはニュージーランドのみであろう。1995年ニュージーランド最南端のスチュアート島で、エンプレスアバローニ社が初めて商業ベースでヘリトリアワビ半形真珠の浜揚を行った。それ以降この会社はスチュアート沖で採取した天然アワビ(約5年貝)を使用し、8~16mmの半球状の核を挿入し、12mm以下のものは18ヶ月、12~18mmのものは24~30ヶ月養殖して半形真珠を作っている。

4)レインボーマベ養殖真珠

レインボーマベ(Pteria sterna)による半形、有核真円真珠養殖は1993年メキシコのカリフォルニア湾内にあるグァイマス養殖場で開始され、1995年北米で初めて半形養殖真珠が大量に生産された。一方有核真円真珠については1996年のツーソンジュエリーショーに実験的に作られた真珠12個が紹介され、それ以降年間生産量は4,000個ほどに増加し、2005年以降は10,000個に達している。天然採苗で集められ、18~24ヶ月で8.5~10cmに達した母貝に挿核手術を行い、18~20ヶ月養殖して7.5mmの真珠を作っている。

5)コンク養殖真珠

2006年フロリダ・アトランティック大学のミーガン・デービス、ヘクター・アコスタ‐サルモン両博士によって無核、有核コンク真珠の養殖に成功したと報じられた。養殖方法の詳細は一切発表されていないが、先ずピンクガイに麻酔注射を打ち、肉部を貝殻の外に引っ張りだし、有核の場合は核及びピースをそれぞれ1個、無核の場合は2~3個のピースを挿入し、術後肉部を貝殻内部に戻し12ヶ月養殖したようである。成功率は有核で60%、無核で80%であった。養殖された202個の真珠をGIA(米国宝石学会)で鑑別した結果、天然コンク真珠に極めて近いことがわかった。

おわりに

養殖真珠のグローバル化は真珠の価値観を大きく変える結果となった。かつて日本のアコヤ真珠が世界市場の大半を占めていた時はアコヤ真珠の価値観が養殖真珠の価値観であった。しかしアコヤ真珠の影響力の低下に伴い、真珠生産国がそれぞれ独自の価値観で真珠を作るようになっている。例えばオーストラリアでは宝石的あるいは高級宝飾品的価値観で真珠を生産する。しかしインドネシア、タヒチになるとこれがかなり崩れ、中国になると真珠に対する価値観は一体何なのかと疑いたくなる。最近起こっている養殖真珠核問題でも、日本は1924年のパリの真珠裁判にまで遡り、核の材質を淡水産二枚貝の真珠層を丸く整形したものに限定しているが、その他の国では「真珠袋さえ形成されれば何でも」と貼合せ核やシャコ核といったものを使い始めている。真珠の生産、加工、品質に共通した価値観がなくなると、「儲かれば何でも」と養殖真珠はとんでもない方向へといってしまう恐れがある。(つづく)

ベリリウム拡散加熱処理サファイアの現状 ー平成25年宝石学会(日本)よりー

中央宝石研究所 研究室 江森健太郎、北脇裕士、岡野誠 

サファイアのベリリウム拡散加熱処理は最初に報告されてから10年以上経過するが、いまなお市場で確認されている。本研究は2012年の一年間にCGLで鑑別を行ったサファイアを系統的にまとめ、近年報告がある天然起源のBeを含有するサファイア等の分析結果もまじえ、ベリリウム処理サファイアの現状を報告する。

1. 研究の背景

2001年9月頃より、高彩度のオレンジレッド、オレンジ色、ピンク色および黄色のサファイアが宝石市場に広くみられるようになった。中でもオレンジピンクからピンクオレンジのいわゆる「パパラチャ」のバラエティーネームで知られるサファイアが大量に出現したため業界中の関心事となった。これらのサファイアには従来の加熱処理には見られない外縁部にカット形状に沿った色の層(カラードリム)が分布しており、その生成に疑問が持たれた。国際的な鑑別ラボによる精力的な調査の結果、この加熱手法は外来添加物であるクリソベリル起源のベリリウム(Be)を高温下でコランダム中に拡散させるという新たな手法であることが判明し、ベリリウム拡散加熱処理(以下Be処理)と呼ばれるようになった(文献1)。その後、バイオレット、グリーン、ブルー等の色調のサファイアやルビーにもこのBe処理が施されたものが出現している。

Beは軽元素であり、拡散している濃度も極めて低いため、鑑別ラボで従来使用されていた蛍光X線元素分析装置等では検出が不可能で、SIMSやLA-ICP-MSといった高感度の質量分析装置が必要となった。今日、先端的なラボではLA-ICP-MSが導入され、日常のBe処理鑑別に活用されている(文献2)。

Be処理が確認された当初は、未処理の天然サファイアおよびルビーにはBeは内在しないと考えられていたため、LA-ICP-MSでBeが検出されればBe処理であると考えられてきた(文献3)。しかし、近年、Be処理が行われていない天然サファイアにもBeが検出される事例が複数報告され(文献4)、Be処理の鑑別を困難にしている。

2. 研究の目的

本研究では、(1) 現在、日本国内の宝飾市場に流通するBe処理サファイアの実態を調査するとともに、(2) LA-ICP-MSによる詳細な分析において天然起源のベリリウムを含有するサファイア等の諸特徴を捉え、Be処理鑑別の精度をより向上させることを目的とした。

3. 使用した試料と実験手法

表1:LA-ICP-MS分析の分析条件

表1:LA-ICP-MS分析の分析条件

2012年の一年間にCGLに鑑別に供されたサファイアおよびルビーのうち、一般的な鑑別手法でBe処理の疑念が持たれ、LA-ICP-MS分析を行った1,000個以上を研究対象とした。これらの試料は現在市場で流通するサファイアおよびルビーを代表するものと考えられる。また、これらに加えて、CGL研究室の産地鑑別プロジェクトで集積した各産地の天然サファイアについてもLA-ICP-MS分析を行い、天然起源のBeと微量元素についての関係性を調べた。

本研究ではLA(レーザーアブレーション装置)はNew Wave Research UP-213を、ICP-MSはAgilent 7500aを使用した。分析を行った条件は表1に記した。レーザーアブレーションにおけるCrater sizeは、Beの定性分析では15mm、Beおよび他の元素についての定量分析には30mmを使用して測定を行い、定量分析には標準試料としてNIST612を使用した。


4. 結果と考察

4-1 Be処理サファイアの存在割合およびBe含有量について

2012年、CGLに鑑別に供されたサファイアおよびルビーの色別比率とBe処理サファイアの色別比率を図1に示す。鑑別に供された個数はルビーやブルーサファイアが多いが、Be処理コランダムとしてはピンクからオレンジ系(パパラチャ含む)やイエロー、ゴールデン系が多いことが判る。

図1:2012年CGLに鑑別として持ち込まれたコランダムについて

図1:2012年CGLに鑑別として持ち込まれたコランダムについて

次に色系統別に、「LA-ICP-MS分析の結果Be処理であると判断されたもの」「一般的な鑑別方法でBe処理であると判断されたもの」「石のセッティングや顧客都合等で分析が行われなかったもの」「Be処理でないもの」の割合を図2に示す。Be処理である絶対数はピンクからオレンジ系のものが一番多いが、色別に調べるとBe処理である割合はイエローが一番高いことが判る。

図2:コランダムの色別結果内訳

図2:コランダムの色別結果内訳

LA-ICP-MSで分析したBe処理サファイアのBe濃度を色別にプロットした結果を図3に、各色の平均値を表2に示す。各色の平均値はそれぞれおよそ10ppmであり、この値は2002年と2007年にタイのバンコクの処理業者から直接入手した各色Be処理コランダム計20個の平均値9.74ppmと非常に近い数値であった。またBe処理が施された試料は最低でも2ppm程度以上が検出されている。

図3:コランダム各色のBe濃度

図3:コランダム各色のBe濃度

表2:色系統別Be濃度の平均値

表2:色系統別Be濃度の平均値

4-2 天然起源のBeを含有するサファイアの例

4-2-1 ゴールデンサファイアの例
天然起源のBeを含有するサファイアとして16.95ctのゴールデンサファイア(写真1)の分析事例を紹介する。この試料は一般鑑別検査の結果、加熱処理と判断されるが、カラードリムなどのBe処理の特徴は有しない試料である。LA-ICP-MSで測定した微量元素の分析値を表3に示す。

写真1:16.95ctのゴールデンサファイア外形写真

写真1:16.95ctのゴールデンサファイア外形写真

表3:当該コランダムのLA-ICP-MS分析結果

表3:当該コランダムのLA-ICP-MS分析結果


Beの濃度が1.42ppmより7.14ppmと測定箇所(8箇所)による顕著な差があるのに加え、ジルコニウム(Zr)、ハフニウム(Hf)が付随して検出されている。Shen等は同様の事例を報告しており、BeとZr、Hfの間に相関関係があり、これらの元素を天然起源としている(文献5)。図4に当該試料の各測定箇所におけるBeとZrおよびHfの含有量の関係を示す。BeとZrおよHfには直線的な非常によい相関関係が認められる。

図4:Sample 1のBeとZr、Hfの相関関係を示すグラフ

図4:Sample 1のBeとZr、Hfの相関関係を示すグラフ


写真2:Beが検出されたコランダム

写真2:Beが検出されたコランダム
上段:Pailin(カンボジア) 産、
中段:Mabira(ナイジェリア) 産、
下段:Huai-Sai(ラオス)産

4-2-2 ブルーサファイアの例
天然起源のBeを含有するブルーサファイアの分析事例を紹介する。写真2に示す試料は産地鑑別のプロジェクトで収集した、カンボジア、ナイジェリア、ラオス産のブルーサファイアである。LA-ICP-MSによる分析結果を表4に示す。これらはBe処理が施されていない試料であるが、すべての試料から測定部位(各試料につき5箇所)による濃度差があるもののBeが検出されている。


表4:Beが検出されたブルーサファイアの分析結果

表4:Beが検出されたブルーサファイアの分析結果

また、Beと同時に、ニオブ(Nb)、タンタル(Ta)が検出されており、各測定箇所におけるBeとNbおよびTaの含有量の関係を図5に示す。BeとNbおよTaには直線的な非常によい相関関係が認められる。

図5:Sample2のBeとNb、Taの相関関係を示すグラフ

図5:Sample2のBeとNb、Taの相関関係を示すグラフ

ゴールデンサファイアおよびブルーサファイアの事例で示したとおり、天然起源のBeを含有するサファイアには
(1)Be処理の視覚的特徴であるカラードリムが認められないこと。
(2)LA-ICP-MSで検出されたBe濃度は測定部位によるばらつきが非常に大きく0ppm~10ppm程度の範囲内である。
(3)Beに付随してイエローサファイアの場合はZr、Hf、W、ブルー系はNb、Ta、Th等といった元素が検出され、Be濃度と相関関係がある。
という特徴が確認された。

図6:元素の親和性を表した表(文献6より)

図6:元素の親和性を表した表(文献6より)

元素には親気性(atomophile、ガス状元素)、親石性(lithophile、ケイ酸塩相に濃集)、親銅性(chalcophile、銅のように硫化物相に濃集)、親鉄性(siderophile、金属相に濃集)の4種類の親和性が知られている。Zr、Nb、Hf、Ta、W、Thはこの中でも親石性に属する元素で、ケイ酸塩相に濃集する傾向にある(図6)。

また、Zr、Nb、Hf、Ta、W、Thといった元素は液相濃集元素であり、HFSE(High Field Strength Element、高結晶場強度元素)と呼ばれる元素で、マグマから結晶が晶出する際、結晶に取り込まれにくく最後まで液相として残る元素であることが知られている。今回分析を行ったカンボジア、ナイジェリア、ラオス産などのマグマティックな(玄武岩起源)コランダムでは、結晶に取り込まれにくい親石性のHFSEが濃集し、Beを伴った状態でコランダムに入り込んでいると推測される。

4-3 二次汚染によるBeを含有するサファイアの例
写真3:Sample 3の浸液写真

写真3:Sample 3の浸液写真

二次的にBeが混入したと考えられる5.55ctのイエローサファイアの事例を紹介する。当該試料は拡大検査の所見において加熱の痕跡は認められたが、Be処理の特徴は有していない。浸液検査の結果、結晶成長に伴った明瞭なカラーゾーニングが観察される(写真3)。


LA-ICP-MSでガードル部を6箇所測定した結果を図7に示す。Beが0.47~1.29ppm検出されているが、濃度とカラーゾーニングに相関は認められない。また、Zr、Nb、Hf、Ta、W、Thなどの天然起源のBeに付随する微量元素は検出されていていない。

図7:Sample 3の分析結果

図7:Sample 3の分析結果

以上をまとめると、
(1)加熱処理の痕跡が認められるもののBe処理の特徴がない。
(2)Beが極低濃度であり(2ppm未満)、HFSEなどの天然起源のBeに付随する元素が検出されない。
このような試料中のBeはBe処理に用いたるつぼや炉の再利用からくる二次汚染であると考えられる。色変化に関与しない極低濃度のBeの拡散は、国際的なラボ間の共通認識においてBe処理とは判断されない。

4-4 リカットされたBe処理サファイアの例
写真4:2.46ctのピンクサファイアの外形写真

写真4:2.46ctのピンクサファイアの外形写真

最後にリカットによる特異な事例を紹介する。写真4に示す2.46ctのピンクサファイアを浸液検査したところ、オレンジ色の色むらが外縁部の一部に認められた(写真5左)。レーザートモグラフ像より、浸液検査でオレンジ色の色むらが認められた箇所が燈赤色に発光しているのが観察される(写真5右)。


写真5:2.46ctのピンクサファイアの浸液写真(左、黒で囲った部分がオレンジ色の色むらが確認された場所)とレーザートモグラフ像(右)

写真5:2.46ctのピンクサファイアの浸液写真
(左、黒で囲った部分がオレンジ色の色むらが確認された場所)とレーザートモグラフ像(右)

LA-ICP-MSによる分析結果を図8に示す。オレンジ色の色むら部からBeが検出されている(キューレットを含む)が、ピンク色の部位からは検出されていない。また、天然起源のBeを含有するサファイアに伴われる元素(Zr、Nb、Hf、Ta、W、Th)はどの部位からも検出されていない。

図8;Sample4の分析結果(オレンジ色の部分は色むらが存在した箇所)

図8;Sample4の分析結果(オレンジ色の部分は色むらが存在した箇所)

以上をまとめると、
(1)LA-ICP-MSで分析した結果Beが検出された箇所と未検出の箇所が存在すること。
(2)浸液検査およびレーザートモグラフ像においてカラードリムといったBe拡散跡が確認される。
などの特徴を有する試料はBe処理されたコランダムがリカットされたものと考えられる。

5. まとめ

Be処理サファイアが出現し、10年以上経過するが、Be処理サファイアは今なお鑑別で確認される処理である。 今回の研究報告は2012年の1年間にCGLに持ち込まれたコランダムの統計ではあるが、イエロー、ゴールデン系に関しては10%程度の試料がBe処理を施されていた。

Beの検出にはLA-ICP-MS分析を行うことが一般的である。Beが未検出のサファイアはBe処理が施されていないと判断されるが、Beが検出されたサファイアについては、天然起源のBeを含有するサファイアやBe処理に用いたるつぼや炉の再利用からくる二次汚染をうけたサファイアも存在するため、他関連元素の測定データやBeの濃度分布を参考にする等、慎重に判断を下す必要がある(表5)。

表5:注意すべきBe検出例

表5:注意すべきBe検出例

中央宝石研究所では、Be処理コランダムについて、常時情報収集、データの蓄積を行っており、最新の情報をもとに鑑別結果を出すよう心掛けております。

6. 文献

1. Emmett J.L., Scarrat K., McClure S.F., Moses T., Douthit T.R., Hughes R., Novak S., Shigley J.E., Wang W., Bordelon O., Kane R.E.「 Beryllium diffusion of Ruby and Sapphire (Gems & gemology, 39(2), 84-135,2013)」
2. Abduriyim A., Kitawaki H. 「Applications of Laser Ablation-Inductively Coupled Plasma-Mass Spectrometry (LA-ICP-MS) to Gemology (Gems & gemology, 42(2), 98-118, 2006) 」
3. Emmett, J.E., Wang W. 「The Corundum group, Memo to the Corundum Group: How much beryllium is too much in blue sapphire – the role of quantitative spectroscopy. 26 August 2007」
4. Shen A., McClure S., Breeding C. M., Scarratt K., Wang W., Smith C., Shigley J. 「Beryllium in Corundum: The Consequences for Blue Sapphire (GIA Insider, Vol.9, Issue 2 (January 26, 2007)) 」
5. Shen, A., McClure, S., Scarratt, K. 「Beryllium in Pink and Yellow Sapphires. News from Research (April 3, 2009)」
6. Robin Gill「Chemical Fundamentals of Geology」

真珠講座2『養殖真珠の歴史』

赤松 蔚 

真珠講座1 で述べたように、人類は非常に古くから天然真珠との関りを持ってきた。天然真珠との関りが深まれば深まるほど、「真珠は一体どうして出来るのだろうか」と考えるようになり、やがて「真珠はどうすれば人の手で作ることが出来るか」と考えるのは当然の成り行きであろう。今回は真珠の成因、諸外国における真珠養殖の試み、そして日本における真珠養殖の試みとその成功について述べる。

1.真珠の成因

「真珠はどうして出来るのか」という成因については古くから色々な考えがあった。最も古いのは涙説で、天使や水の精、愛しい人の涙が貝の中に入って出来るというものである。かつてアメリカの博物館スタッフが鳥羽の御木本真珠博物館を訪れ、「天然真珠は人魚の涙である」と言った際、真珠博物館の松月館長がすかさず「養殖真珠は(それを作った)人の涙である」と切り返したのにはさすがと思った。涙説に次いで古いのが露によるというもので、貝が水面近くまで上がってきて貝殻を少し開けている所に露が落ちて真珠になるというこれもなかなかロマンチックなものである。古代ローマの博物学者プリニウスによれば、新鮮な空気と温暖な日光を受けた清浄な露が貝の体内に落ちると良い真珠になり、その反対では真珠の色彩光沢は落ちる。曇天に生じた珠は淡色で、海水よりも日光、天候などの影響が大きいと述べている。この露説は1世紀頃から11世紀頃まで信じられていたようである。これ以外にも稲妻の閃光によって出来るという稲妻説もあった。真珠成因について初めて科学的に記述されたのは1554年で、フランスのRondeletが「真珠は哺乳類に病的にできる結石と同じものが貝類に出来たものである」と論じた。

16世紀に入ると顕微鏡が発明され、それ以来真珠の成因についても急速に科学的なものへと発展していった。17世紀から20世紀初頭にかけて色々な真珠成因説が出されたが、その主なものは次の通りである。
 1)貝殻を形成する体液が凝縮して出来る。
 2)貝の内部的原因によって凝縮物が形成され、その周囲に貝殻物質が沈着されて出来る。
 3)排卵出来なかった卵細胞が刺激となり、その周囲に出来る。
 4)貝殻物質が砂粒物質の上にそれに被さるようにして分泌されて出来る。
 5)貝殻が傷つけられたり、または孔を穿たれた場合、その結果として真珠が出来る。
 6)寄生虫が原因となって出来る。
 7)貝殻と軟体部の中間、又は外套膜に突出している外皮組織の袋の中に出来る。

1858年ドイツのヘスリング(von Hessling)が真珠形成には真珠袋が必ず存在し、真珠は真珠袋の分泌作用によって形成されると唱えた。この真珠袋の考え方が後に養殖真珠を成功へと導くのである。

2.諸外国における真珠養殖の試み

写真1:仏像真珠

写真1:仏像真珠

前述のように真珠形成に関する研究は16世紀頃から盛んに行われるようになるが、これらの研究が実際の真珠養殖研究に結びつくことはなかった。ヨーロッパのこうした研究とは全く無関係に真珠養殖が世界で最も早く具体化したのは中国の仏像真珠であることは非常に興味深い。中国では11世紀頃から淡水産二枚貝(主としてカラスガイ)に鉛で仏像などを象った物体を貝殻と外套膜の間に挿入し、物体表面が真珠層で覆われるとそれを切り取り、仏具や装飾品に使用されていたと言われ、このことは1167年に発行された「文昌雑録」に記事になっている。その後この技術は改良され、13世紀には蘇州の太湖湖畔に位置する寒村を中心に、貝殻で作った玉や薄い鉛製の仏像などを核にして盛んにいわゆる半形真珠が養殖された。この仏像真珠は1734年中国に滞在したフランス人神父によって本国に伝えられ、フランスとイギリスで1735年に刊行された水産関係の書物によって中国の養殖真珠の全貌が全ヨーロッパに紹介された。その結果ヨーロッパでは18世紀以降多くの学者がこの仏像真珠を手本に真珠養殖の研究を行った。そのうち有名なものをいくつか次に列挙する。

先ずリンネの真珠である。スウェーデンの科学者リンネ(Carl von Linnaeus 1707‐1778)は1748年スイスの解剖学者フォン・ハラーに手紙を送り、「私は真珠が貝殻の中で出来、成長する方法を考案しました。5、6年後にはソラマメ位の真珠が出来るであろう」と言っている。彼は1761年近くの川に生息する二枚貝を使用し、貝殻に小さな穴を開け、粒状の石灰や石膏を貝殻と外套膜の間に挿入し、真珠養殖実験を行った。この実験は原理的には中国の仏像真珠と同じであるが、仏像真珠のように貝殻に付着したものではなく、真円真珠を作ろうとして、T字型の金属ホールダーを球に固定し、これを貝殻内面に挿入し、貝殻内面から遊離させている。リンネが作った真珠は現在ロンドンのリンネ学会に保存されている。

1884年Boucheon-Brandely はタヒチ島で真珠貝に直径半インチ位の孔を数個開け、コルク栓を通して貝殻又はガラス製の丸い球を真鍮の針金に固定し、海中に入れておくと、球は1ヶ月後に真珠層で覆われていることを実験した。クロチョウ真珠養殖は1914年御木本が沖縄の石垣島で始めたのが世界初といわれているが、タヒチではこのBoucheon-Brandelyが世界初と主張している。

写真2:半円真珠

写真2:半円真珠

フランスのルイ・ブータン(Louis Boutan)はアワビの貝殻に小孔を穿ち、外套膜との間に小球を挿入して孔を塞ぎ海中で養い、6ヶ月で十分厚みのある真珠が得られたと報告している。ブータンは後に御木本養殖真珠が本物か偽物かで争われたパリ真珠裁判に証人として呼ばれ、1924年養殖真珠は本物という鑑定結果を出したボルドー大学の教授である。

イギリス人サビル・ケントはオーストラリア・タスマニア州政府の招きにより漁業調査官として渡豪、彼は真珠養殖研究も手がけ、1890~1891年シロチョウガイで大きな半形真珠を作り、始めは驚くほどの高値で売れたが、結局収支償わず中止したとの報告がある。御木本幸吉がアコヤガイを使用して5個の半円真珠に成功したのが1893年であるから、サビル・ケントの方が2~3年早く半形真珠養殖に成功していたことになる。サビル・ケントは真円真珠の発明者争いでこの後にも登場する。

残念ながらこの仏像真珠を手本にどれだけ努力しても、仏像真珠の延長線上に天然真珠に匹敵するような養殖真珠は存在しなかったのである。天然真珠は偶然外套膜の上皮細胞小片が何らかの原因で外套膜から剥がれて貝体内に落ち込み、そこで真珠袋(パールサック)が形成され、その袋の中で真珠が出来るのである。つまり真珠袋の形成なしに真珠が出来ることはありえないということである。仏像真珠は貝殻内面に貼り付けられた半形の核表面に貝殻と同じ真珠層が形成されるだけで、いわば貝殻真珠層に出来た瘤状の物質に過ぎないのである。

3.日本における真珠養殖の試みとその成功

日本における真珠養殖の試みは御木本幸吉から始まった。御木本幸吉は1858年(安政5年)志摩国鳥羽浦の大里町で「阿波幸」といううどん屋の長男として生まれた。13歳ですでに家業を手伝う傍ら、青物行商も始めていた。20歳になった1878年(明治11年)東京、横浜へ視察旅行に出かけ、そこで自分の故郷の天然真珠が高値で取引されているのを見て、真珠養殖を思い立ったと言われている。幸吉は1888年(明治21年)志摩郡神明浦に初めて真珠養殖場を設け真珠貝の養殖を始め、その後真珠養殖も手がけていった。真珠養殖には当時の大日本水産会幹事長柳楢悦から東京帝国大学の箕作佳吉博士を紹介された。箕作博士は1890年(明治23年)増殖博覧会の席上で幸吉に真珠の話をし、真珠養殖は理論上可能であるが、これまでだれも成功していないことを話した。これを聞いて幸吉は養殖真珠にチャレンジする決心をした。その後幸吉は幾多の苦労を乗り越え1893年(明治26年)遂に5個の半円真珠養殖に成功した。

御木本幸吉も他の真珠養殖研究者同様、中国の仏像真珠を手本として半形真珠の養殖からスタートさせたようである。ミキモト真珠養殖場に数枚の仏像真珠付きの貝殻が残っているということは、おそらく御木本幸吉も日々これを眺めながら懸命に真珠作りに励んだと想像される。しかしどれだけ仏像真珠を手本にがんばっても最終目標である真円真珠(全体が真珠層で覆われた真珠)に到達出来ないことは既に述べた通りである。

1800年代後半から1900年代初めにかけて真珠袋の研究がドイツ、フランスを中心に多くの研究者によって行われた。特にドイツのヘスリング、アルバーデスはこの真珠袋形成理論を明確にした。当時この真珠袋理論は東京帝国大学の箕作博士の元にも伝わっており、この理論は御木本幸吉も教わっていたはずである。そしてここに仏像真珠を経由せず、いきなり真珠袋の研究から真珠養殖研究をスタートさせた2人の日本人、西川藤吉と見瀬辰平が登場する。西川は1874年(明治7年)大阪に生まれた。1897年(明治30年)東京帝国大学動物学教室卒業と同時に農商務技手として水産局に勤務。この頃から御木本と関わりを持つようになるが、これはおそらく御木本の養殖場で発生した赤潮調査がきっかけであろう。西川は1903年(明治36年)御木本幸吉の次女峯子と結婚する。その後大学の動物学教室に復帰し、箕作博士の弟子として神奈川県三崎臨海実験所で真円真珠養殖の研究に専念する。1907年(明治40年)外套膜の小片を作り、これを貝体内に移植して真珠袋を作る方法を発明した。残念ながら西川はこの発明から2年後の1909年(明治42年)35歳の若さでこの世を去った。西川藤吉が発明した真珠養殖法は1917年(大正6年)特許第30771号となり、「西川式」あるいは「ピース式」と呼ばれ、現在の有核真珠養殖の基本技術となった。

一方見瀬辰平は1880年(明治13年)三重県に生まれた。11歳の時見瀬弥助の養子となり、船大工などの修行をしていたが、1900年(明治33年)頃から志摩郡の的矢湾で真珠の研究を始めた。そして上皮細胞の小片を直径0.5mmほどの核に付着させ、これを外套膜組織内に送り込むようにした注射針を考案し、1907年(明治40年)特許第12598号「介類ノ外套膜組織内ニ真珠被着用核ヲ挿入スル針」を得ている。見瀬はその後も研究を続け、1920年(大正9年)に特許第37746号を得たが、この方法は外套膜細胞を注射器で貝の体内に導くもので、「誘導式」と呼ばれている。

御木本幸吉も1902年(明治35年)元歯科医の桑原乙吉を迎え入れ、本格的に真円真珠養殖研究に着手した。そして1917年(大正6年)貝殻を球状にした核を外套膜で完全に包んで細い絹糸で縛り、貝体内に挿入する「全巻式」という方法で特許を出願した。一般社団法人日本真珠振興会はこの3人の功績を称え、1906年(明治39年)を真円真珠発明の年に定めている。

前述のように西川藤吉が仏像真珠養殖から入らず、いきなり真珠袋の研究からスタートしたのは、彼の師匠である箕作博士がすでにヘスリングの真珠袋理論を十分に理解していたためと考えられる。不思議なのは見瀬辰平の研究で、彼がもし独自に仏像真珠を経由せずに真珠袋に基づいた真円真珠作りのゴールに到達したのであれば、西川に決して劣ることない天才と言えよう。真円真珠養殖には真珠袋が不可欠であるということはドイツのアルバーデスが淡水産二枚貝で実験してその理論を1913年に確立したが、その時日本ではすでに真円養殖真珠は事業としてスタートしていたのである。

写真3:西川のオーストラリア特許

写真3:西川のオーストラリア特許

日本が世界で初めて真円真珠養殖に成功したということに対し、1978年オーストラリアのデニス・ジョージという人物が異議を唱えた。彼は論文の中で真円真珠養殖技術はオーストラリアのサビル・ケントが確立したのだと発表した。そして西川、見瀬が開発した技術は、西川及び見瀬の義父が仕事でオーストラリアを訪れた際、サビル・ケントの技術からヒントを得たものであると主張したのである。そして西川、見瀬が仏像真珠養殖から入らずにいきなり真珠袋研究からスタートさせたのがその証拠であるとも主張している。しかしよく調べてみると確かにサビル・ケントは前述のように半円真珠養殖には成功しているが、真円真珠養殖成功に関する資料は一切なく、すべてデニス・ジョージの推測であることが判明した。しかしデニス・ジョージの論文は世界中に広がったので、いつの間にか真珠の発明者はサビル・ケントと記述した本がかなり出回っている。ここにもう一つ真円真珠の発明者はサビル・ケントではないという証拠がある。それは西川藤吉の死後、息子の西川新吉が真円真珠養殖法を特許として1914年7月24日オーストラリアで申請し、翌1915年12月7日認可されている。オーストラリアで最初に真円真珠養殖技術が発明されていたのなら、なぜこの西川の特許申請時にクレームをつけなかったのか。この特許がすんなり認められたということは、オーストラリアには類似の技術は存在しなかったと考えるのが妥当であろう。

写真4:フランスの真珠裁判の判決文

写真4:フランスの真珠裁判の判決文

真円真珠作りに転じた御木本幸吉はその後順調に事業を拡大し、1919年養殖真珠をロンドンで天然真珠より25%安い価格で販売を始めた。御木本はこれまで半円真珠をヨーロッパ市場に出していたが、これは完全な真珠とは見做されず、価格も安いので、一種特別な商品として扱われていたようである。そこに天然真珠と変わらない養殖真珠が突如出現したので、「養殖真珠は本物か偽物か」という論争が起こった。そしてこの論争はパリに飛び火した。天然真珠を扱うパリの業者組合は養殖真珠が模造真珠であるという大キャンペーンを展開し、不買運動を起こした。これに対し御木本パリ支配人はこの運動は不当であると民事裁判に訴え、養殖真珠は本物か偽物かということがいわゆるパリ真珠裁判で争われることになった。そして前述のボルドー大学のブータン博士、オックスフォード大学のジェムソン博士といった当時の一流真珠研究者が鑑定を行い、養殖真珠は天然真珠と何ら変わるところがないという結論を出した。裁判は1924年の判決により、養殖真珠は天然真珠と同じ扱いを受けるようになった。こうして日本の養殖真珠は本物であるという認知を受けて以来、世界各国に販路を拡大していった。このように日本の養殖真珠を世界の市場に広め、養殖真珠を一大産業として発展させた御木本幸吉の功績は非常に大きいものがある。

1919年御木本幸吉がヨーロッパの市場に出した真珠は養殖期間が3~5年、養殖された7ミリの真珠には4ミリの核が入っていたと言われている。ということはこの真珠は4ミリの核に1.5ミリの真珠層が巻いていたことを意味する。これほどまでの養殖真珠であったからこそ、パリの真珠裁判でも養殖真珠は天然真珠と変わるところがないと判断されたのである。それからわずか100年足らずの間に養殖真珠がここまで悪い方に変わるとは誰が想像したであろうか。ライト兄弟が飛行機を発明したのが1903年。それから110年、現在何百人もの乗客を乗せて空を飛ぶのも飛行機。エディソンが電球を発明したのが1897年。それから116年、地上の隅々まで煌々と照らすのも電球。同じ名前を使っていながら良くここまで進歩したものだと思う。一方養殖真珠はどうであろうか。日本で真円真珠が発明されたのが1906年。それから107年、現在は養殖期間7ヶ月、真珠層の厚さがわずか0.2mmという真珠まで市場に出ている。同じ真珠という名前を使っていながらよくここまで退化したものかと驚かされる。養殖真珠はこうあってはならない。養殖真珠は思い出や、物語が込められるような宝石でなければならない。ここらで今一度「養殖真珠とは」という原点に立ち帰り、養殖真珠を見直す時期に来ているように思われる。(つづく)