赤松 蔚
1893年御木本幸吉が半円真珠養殖に成功して今年でちょうど120年になる。御木本幸吉以前にも中国の仏像真珠を手本にして半円真珠を作った人は、スウェーデンのリンネを始め、数名の名前を挙げることが出来るが、しかし養殖に成功した後それを商品化して世に出し、真円真珠発明後はそれを一つの産業にまで発展させた御木本幸吉の功績は疑う余地はない。しかし天然真珠を含めた真珠の歴史を見てみると、僅か120年という養殖真珠の歴史の前に、紀元前にまで遡る天然真珠の歴史が厳然として存在し、しかも天然真珠は量的にそれほど多くなくても(それ故希少価値があるのである)、今なお市場で輝きを放っている。今回はこの天然真珠の主な産地、現在市場で取引されている天然真珠、天然真珠に関する問題点などについて述べる。
1.天然真珠の主な産地
天然真珠は世界の至る所で発見された。おそらく昔の人々が海や川、あるいは湖で食用に貝を採取した際偶然発見されたのが始まりであろう。やがて天然真珠は組織的に採取されるようになった。天然真珠の主な産地は以下の通りである。
図1:世界の主な天然真珠産出地域
1)ペルシャ湾
写真1:バーレーン産アコヤガイ
ペルシャ湾の真珠採取歴史は4,000年前に遡ると言われている。(蛇足であるが現在アラビア人はペルシャがイランを連想させるとしてペルシャ湾の代りにアラビア湾と呼んでいる)バーレーンがその中心で、ここから数多くの採取船が湾に出て真珠貝が採取された。1900年代に産業として栄え、最盛期の1928~29年には、真珠採取船538隻、真珠貝を採取するダイバーは2万人を越え、バーレーン国家総収入の92.5%を占めた。しかし1930年代に入ると、世界的な不況、乱獲、養殖真珠の出現、石油発見に伴う労働力の石油産業への移行などにより真珠産業は衰退し、1960年代にその幕を閉じた。ペルシャ湾のアラビア半島側は漁業資源が豊富で、日本のアコヤガイと類似の真珠貝が数多く「バンク」と呼ばれる岩礁地帯に生息している。
2)マナール湾
インドとセイロンの間に位置するマナール湾の真珠採取もペルシャ湾同様非常に古く、その歴史は紀元前550年に遡るという記録がある。この地域のセイロンシンジュガイから採取された真珠はローマで非常に高い評価を受け、古代ローマの博物誌家プリニウスによれば、セイロンは「世界で最も多くの真珠を産出する地域」と記述されている。またマルコポーロも「東方見聞録」の中で真珠採取の様子を詳しく述べている。マナール湾の真珠採取は不定期に行われ、採取時期、場所が伝わると、世界各国から人々が集まり、採取シーズンが終わると人々は引き上げ、浜は元に戻るという状態であった。マナール湾の真珠産業が廃れた原因は乱獲で、19世紀に終焉を迎えた。
3)アメリカ大陸
アメリカ大陸は海水産、淡水産共に非常に長い天然真珠の歴史を持っている。海水産天然真珠は紀元前1400年から500年にかけて栄えたメキシコの遺跡から、あるいはインカ時代の遺跡から装飾品に用いられた真珠が発掘されている。アメリカの天然真珠が世界に知られるようになったのは、コロンブスのアメリカ大陸発見後である。1493年コロンブスはベネズエラのマルゲリータ島や、キューバグア島付近で先住民が船を出して真珠を採取しているのを見て、物々交換で真珠を入手し、スペイン女王の元に送った。この地域はカリブアコヤガイ、パナマクロチョウガイ、レインボーマベなど、何種類かの真珠貝が生息していて、白色系以外にグレー、バイオレット、ブラックなどの色を持つ真珠が採れる。コロンブスの発見以降この地域の真珠貝は採り尽くされ、18世紀には資源が枯渇するに至った。最近資源はかなり回復し、メキシコではレインボーマベによる真珠養殖が行われている。一方淡水産真珠でも紀元前1000年から先住民が真珠を広く使用していたことがわかっている。淡水産天然真珠もコロンブスのアメリカ大陸発見以降世界に知られるようになったが、海水産真珠ほど広がらなかった。淡水産天然真珠が注目を浴びるようになったのは19世紀中頃からで、たまたまニュージャージーの川で採取された真珠が1,500ドルでティファニーに買い取られたことに端を発し、「パールラッシュ」が起こり、人々は真珠を求めて川に殺到した。19世紀後半に入ると貝ボタンの原料として採取された真珠貝から副産物として得られた淡水真珠で、特に形の面白いものがヨーロッパで流行した。現在真珠養殖核用に採取された真珠貝から副産物として得られた真珠が市場に出ている。
4)ヨーロッパ
ヨーロッパの天然真珠はすべて淡水産で、カワシンジュガイから産出する。この貝は山岳地帯の水の澄んだきれいな場所に生息する。かつてヨーロッパ各地に数多く生息していたが、19世紀の工業化などによる環境汚染に伴い、わずか100年の間にほぼ全滅してしまった。淡水産天然真珠はヨーロッパで広く採取されたが、主な産地はババリア地方、スコットランド、ロシアである。ヨーロッパの淡水産天然真珠はサイズ、形とも非常にバラエティに富んでおり、色は大半が白色系である。採取された真珠はヨーロッパの王侯貴族の装飾品として広く用いられた。またカトリック教会が宗教道具として、聖杯、聖書カバー、十字架、イコン、司祭の冠、衣服などに真珠を多く用いた。現在ヨーロッパで再び淡水産天然真珠が静かなブームとして愛好家の間に広まっているようである。
5)中国
中国もアメリカ大陸同様、海水産、淡水産両方に長い天然真珠の歴史がある。海水産真珠については「天工開物」の中で詳しく述べられている。この中で広東地方の海で口に錫製のシュノーケルをくわえた漁師達が船から海に潜り、真珠貝を採取する様子が描かれている。この本の中には現在アコヤ真珠養殖が行われている「北海」や「合浦」などの地名が出てくる。一方淡水産天然真珠も紀元前2206年禹の国で他の産物と共に天然真珠が貢物として納められたと報告されている。真珠に関する記述は「康煕字典」や「本草綱目」などの古代文献にも数多くある。これらの中で真珠貝はすべて淡水産の貝(カラスガイ)を表す「蚌」の文字が使われている。
6)日本
日本は周囲を海に囲まれているため、昔から海水産天然真珠との関わりが深かった。真珠について最初の記述が出てくるのは古事記で、その中に「斯良多麻(シラタマ)」という言葉が出てくるが、これはおそらくアコヤ真珠であろう。また万葉集には「鰒珠(アワビタマ)」、「安波妣多麻(アハビタマ)」、「白珠(シラタマ)」、「之良多麻(シラタマ)」等の記述がある。このことから当時の海水産真珠のほとんどがアワビ真珠およびアコヤ真珠であると考えられる。それを裏付けるものとして、奈良の正倉院には1200年前の奈良時代の真珠が4,158個保存されているが、大半はアコヤ真珠で、若干のアワビ真珠が含まれている。真珠の産地として三重県の志摩地方や長崎県の対馬地方が古文書に出てくるが、これの地方では現在も真珠養殖が盛んに行われている。
2.現在市場で取引されている天然真珠
天然真珠は今も根強いファンに支えられており、毎年東京や神戸で開催されるジュエリーショーにも天然真珠を扱う業者が何社か出品している。現在市場に出回っている主な天然真珠は以下の通りである。
1)コンク天然真珠
カリブ海に生息する大型の巻貝ピンクガイ(Strombus gigas)から産出される天然真珠。
ピンクガイの肉は食用、また美しいピンク色を持った貝殻もカメオの材料となるので、カリブ海の漁師たちは古くからピンクガイを採取してきた。ピンクガイから肉を取り出す際、たまに天然真珠が見つかるので、これがコンク真珠として珍重されてきた。
コンク天然真珠には2つの特徴がある。第1の特徴は構造である。コンク天然真珠は通常の炭酸カルシウム結晶(アラゴナイト)とコンキオリンの層状構造を持たず、「交差板構造」と呼ばれる特殊な構造を持っている。真珠層構造を持たないことから厳密には真珠ではないが、例外的に真珠として扱われている。第2の特徴はその色で、これは人参や珊瑚の赤い色と同じカロチノイド色素に由来する。真珠は全く色素を含まない白色のものから、有機物を含んだ橙赤色のものもあるが、やはり特徴のある美しいピンク色が最も好まれている。コンク天然真珠を産出するピンクガイの採取は現在ワシントン条約の付属書Ⅱで規制されていて、原産地証明をつけることが義務付けられている。コンク真珠もその対象になるので、取扱には注意が必要である。
写真2:コンク天然真珠
写真3:ピンクガイ
2)ホースコンク天然真珠
ホースコンク天然真珠はアメリカ南東海岸、メキシコ北東岸に生息する法螺貝の一種であるホースコンク(和名:ダイオウイトマキボラ、学名:Pleuroploca gigantea)から産出される。色は橙色~赤褐色で、濃赤色のものが好まれる。形は割合オーバルが多い。コンク真珠に比べて産出量はそれほど多くない。コンク天然真珠同様真珠層構造を持たず、交差板構造を持つ。真珠表面に特有の小鱗模様がある。
写真4:ホースコンク天然真珠
写真5:ダイオウイトマキボラ
3)メロ天然真珠
メロ天然真珠は南シナ海、フィリピン海域、インド東部海岸、アンダマン海に生息するメロメロ(和名:ハルカゼヤシガイ、学名:Melo melo)から産出される。メロメロは台湾、インドネシア、ベトナムなどで食用として採取され、真珠はその際副産物として得られる。
メロ天然真珠は球形でサイズの大きなものが多く、直径30mm以上のものもある。色は黄褐色から赤褐色である。コンク天然真珠やホースコンク真珠同様交差板構造を持ち、真珠表面に特有の小鱗模様がある。
写真6:メロ天然真珠(メロパール)
写真7:メロメロ(ハルカゼヤシガイ)
4)アワビ天然真珠
アワビ(Haliotis sp.)は広く太平洋、大西洋、インド洋などに生息する巻貝で、特に日本沿岸、北米太平洋沿岸、オーストラリア沿岸は種類、数量とも豊富である。アワビは外洋性で岩礁の間に生息し、アラメなどの海藻類を餌にしている。
アワビ天然真珠は世界のあちこちで見られるが、球形のものは皆無に近い。多くのものは角状で、これはおそらく生殖腺の先細りになった先端部に形成されたためと考えられる。
アワビ天然真珠の歴史は古く、アメリカではカリフォルニアの先住民が7000年以上も前に真珠が品物として取引の対象になっていたという記録がある。20世紀になるとアワビ天然真珠は宝飾品として多く用いられ、アールヌーボーのジュエリーの中でもポピュラーなものになっている。現在ニュージーランドでアワビ天然真珠を専門に扱う業者が一社ある。
写真8:アワビ(ニュージーランド産)
写真9:淡水天然真珠(アメリカ産)
5)淡水天然真珠
現在市場に出されているほとんどの淡水天然真珠はアメリカ産である。養殖真珠用の核材料として淡水産二枚貝を採取した際、副産物として得られたもので、産出母貝は不明である。アメリカ産淡水天然真珠はかなり大きなものがあり、5カラットのものもそれほど異常な大きさではない。形は色々あるが球形のものは極めて少なく、真珠全体の約0.01%である。またボタン、俵、ペアなど対称型のものは約5%、残りの約95%はウィング、ローズバッド、ドッグティース、タートルバックなど様々な名前がつけられた不整形であると言われている。色は約3分の2がホワイト系であるが、その他に様々な色があり、ピーチ、アプリコット、ロゼ、ラベンダー、ブロンズ、シルバーなどの名称がつけられている。
3.天然真珠に関する問題点
1919年御木本幸吉が真円養殖真珠をパリ、ロンドンの市場で販売を開始した際、ヨーロッパで天然真珠を扱っていた真珠業者は大パニックに陥った。外観が全く天然真珠と変わらない真珠が20%安い価格で大量に出現したからである。そこで天然真珠と養殖真珠を非破壊で鑑別する方法が大きな問題となった。この鑑別は困難を極め、穴が開いている場合は「エンドスコープ」という器具を使用し、中空の針を穴に挿入して光を通し、天然真珠の場合は真珠層、養殖真珠の場合は核を透過する光を調べる方法で鑑別したが、無穴の真珠については全くお手上げ状態であった。その後X線装置が開発されたので、真珠の中に球形の核があるかどうかがX線でチェック出来るようになり、天然、養殖の鑑別が可能になった。
現在天然、養殖の鑑別が再び問題になっている。養殖技術が進歩した結果、「ピース」と呼ばれる外套膜小片のみを真珠貝に挿入して作る無核真珠(中国産淡水真珠の大半がこの無核真珠である)、またケシと呼ばれる大粒のシロチョウ、クロチョウ無核真珠が出現したからである。このため過去のように真珠の中に球形の核があるか無いかで天然、養殖かを鑑別出来なくなったのである。また無核淡水真珠を核としてシロチョウ、クロチョウ真珠も養殖され、これもX線のみでは鑑別が困難になっている。前述のように長い天然真珠の歴史を持つ国バーレーンでは現在も自国の天然真珠産業を保護するため、養殖真珠の輸入を禁止している。ここに海外から様々な無核の養殖真珠が天然真珠としてどっと入ってくるのである。バーレーン政府の鑑別機関はX線をフル活用して天然、養殖のチェックを行っているが、だんだん鑑別が困難になり、世界に向かって「バーレーンに真珠を持ち込む場合は必ず「天然」、「養殖」を明記して欲しい」と呼びかけているが、実際それほどの効果は挙がっていないようである。
おわりに
2005年10月8日から2006年1月22日に東京上野の国立科学博物館で「パール展」が、そして2012年7月28日から10月14日に神戸の兵庫県立美術館で「日カタール国交樹立40周年 パール 海の宝石」展が開催され、貴重な天然真珠が数多く展示され、多くの真珠ファンを喜ばせた。これらを見ていると、時間や空間を飛び越えて目の前に迫ってくる天然真珠の迫力に圧倒された。これらはすべて「なるほど真珠は宝石である」と実感するのに十分なものであった。今希少価値を失ってしまった養殖真珠を見るにつけ、もう一度天然真珠の時代に遡って、「真珠とは」と問いかける時代に来ているように思われる。(つづく)