CGL通信 vol42 「IGC35 参加報告」
リサーチ室 江森 健太郎
去る2017年10月8日~10月15日、ナミビアのウィントフックにて第35回国際宝石学会(International Gemmological Conference, IGC)が開催されました。弊社リサーチ室から筆者が出席し、本会議における口頭発表を行いました。以下に概要を報告致します。
◆国際宝石学会(IGC)とは
国際宝石学会(以下IGC)は国際的に著名な地質学者、鉱物学者、先端的なジェモロジストで構成されており、宝石学の発展と研究者の交流を目的に2年に1度本会議が開催されます。この会議は1952年にドイツで第1回会議が開かれてから、今年で35回目の開催となります。発足当初はヨーロッパの各国で毎年開催されていましたが、近年では2〜3年に1回ヨーロッパとそれ以外の地域の各国で交互に開催されています。
IGCは他の一般的な学会とは異なり、今もなおクローズド・メンバー制が守られています。メンバーはデレゲート(Delegate)とオブザーバー(Observer)で構成されます。オブザーバーは国際的に活躍するジェモロジストでエグゼクティブコミッティ(Executive Committee)もしくはデレゲートの推薦によりIGCの会議に招待されます。デレゲートはオブザーバーとして3回以上IGC会議に出席し、優れた発表がなされたとエグゼクティブコミッティに推薦されたものが昇格します。デレゲートは原則的に各国1〜2名、現在33ヶ国からの参加者で構成されています。なお、IGCにおいては、1989年のイタリアで行われた本会議で下記のルールが決められています。
1.主たる目的は、宝石学に関する情報の交換である。
2.宝石学がすべてのトピックのプラットフォームであり、主要なテーマである。
3.すべての会議への出席は、会議幹事及び執行委員会がしかるべき場所で決定した招待状が必要である。
4.すべてのデレゲート(各国の代表者)は論文を提出しなければならないが、これは必須ではない。
5.すべてのデレゲート(各国の代表者)はIGCのミーティングにおいて英語による書面ないしは口頭によるプレゼンテーションを行っている必要がある。
6.会議は主要な目的を最優先にし、この目的の希薄化 / 混乱を避けなければならない。守らなければ真の地位または信頼性のない空白の組織になる可能性がある。
7.商業的な活動は最小限に抑える必要があり、どのようなスポンサーシップも避けなければならない。
このようなメンバー制は排他的な一面がある一方、メンバーたちの互いに尊重しあう格式ある風土やアットホームで親密なファミリーという認識の交流が保たれています。
今回の第35回IGC会議では、メンバー(デレゲート)とオブザーバー、そしてゲストを合わせて約80名が会議に出席しました。日本からは弊社技術者(筆者)以外に、デレゲートとしてDr. Ahmadjan Abdriyimと古屋正貴氏、ゲストとして大久保洋子氏、玉内朱美氏が会議に出席しました。
◆開催地
開催国であるナミビア共和国は当初ドイツ(一部イギリス)が植民地とし、植民地時代の名称は南西アフリカでした。第一次世界大戦後、南アフリカ連邦の委任統治下に置かれましたが、第二次世界大戦後の国際連盟解散を機に国際法上違法な併合が行われました。その後、1966年にナミビア独立戦争がはじまり、1990年に独立を達成しました。言語は政府機関等の公式的な場、標識、ビジネス、文書は公用語である英語が使用されていますが、日常会話はアフリカーンス語が共通語として最も広く使われています。
また、開催地のウィントフック(Windhoek、アフリカーンス語で「風の曲がり角」の意)はナミビア共和国のほぼ中央に位置し、標高1657mの高地にある同国の首都です。人口は約43万人(2017年3月)で、ナミビア共和国の商業、工業の中心地です。中世ドイツ風の建物が現存し、清潔できれいな街並みとなっています。
◆第35回国際会議
今回のIGCは、過去のIGCと同様Pre–Conference Tour(10/8(日)〜10/11(水))、本会議(10/11(水)〜10/15(日))、Post–Conference Tour(10/16(月)〜10/19(木))の3本立てで行われました。本会議前後のConference Tourは開催地周辺のジェモロジーや地質・鉱物に因んだ土地・博物館を訪れます。筆者は本会議とPre–Conference Tourに参加しました。
◆Pre–Conference Tour
10/8(日)~10/11(水)の4日間、Pre–Conference Tour(会議前の巡検)に参加しました。
初日8日、28名の参加者はウィントフックからチャーターしたセスナ3機でナミビアと南アフリカの国境傍のOranjemund(オランジェムンド)空港へ、そして空港からバスでロッジに移動しました。
オレンジ川の河口を意味するOranjemundはナミビアの最南西の町です。この町はオレンジ川の北岸でダイヤモンドが発見されたのを受けて1936年に造られました。この町にはナミビアの鉱山エネルギー省(Ministry of Mines and Energy)が発行した許可証がなければ近づくことすらできません。我々ツアー参加者は、Oranjemundそして9日に訪れたNANDEBのダイヤモンドの鉱山を訪問する許可を得るために犯罪経歴証明書の提出を必要としました。このために必要な犯罪経歴証明書の取得は、通常の犯罪経歴証明書とは異なり、特別発給という手順を踏まなければいけません。日本人の場合、ナミビアの鉱山エネルギー省(Ministry of Mines and Energy)からの招待状を外務省に提出し、発給まで2ヶ月を要しました。犯罪経歴証明書の提出後、ナミビアの鉱山エネルギー省の審査を経て、入場が認められます。
9日、バスに乗りNANDEBのダイヤモンド鉱山へと向かいました。NANDEBのダイヤモンド鉱山は非常に厳重な警備が敷かれています。入退場には指紋の採取を行う他、厳しいセキュリティチェックがあり、デジタル機器(カメラ含む)、金属類は一切持ち込み禁止でした。ナミビアのダイヤモンド鉱山については下記点線内をご参照下さい。
==================================================
ナミビアのダイヤモンド
ダイヤモンドは非常に高い温度と圧力下で地球の上部マントルに形成されます。キンバーライトのマグマが深い割れ目を通り地表に向かい進む途中、ダイヤモンドを捕獲することがあります。そのマグマが噴火し冷却した後、ダイヤモンドを含むキンバーライトパイプを形成します。アフリカ内部の奥地でそのキンバーライトは主に雨による風化によって浸食され、オレンジ川によって大西洋に運ばれ、海岸に堆積しました。
1867年初期、南アフリカのオレンジ川沿いにあるホープタウンの小さな集落の近く、ボーア人の農民ダニエル・ヤコブの土地で、南アフリカで初となるダイヤモンドが発見されています。ナミビアでは、1863年に海岸沿いで探鉱が行われ、1908年にZacharia Lewalaという鉄道作業員がダイヤモンドを発見、ナミビアで大規模なダイヤモンドラッシュが始まりました。1911 年、ナミビアでダイヤモンド採掘の法令が制定され、禁制領域が宣言されました。
1920年、アーネスト・オッペンハイマー卿がConsolidated Diamond Mines of South West Africa(以下CDM)を設立し、ダイヤモンド採掘を中心とする町Oranjemund(オランジェムンド)が1936年に造られました。この町はナミビアのダイヤモンド鉱区1とオレンジ川の鉱山を管轄しています。なお、このCDMは1929年にDe Beers(デ・ビアス)に吸収され、1994年まではDe Beersの完全出資でした。
1994年、CDMとナミビア共和国政府との間に協定が結ばれ、Namdeb Diamond Corporation(Pty)Limited(以下Namdeb)が設立されました。Namdebはナミビア共和国政府とDe Beersが折半で出資をしています。De Beersグループのこれまでのナミビアの採掘免許や関連権利に代わり、ナミビア独立後の鉱山法律制定に基づいて整理統合された協約が制定されています。
ダイヤモンドを採掘する方法は大きく分けて3つで、露天採掘、地下採掘、沖積採掘があります。露天採掘は、ダイヤモンドを含むキンバーライトパイプが地表に出ている場所で露天掘りを行う手法、地下採掘は地下に存在するキンバーライトパイプを直接採掘する方法です。ナミビアでは沖積採掘が行なわれており、キンバーライトが風化や浸食により河川に流れ出し、流域の砂礫(砂利)の中に堆積した沖積鉱床から採掘を行っています。沿岸や海洋から砂と土を取り除き、その中からダイヤモンドを見つける作業を行います。(ダイヤモンドの採掘方法についての詳細は、CGLが運営するダイヤモンドミュージアムwebサイトhttps://www.cgl.co.jp/museum/中のコンテンツ「ダイヤモンドの誕生」に掲載されています)
Namdebは世界を代表するダイヤモンド沖積採掘企業で、覆っている地表を取り除いてからダイヤモンドを抽出する作業を行っています。まず、表土(ダイヤモンドを含む表面の物質、砂や礫岩等様々)をブルドーザーや掘削機で掘削作業を行います。この表土は厚さ40mになることもあります。表土の一番下には岩盤があり、その上に川によって運ばれたダイヤモンドが堆積しています。岩盤の上にこびりついた堆積物は作業員がコンテナタイプの真空掃除機で回収します。回収されたものは、処理工場に運ばれ、150mm未満の小片にされます。重液選鉱の作業でダイヤモンドを含んだ濃縮物を得ます。濃縮物は工場に運ばれたうちの約1%相当で、その後中央回収プラントに運ばれ、ダイヤモンドを得ます。
Namdebは複数のダイヤモンド鉱山の採掘ライセンスを取得しています。鉱区1、Bogenfels、Elizabeth Bayでの採掘ライセンスの対象地域はオレンジ川からナミビアの北部Lüderitz (リューデリッツ)で、大西洋沖5.5kmから内陸部20〜35kmまでに渡ります。
2007年、デ・ビアスとナミビア共和国政府はナミビアDTC(NDTC)を設立、NDTCはナミビアの製造業者にダイヤモンドを供給しています。2007年、NDTCは2011年に終了する3年半の契約期間の間に未研磨ダイヤモンドを受け取る11社を指名し、10月下旬に最初の配分がありました。このプロジェクトはナミビアのダイヤモンド収入をナミビアの関連産業に創出し拡大するためのもので、この計画は2009年までにナミビアのGDPの約5%に相当する3億ドル相当の未研磨ダイヤモンドを現地のダイヤモンド製造者に供給することでした。
なお、長年に渡りダイヤモンド製造者は繰り返し損失を報告しているため、現地での研磨に不適当なダイヤモンドをインドや中国等ほかの国に輸出する権限が与えられています。今日もNDTCは11の製造業者にダイヤモンド原石を供給し続けています。
Kimberley Processによると、ナミビアは年間10億ドル相当の年間ダイヤモンド生産量を誇り、世界で6番目に大きなダイヤモンド鉱山国ですが、産出量は年々低下しているそうです。
==================================================
NANDEBのダイヤモンド鉱山を見学後、再びチャーターしたセスナ機3機とバスでLüderitz(リューデリッツ、以下リューデリッツ)へ移動します。リューデリッツは大西洋に面した港町です。1883年、ドイツ人商人アドルフ・リューデリッツの代理人であるハインリヒ・フォーゲルザングが周辺と土地をナマクア族から購入し、街が作られました。1908年にリューデリッツでダイヤモンドが発見され、大きく発展しましたが、現在はリューデリッツ以外での採掘が盛んになり、ダイヤモンド関係で得たものの多くを失っています。港は海底が非常に浅いため、海運業も他の町(ウォルビスベイ)に移ってしまいましたが、最近新しい埠頭や旅行客を取り込むための町が再整備されました。また、アール・ヌーヴォーなど植民地時代の建築が残っています。
10日、バスに乗り、リューデリッツから2、3km内部にあるKolmanskop(コールマンスコップ)へ向かいました。コールマンスコップはゴーストタウンであり人気の観光スポットです。リューデリッツでダイヤモンドが発見されてから発展し、ナミビアの砂漠の過酷な環境の中で働く労働者たちの休息の地となっていただけでなく、ダイヤモンド取引所等も整備されていました。しかし、第2次世界大戦後、ダイヤモンドの価格が暴落し、衰退した結果、1956年に無人になりました。現在は、砂の中に半ば埋もれてしまった家の中を見学することができます。
コールマンスコップを視察した後、リューデリッツの海岸のビューポイントや観光名所であるGoerke Haus、Felsenkircheを周りました。リューデリッツはその海岸が美しいことで知られており、また、1900年代初頭の建築物も残っています。Georke HausはリューデリッツのDiamond Hill(ダイヤモンドヒル)に1910年に建造された贅沢な物件の1つであり、また、Felsenkircheも同じくダイヤモンドヒルに1912年代に建造された教会でステンドグラスが美しいことで有名です。
Pre–Conference Tour最終日の11日(水)、リューデリッツからセスナ機に乗り、Sossusvley(ソッサスブレイ)へ向かいました。ソッサスブレイはナミブ砂漠にある砂丘群です。ナミブ砂漠は、約8000年前に生まれた世界で最も古い砂漠であると考えられており、南北約1300km、東西約50〜160km、面積は約50000km²に渡り、これは九州の面積の約1.4倍に相当します。
大西洋を北上する寒流ベンゲラ海流の影響で、ドラケンスバーグ山脈からオレンジ川を流れ出た砂が海岸で強風により内陸に押し返されて形成した典型的な西岸砂漠です。2013年の第37回世界遺産委員会でUNESCOの世界遺産リストに加えられました。なお、ナミブ砂漠の「ナミブ」はナミビアの主要民族であるサン族の言葉で「何もない」という意味です。ツアー参加者は3台のジープに分かれ、広大なナミブ砂漠のソッサスブレイをドライブし、巨大な砂丘を登ったり、野生動物を見たりすることができました。
ソッサスブレイの次はSesriem(セスリウム)渓谷に行きました。セスリウム渓谷は1500万年かけて水の浸食でできた渓谷であり、長さ1km、深さは30mもあります。渓谷と名前がついていますが、水は枯れており、雨季にのみ水が流れるとのことです。
参加者はナミブ砂漠を観光した後、セスナに乗りウィントフックの本会議が開催されるホテル「Safari Court Hotel」へと向かい、Pre–Conference Tourは終了しました。
◆本会議
本会議の初日11日(水)19:00よりウェルカムレセプションパーティーが開催されました。各国から集まった旧友たちが2年ぶりに再会し、お互いの健康や研究成果をたたえあい、旧交を深めます。
翌日12日(木)からの本会議はSafari Hotelにて朝9時からのオープニングセレモニーで始まりました。
まず、主催者であり、IGC35の議長を務めるDr. Ulrich Henn(German Gemmological Association)が開会宣言を行い、引き続き、Dr. Jayshree Panjikarが挨拶をされました。その後、ナミビアでのオーガナイザーであり、地質学者のAndreas G. Palfi氏、Ministry of Mines and Energy of Namibiaの次官であるHon. Kornelia Shilunga氏、Chamber of Mines of NamibiaのChief Executive OfficerであるVeston Malango氏が祝辞を述べました。 会場を埋めた参加者達は次第に気持ちが引き締まり、緊張感が高まります。45分のセレモニーが終了すると、招待講演がはじまります。今回の招待講演はGabi Schneider氏(Namibian Uranium Association)が「 The History of Diamond Mining in Namibia 」、 続いてAndreas Palfi氏が「Colour and Ornamental Stones of Namibia」という題で発表を行いました。招待講演の後、昼食をはさんで一般講演が始まりました。
一般講演は12日〜15日と4日間に渡り行われました。各講演は質疑応答を含め各20分で行われ、計35題が発表されました。うち、ナミビアと南アフリカの宝石が4題、コランダム8題、ダイヤモンド5題、真珠3題、スピネル2題、エメラルド1題、トルマリン1題、ガーネット1題、アメシスト1題、トルコ石1題、こはく1題、アンモライト1題、コーディエライト1題、ひすい1題、産地1題、分析技術1題、イミテーション1題、用語関係1題でした。弊社リサーチ室からは、筆者が「Synthetic Diamonds Having Features Similar to Natural Diamonds(第一著者は弊社リサーチ室室長北脇裕士)」「Identification of Natural and Synthetic Amethyst Using Multivariate Analysis」の2題発表を行いました。また、一般講演期間中は講演会場前がポスターセッション会場となっており、13件のポスター発表が行われていました。
IGC35で行われたすべての一般講演、ポスター発表の講演要旨については、2018年1月現在International Gemmo-
logical Conferenceのwebサイト:
http://www.igc-gemmology.org/
よりダウンロード可能となっております。
一般講演開催期間の12日〜14日の間、会場に併設された会場でIndustry Growth Strategy(IGS) for the Gemstone and Jewellery Industry of Namibia主催による、「Exhibition and sale of Namibian minerals and gemstones by small–scale miners, gemstone auction, Namibian jewellery exhibition」というナミビアで産出された様々な鉱石、宝石の即売会、オークションが行われており、ナミビア産の貴重なサンプルを入手することができました。
最後に、会議の最終日15日の閉会式において、次回のIGC36の開催地はフランスのナントであることが決定しました。
国際宝石学会は、世界的に著名なジェモロジストが参加し、交流を深めることができます。この交流によって各国の状況や生の声を聞くことができます。また、今回はPost Conference Tourには参加しませんでしたが、カンファレンス前後のツアーでは宝石を研究する上で必要な原産地視察を行うことができ、貴重な体験となります。中央宝石研究所はこれからもこのような国際会議に積極的に参加し、情報を仕入れるよう努めていく予定です。◆