『高圧合成ダイヤモンド-私が出会った様々な結晶-』第2回

公益財団法人 つくば科学万博記念財団参事/理学博士
中央宝石研究所 技術顧問 神田 久生

はじめに

前回、ダイヤモンドの高圧合成法について述べた。今回は、合成されたダイヤモンドの形の特徴を紹介する。宝石のダイヤモンドを評価する場合、4Cという言葉をよく聞く。この4つのCはCarat Cut Color Clarityの頭文字のCであるが、結晶としての特徴という視点からは、この4Cは、それぞれ、サイズ、形、色、含有物ということができよう。今回はそのうちの形ということになる。私は、結晶成長のメカニズムに関心があったため、合成実験で得られた結晶を見るとき、その結晶がどのように成長してきたのであろうか、ということがいつも頭にあった。それで研究を続けながら、結晶の形や表面模様を注意深く観察したものである。

ダイヤモンドの基本的な形

ダイヤモンドでは炭素原子が4本の手でお互いに結合している。原子を玉に見立てて、図1(左)のように4本の手で繋いでいくと、図1(右)のように八面体ができてくる。繋ぐ際、表面に現れる手が少なくなるように繋ぐのである。このことから、本物のダイヤモンドが成長するときも、炭素原子を積み重ねていくと八面体ができやすいといいうことが感覚的に理解できる。実際、天然結晶はこの八面体が基本形とされていている(図2)。それに対して、高圧合成ダイヤモンドはキューブの面が大きく発達した結晶がよく現れるといわれている(図3)。

図1 ダイヤモンドの結晶模型。 (左) のように黒い玉を繋いでいくと(右)のような模型ができる。
図1 ダイヤモンドの結晶模型。 (左) のように黒い玉を繋いでいくと(右)のような模型ができる。

 

図2 八面体の天然ダイヤモンド
図2 八面体の天然ダイヤモンド
図3 高圧合成ダイヤモンド。 {111}面と{100}面からなる。
図3 高圧合成ダイヤモンド。 {111}面と{100}面からなる。

キューブの面だけの結晶はさいころのような六面体になることから、八面体の三角形と六面体のキューブの面の両方があらわれる結晶は六八面体と呼ばれる。ダイヤモンド合成研究の初期には、キューブの面の有無が天然結晶と合成結晶との大きな相違点とされていた。
私がダイヤモンド合成を始めたときには、図2,3のように、天然ダイヤモンドは八面体、合成ダイヤモンドは六八面体、というイメージを持っていて、それをスタートとして実験を始め、実験を続けていくなかで多様な形に出会うことになったわけである。また、結晶の表面模様についても、天然結晶と合成結晶には大きな違いがあり、天然結晶ではトライゴンと呼ばれる三角形の凹みがあるのに対して、合成結晶では樹枝状模様が見られる、というのが予備知識であった(図4)。

図4 (a)トライゴンが見られる天然ダイヤモンド表面。
図4 (a)トライゴンが見られる天然ダイヤモンド表面。
図4 (b)樹枝状模様がみられる高圧合成ダイヤモンド表面。
図4 (b)樹枝状模様がみられる高圧合成ダイヤモンド表面。
金属触媒

ゼネラルエレクトリック(GE)社などの先行研究を追って、私は、まずさまざまな金属触媒(本稿では触媒と表現するが、この金属は炭素の溶媒として働くので金属溶媒とも言われることもある)を使ってダイヤモンドを合成した。ダイヤモンドの金属触媒として有効なものは、鉄(Fe)、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、それにこれらを主成分とする合金に限られるといわれていた。それで、私は、市販の合金を使ったり、アークメルト炉で所望の組成の合金をつくり、それを使ってダイヤモンドを合成した。

図5 高圧合成ダイヤモンド。{111},{100},{110},{113}の4種類の面が認められる。
図5 高圧合成ダイヤモンド。{111},{100},{110},{113}の4種類の面が認められる。

このような種々の金属触媒を用いて合成したダイヤモンドを観察してみると、文献にあるように、{1 1 1}面と{1 0 0}面が大きく発達したものが多かった。しかし、私の体験では、{100}面と同じくらい{113}面や{110}面も頻繁に見られた。図5のように、{111}、{100}、{113}、{110}の4種類が見られる。これらの面は、八面体を基にして頂点や陵を削ると現れる面で、模式的に示すと図6のようになる。ここに表示した{111}、{100}、{113}、{110}は結晶面の向きを示す記号でそれぞれの表面で炭素原子の配列が異なる。異なる記号の表面は成長のメカニズムも異なる。

図6 ダイヤモンド結晶外形の模式図。面の方位が{}で表記されている。
図6 ダイヤモンド結晶外形の模式図。面の方位が{}で表記されている。

上述のように、合成結晶に見られる表面は{ 1 1 1 }、{ 1 0 0 }、{ 1 1 3 }、{ 1 1 0 }が頻繁に現れるが、G E の論文には{ 1 1 1 }、{ 1 0 0 }、{ 1 1 3 }、{110}ほかに、{117}もあらわれると記載されている。珍しいもの好きな私は、{117}面も気になり、この面を見つけること、そして、このような高指数の面がなぜ出現するのかにも関心があった。繰り返し合成実験をしていると、稀に、{117}らしい面をもつ結晶ができることもあった。

図7 {115}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。
図7 {115}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。
図8 {113}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。
図8 {113}面のみられる高圧合成ダイヤモンド。

図7のように、{111}面と{100}面との間に二つの面が見える。たいていは、図8のようにひとつだけで、これは{113}面である。したがって、二つ目の面は、レアな{117}面に違いなく、GEの論文の追試に成功、ということになった。しかし、どうして{117}というような方向の面がでるのか、ダイヤモンドの炭素原子の配列とどういう関連があるのか疑問は残り、その面の角度を調べた。このような問題は、重箱の隅を突くようなオタクのやることであるが、私はこのようなことについはまり込んで、この面の写真をとって角度を測定した。その結果、{117}ではなく{115}という方位のほうが正しいことがわかった。{117}でも{115}でも些細なことでどちらでもよいかもしれないが、炭素原子の配列の点でも{115}のほうが理屈に合うようで、気分的にすっきりして満足した(覚えがある)。
{111}、{100}などの面がどのような仕組みで出現するのか、結晶成長機構に関心のある私には、その機構の理解を進めたいということで、成長機構の証拠が残されている結晶表面の模様も調べていた。砂川先生は早くから表面模様の観察をもとに結晶成長機構を研究されており、さまざまな結晶について、位相差顕微鏡で原子オーダーの凹凸を観察し、成長ステップの形態からスパイラル成長などの成長機構を報告されている。
私は、位相差顕微鏡はほとんど使わなかったが微分干渉顕微鏡をよく使った。手軽に結晶表面の模様が観察できる顕微鏡である。しかも、光の干渉効果で美しいカラー画像を楽しむことができる。合成した結晶表面を顕微鏡で眺めてみると、よく見られるのが図4のような樹枝状模様である。これはダイヤモンド合成初期から、合成ダイヤモンドの大きな特徴のひとつとして記載され、天然ダイヤモンドにはみられないものである。この樹枝状模様はそれなりに多様性があり、なかにはダイヤモンドの結晶方位と関係する対称性の高い美しい幾何学的なパターンも観察されたこともある(図9)。

図9 方位のそろった樹枝状模様。 (a){100}
図9 方位のそろった樹枝状模様。 (a){100}
図9 方位のそろった樹枝状模様。 (b){111}
図9 方位のそろった樹枝状模様。 (b){111}

この模様は金属触媒の合金組成と関係していた。これらの模様はそれなりにきれいではあるが、結晶成長機構を考えようとすると、不都合な模様である。なぜなら、この樹枝状模様は、ダイヤモンドの成長中の模様ではなく、金属触媒が固化するとき形成されるものだからである。樹枝状模様は成長模様を覆い隠してしまっている。成長機構を調べるためには、何とかして、樹枝状模様のない結晶を得たいと常々思っていた。
1980年代半ば、砂川先生の指導の下で博士論文を作成する機会を得た。そのとき、論文のために何か新しい成果を追加したいと思って、それまでに合成した結晶を眺めていて、樹枝状模様のない結晶もできていることに気がついた。樹枝状模様は、金属触媒が固化するときダイヤモンドが金属の中にあるとできてしまう。それでダイヤモンドが、金属触媒が固化する前に金属触媒から飛び出てしまえば、樹枝状模様はできず、飛び出たときの成長表面が残っている。そのような結晶の写真と模式図を図10に示す。高圧容器の中でダイヤモンドが成長中に液体状態の金属触媒が変形することがある。この変形のとき、ダイヤモンドが部分的に飛び出たのである。成長温度が高いときにこのようなことが起きやすい。このようにしてできた樹枝状模様のない表面を詳しく観察すると、結晶成長の仕組みを考える上で興味深い模様がみられた。

図10 成長中に金属触媒から部分的に飛び出たダイヤモンド。 模式図のハッチ部分が金属触媒に埋まっており、その他の部分が飛び出ていた。
図10 成長中に金属触媒から部分的に飛び出たダイヤモンド。模式図のハッチ部分が金属触媒に埋まっており、その他の部分が飛び出ていた。

まず、{111}面であるが、この面は非常にフラットで、位相差顕微鏡や微分干渉顕微鏡でやっと判別できる原子オーダーの成長ステップが観察された( 図1 1 )。このダイヤモンドはこのような原子オーダーの成長層が広がりながら成長したと考えられる。他の結晶では、成長表面上に成長丘のみられる結晶もあった(図12)。これはこの成長丘の中心から成長層が広がるような成長をしていたことを示す。図13のような面白い模様もみられた。スパイラル模様があるが、これを詳しく見るとスパイラルの中央は周囲よりくぼんでいることがわかった。つまり、この結晶は、金属溶媒から飛び出たときには、溶解しつつあったということがいえる。私が行った成長実験では、ダイヤモンドは常に一定速度で成長したとは限らず、条件や環境の変動で溶解することもあったことを示す。

図11 成長ステップのみられる{111}面。
図11 成長ステップのみられる{111}面。
図12 成長丘のみられる{111}面。
図12 成長丘のみられる{111}面。

 

図13 スパイラルの溶解模様のみられる{111}面。 (b) は(a)の中の矢印で示す部分の拡大写真。
図13 スパイラルの溶解模様のみられる{111}面。 (b) は(a)の中の矢印で示す部分の拡大写真。

樹枝状模様のない{100}面もみられることもあったが、これは全く平らで、成長ステップもよくわからなかった。{110}面や{113}面も観察することができた。図14に{110}面と{113}面を示す。表面は平滑で、隣の面との境界のエッジが盛り上がっている。隣の{111}面が庇のように飛び出ている。このような凹面になる成長は{111}のように成長層が広がるというような成長とは異なるのかもしれない。

図14 樹枝状模様のみえない (a){110}面と (b){113}面。
図14 樹枝状模様のみえない (a){110}面と (b){113}面。

以上、鉄やニッケルなどの金属触媒で合成されたダイヤモンドの特徴を述べた。これらの金属触媒は、半世紀前にGEにより見出され、現在、高圧合成ダイヤモンドの生産に用いられている主要なものである。次に、変わった溶媒の中で育ったダイヤモンドの特徴を紹介する。

非金属触媒

1990年、私の先輩であった赤石實氏が、黒鉛に炭酸カルシウムを混ぜて高温高圧処理すると黒鉛がダイヤモンドに変換することを見出した。ダイヤモンドの新触媒の発見である。天然ダイヤモンドは、金属触媒からできているわけではないので、この炭酸塩からのダイヤモンドの生成は、天然ダイヤモンドの成因と関連することが期待され、地球科学的にも興味深いものである。その後、炭酸塩のほかに、水やキンバライトなどからもダイヤモンドが生成することも確認された。これら非金属触媒から合成されるダイヤモンドは数ミクロンから数十ミクロンの微粒しかできず、天然ダイヤモンドと様子は大分違っている。私は、結晶成長の興味から、成長メカニズムがより詳しく観察できるように、ダイヤモンド基板上への成長の様子を調べた。ダイヤモンドの成長は通常の金属触媒に比べると成長速度は桁違いに小さく、種結晶の上に数十ミクロンオーダーの薄い成長層が現れる程度であった(図15)。しかし、成長模様は興味深いものであった。
種結晶を覆った{111}成長面には成長丘が観察され、成長ステップが広がることで成長していることがわかる(図16)。

図15 非金属触媒から成長したダイヤモンド。種結晶を薄く覆っている成長層(矢印)。
図15 非金属触媒から成長したダイヤモンド。種結晶を薄く覆っている成長層(矢印)。
図16 非金属触媒から成長したダイヤモンドの{111}成長面(写真の上半分の領域)。
図16 非金属触媒から成長したダイヤモンドの{111}成長面(写真の上半分の領域)。

図17は美しいスパイラルパターンを示す。{100}面においても成長丘が観察され成長層の拡がりが見られたが、凹凸が大きいものであり、金属触媒からの成長とはずいぶん異なる成長模様が観察された(図18)。

図17 非金属触媒から成長した{111}成長面上にみられるスパイラル模様。
図17 非金属触媒から成長した{111}成長面上にみられるスパイラル模様。

 

図18 非金属触媒から成長したダイヤモンド{100}面上の成長丘。(a)微分干渉顕微鏡、 (b)干渉像。
図18 非金属触媒から成長したダイヤモンド{100}面上の成長丘。(a)微分干渉顕微鏡、 (b)干渉像。

 

非金属触媒からダイヤモンドが成長することがわかってから、他の物質からでもダイヤモンドが成長するだろうという期待で、赤石氏や私は新触媒の探索を行った。その結果、銅や亜鉛など炭素とはほとんど反応しないといわれる金属の中からもダイヤモンドが成長することがわかり、リンの中からも成長した。(どうしてリンからの成長を試みたかというと、ダイヤモンドにリンがドーピングされるとn形半導体となり、エレクトロニクスの分野で役に立つことが期待されるためである。)これら成長したダイヤモンドはユニークな成長パターンを示し、その解釈に頭をひねるようなこともあった。
銅から成長した結晶には、{110}面だけからなるダイヤモンドも成長した(図19)。理想的な形になれば、十二面体となる。天然ダイヤモンドには十二面体結晶も知られているが、その場合は、溶解によって生成したものといわれていることから、{110}面が主要な面として成長するのは珍しい。

図19 銅から成長したダイヤモンド。{110}面からなる12面体結晶(矢印)が、黒鉛に埋まっている。
図19 銅から成長したダイヤモンド。{110}面からなる12面体結晶(矢印)が、黒鉛に埋まっている。

リンから成長した結晶にはもっと不思議な形がみられた。図20に{111}面上の成長パターンを示す。きれいな成長丘であるが、そこのステップの方向がちょっと変わっている。

図20 リンから成長したダイヤモンド{111}面上の成長丘。成長ステップが<110>方向から外れている。
図20 リンから成長したダイヤモンド{111}面上の成長丘。成長ステップが方向から外れている。
図21 リンから成長したダイヤモンド{100}表面に見らえれる微小窪み。くぼみの斜面は{310}という項高指数面からなる。
図21 リンから成長したダイヤモンド{100}表面に見らえれる微小窪み。くぼみの斜面は{310}という項高指数面からなる。

{111}面上の成長ステップは、通常は<110>方向で、成長丘は三角形あるいは六角形に限られる。ところが図20の成長ステップの方向を測定すると<321>になる。この方向のステップでは炭素原子の配列はイメージしにくい。このような成長丘がみられる結晶で、{100}面に相当するところではどうなっているかといえば、図21のような穴ぼこだらけで、しかもその穴の斜面の方位も奇妙で、その方位を求めると{310}となった。このような高指数の面は、ダイヤモンドの炭素原子の配列からはとても理解できない。いまもって不思議な形である。
次に、また違った種類の奇妙な形のダイヤモンドを紹介する。

水の影響

ダイヤモンド合成を始めた初期のころの話である。できるだけ精度を上げて結晶を作ろうということで、反応容器に熱電対を入れて温度をモニターしながらダイヤモンドの合成を試みた。温度をきちんと測りながらダイヤモンドを合成すればできてくる結晶はよいものだろうと期待したわけである。しかし、何度か試みてもどうも形が悪い。一部欠けたような形のキズものである。「熱電対を入れて丁寧に」、というところが裏目に出ているのかもしれないと思った。熱電対を差し込むとき、それを固定するためセメントを使うので、そのときのセメントに含まれる水がいたずらをするのかもしれない。それで、水の影響を確認するため、ヒーターの内部にわざと水を添加してダイヤモンドを合成してみた。そうすると案の定、できたダイヤモンドはキズモノであった。このようなことから、水を出す物質として水酸化マグネシウム(Mg(OH)2)を添加し、その添加量を変えてできてくるダイヤモンドの形態を観察した。その結果が図22のとおりである。添加量が増えるとともに形も奇妙になっていった。添加量が少ないときには、八面体のエッジを削るように、筋の入った{1 1 0}面が現れた。さらに添加量が増えると、平らな{111}面はできなくなり、平滑面は{100}面だけとなった。そして次には、針状の結晶の集合体となってしまった。こうして、水は金属触媒のはたらきに何らかの影響を与えることがわかった。しかし、その仕組みはよくわからない。これも不思議な現象である。

図22 水の影響下で成長したダイヤモンド。水の添加量の増加に伴って(a)→(c)のように荒れた結晶面が主体となっていく。
図22 水の影響下で成長したダイヤモンド。水の添加量の増加に伴って(a)→(c)のように荒れた結晶面が主体となっていく。
おわりに

以上、さまざまなダイヤモンドの形態を記載した。ダイヤモンドの成長はダイヤモンド表面に炭素原子がやってきて結合するというプロセスであるが、炭素原子が表面のどこに結合するかでできてくる結晶の形は変わってくる。一般論としてはこのようにまとめることができるが、多様な形態の具体的な成因はよくわからない。不思議なパズルである。
次回は、ダイヤモンドの色や発光の特徴を紹介する。(つづく)

『高圧合成ダイヤモンド-私が出会った様々な結晶-』第1回

公益財団法人 つくば科学万博記念財団 参事/理学博士 神田 久生

昨年末、砂川一郎先生がご逝去された。先生には多くの方がお世話になったと思うが、私もたいへんお世話になった。先生からはさまざまなことを教えてもらったが、そのなかで、私の頭から離れないのが「小さな石にも、歴史と個性がある」という言葉である。この言葉は、先生が東北大学を退官されるときまとめられた冊子のタイトルであるが、私のダイヤモンドに対する関心をまさに的確に表現していたので、この言葉を見たとき大きなよりどころを得たと感じ、とても嬉しかった。私は約30年、ダイヤモンドの研究を行ってきたが、それはダイヤモンドを合成し、その特徴を調べることであった。条件をいろいろ変えてダイヤモンドを合成すると、そのダイヤモンドは一つ一つ形や色などが異なっている。同じ条件で作ったつもりでもダイヤモンドは必ずしも同じではない。本当に個々の結晶が個性をもっていた。まさに「小さな石にも、歴史と個性がある」わけである。私は、研究のなかで、その個性を観察し、個性が現れる仕組みを理解しようとしてきた。個性はさまざまであり、その仕組みは理解できたと思えるものもあれば、不思議で仕方がないものもある。本稿では、私の研究の中で出会ったダイヤモンドの面白い個性を紹介しようと思う。

ダイヤモンド研究を始めた経緯

私は1 9 7 0 年に科学技術庁無機材質研究所という設立されて間もない研究所に就職し、炭素を研究するグループに配属された。そのグループは1974年にダイヤモンドを研究するグループに改組され、私もダイヤモンドを研究することになった。そのとき高圧法でダイヤモンドを合成するチームと気相合成を試みるチームに別れたが、私は前者を選んだ。当時、高圧合成ダイヤモンドは既にゼネラルエレクトリック(GE)社の研究グループにより合成技術は確立されており、一方、気相合成法はまだ海のものとも山のものとも思えない状況であった。高圧合成法のほうが現実的で取っつきやすかったのでそちらを選んだわけである。とはいえ、すぐにダイヤモンドができるわけではなかった。合成のための高圧発生装置が必要であった。さいわい、研究所には高圧研究に軸足をおいたスタッフがいて、ダイヤモンドなどが合成できる新しい高圧装置を開発するチームを立ち上げ、私はその一員となった。 高圧装置は何百トンから何万トンという大きな力を加えるプレスと呼ぶ部分と、その力を集中して何万気圧という圧力を発生する高圧容器からなる。ダイヤモンドを合成するためには約5万気圧に耐えられる容器が必要であるが、それは、購入できるものではなく、設計図もないなかで自作しなければないものであった。その装置の開発は試行錯誤の連続であったが、さいわい、このチームのリーダーの強烈な馬力に引っ張られ、独自の高圧発生装置が開発された。私はあまり苦労をせずにダイヤモンドを合成する機会を得ることができたわけである。本当に運がよかったと思っている。

高圧発生法

もっとも身近な高圧装置は、自転車の空気入れとタイヤかもしれない。空気入れのレバーを押して空気を加圧するとタイヤの圧力が上がる。しかし、発生する圧力は数気圧程度である。人の手では加える力はしれているし、ゴムでできた自転車のタイヤの耐圧強度もわずかである。自動車修理工場で自動車を持ち上げたりするのに油を使ったジャッキを電動ポンプで動かすが、その場合にはもっと高い圧力発生も可能である。しかしながら、このような気体や液体を加圧して高圧発生する方法では1000気圧のオーダーが上限である。それで、ダイヤモンド合成に必要な5万気圧の圧力発生は図1のような原理で行われる。硬い材料を使って、力を小さい面積に集中させる方法である。図1の台形の材料の広い面積にP0の力を加えると、狭い面積のところには面積に反比例したP1という大きい力が発生する。こうしてダイヤモンド合成に必要な数万気圧の圧力に上げることができる。このとき圧力発生の限界は、圧力を集中させるところ(図1では台形のところ)の強度できまる。それは硬いものでないと壊れてしまう。それで、その台形のところの材料の選択が重要であるし、また、その形状も重要である。実際の高圧容器はこのような原理で作られており、その原理をもとにいろいろなデザインの装置が考えられている。私の参加した高圧チームではベルト型と呼ばれるタイプを選択した。これは、GEが作ったタイプであり、その断面模式図は図2のようなものである。

図1高圧発生の原理
図1:高圧発生の原理
台形の底面にPOという圧力をかけると台形の上面にはP1の圧力がかかる。上面の面積が小さいと力が集中し、P1の圧力は大きくなる。
図2ベルト型高圧装置断面の模式図
図2:ベルト型高圧装置断面の模式図
ピストンは台形をしており、ダイは孔の空いた円盤である。この孔の中が高圧空間で、そこにヒーターがおかれその中に試料が詰められる。

ここには上下にペアになったピストンと呼ばれるものがある。この背面の広いところに油圧で力を加えると先端に高い圧力が発生するので、そこに試料をおく。この図にダイと書いたものがあるが、これは、発生した圧力が外に逃げないように試料を横から押さえるためのリング形状をもったものである。このようにピストンとダイで囲まれた空間が高圧になる。ダイヤモンドを作るためには高い温度も必要なので、高圧空間の中にヒーターもセットされる。そのため、そのヒーターの内部が試料空間となって、実際にダイヤモンドが生成する空間は高圧空間の中でも一部になってしまう。我々が使ったベルト型高圧容器は、概略このような形状になるが、現実には多くのパーツから構成され、そのパーツの形状、材質が重要である(図3)。

図3 ベルト型高圧装置に使われる部品
図3:ベルト型高圧装置に使われる部品

ピストンとダイは、力が集中するところなので、力がかかっても変形しにくい硬いものでなければならない。それで、タングステンカーバイド( WC)という物質が使われている。これは、旋盤など切削機械の刃先に使われているとても硬いものである。このピストンとダイは高強度をもつとはいえ繰り返し使うと壊れるので、その寿命が装置のランニングコストの大きなファクターになる。その寿命を延ばすために、ピストンやダイの形状も最適なものにしなければならなかった。 高圧空間の中に入るものには上述のヒーターがあるが、このヒーターは黒鉛でできている。黒鉛は、そこに電気を流せば3000℃以上の温度発生が可能であるし、やわらかいので形状加工が容易であるというメリットがある便利な素材である。ヒーターの中が、ダイヤモンドができる空間であるが、そのほか、ヒーター周辺の高圧空間には使い捨てのさまざまなパーツが詰められる。黒鉛ヒーターに電気を伝える導電材、ヒーターの熱を外に逃がさない断熱材、高圧空間の圧力が外に漏れないようなシール材など。これら消耗品のパーツを準備し、組み立てるのも結構時間がかかる作業である。

図4:700トンプレス
図4:700トンプレス
中央部がベルト型高圧装置。

ピストンやダイのサイズ、ヒーターのサイズで試料のサイズが決まるわけであるが、私が参加したチームではいくつかのサイズの装置を開発した。初めはダイの孔の直径は1センチにも満たない小さなものであった。そのあと、ダイの孔が25ミリ径のものが作られ、私のダイヤモンド合成実験の大半はこの装置を使って行った。それを図4に示す。この装置では黒鉛ヒーターの内径は10ミリで、2~3ミリのダイヤモンド結晶を定常的に作ることができた。80年代になって、さらに大型の装置も開発された。ダイの内径が75ミリのもの、そして100ミリを越えるものも作られた。しかし、後者ではダイヤモンド合成に必要な圧力発生には至らなかった。高圧装置の大型化には、大きな力を加えることができる油圧プレスが必要である。上記、25ミリ径のダイを使った高圧実験用には700トンの力をかけることができる油圧プレスが使われている。75ミリ径の高圧装置用には14000トンの油圧装置が使われた。この装置は1970年に無機材質研究所がつくばに移転したときに設置されたものである。また、80年代には3万トンの油圧プレスも設置された(図5)。これは現在も使われているが、8 0 年代後半からは、1500トンの油圧プレスが数台導入されて、ダイ径30ミリの高圧装置が主力装置として稼動している。実験室スケールではこの程度のサイズが適当と思われる。

図5:3万トンプレス
図5:3万トンプレス

国内外の他の機関で使用しているダイヤモンド合成用の高圧装置について詳細はあまり公表されていないが、上記のようなベルト型もののほかに、バール型と呼ばれるものも使われている。これはロシアを中心に使われており、中国では、キュービック型と呼ばれるものが主流のようである。15~20万気圧というような超高圧の発生には、より複雑な高圧装置が使われている。このような超高圧で、最近注目されている、透明な多結晶ダイヤモンドが作られている。

ダイヤモンド合成法

上記のように、無機材質研究所でダイヤモンドを合成する環境ができ、私はダイヤモンド単結晶合成を担当することになった。研究するからには何か新しいことをせねばならなかったが、すでにGEのグループにより合成技術は確立されていたので、とりあえずGEの成果をお手本にダイヤモンドを実際に作ってみることから始めた。 GEグループは、1955年にダイヤモンド合成成功の論文を発表し、1970年には1カラットの宝石級のダイヤモンドの写真を論文に掲載するなど、50年代から70年代にかけていくつもの論文を発表している。それらの論文から次のような知見が拾い出される。

  • 必要な圧力・温度は、それぞれ約5万気圧、1400℃以上。
  • ダイヤモンドは金属溶媒というものから析出する。
  • その金属溶媒は、鉄、コバルト、ニッケルなど限られた金属である。
  • ダイヤモンドの生成は、金属溶媒に対する炭素の溶解度曲線をもとに考えることができる。
  • 生成するダイヤモンドは1ミリ以下であるが、種結晶から育成するとカラットサイズの大型結晶をつくることができる。
  • 単結晶では天然結晶と違って{100}面が発達する。
  • 通常、窒素を含む黄色のIb型の結晶が得られるが、高温高圧で熱処理するとIa型に変わる。
  • 無色透明なIIa型結晶を作るには窒素ゲッターと呼ばれるチタン( Ti), ジルコニウム(Zr)などを金属溶媒に加える必要がある。
  • ホウ素を加えるとブルーのIIb型が得られる。

ダイヤモンドを合成するにあたって、上記のGEのお手本となる情報のなかで、高圧高温発生の次に重要なのは金属溶媒を用いるという点である。ダイヤモンドの原料となる黒鉛を単独で高温高圧にしても簡単にはダイヤモンドに変換しないが、ある種の金属を黒鉛のそばに入れておけば黒鉛は容易にダイヤモンドに変わる。その金属は鉄やニッケルなどの遷移金属に限るとされている。これらの金属は「金属触媒」と呼ばれたが、炭素の溶媒としてはたらくものと考えられる。G Eの論文でもダイヤモンド結晶が成長する仕組みは、金属への炭素の溶解度という見方で解釈されている。それを図示すると図6のようになる。ダイヤモンドができる高温高圧条件では、金属は融点以上になっており液体である。その液体金属は炭素の溶媒となり、炭素を溶解するが、黒鉛はダイヤモンドよりも溶解度が高い。また、ダイヤモンドの溶解度は温度上昇とともに高くなる。

図6:金属溶媒に対する炭素の溶解度を示す図
図6:金属溶媒に対する炭素の溶解度を示す図
実線はダイヤモンドの溶解度、点線は黒鉛の溶解度を示す。
δC1は温度がT1とT2の間での溶解度差を表し、δC2は黒鉛とダイヤモンドとの間の溶解度差。

この溶解度の図からみて、ダイヤモンド単結晶を作るには大別して二つの方法がある。一つは、黒鉛と金属溶媒を一緒にして高圧高温にすると、黒鉛と金属溶媒が接したところでダイヤモンドの核が自発的にできてそれが成長するというもの。この方法では小さな結晶がたくさんできる。もう一つは、種結晶を入れておき、そこからのみ結晶を成長させるという方法で、大粒結晶をつくることができる。

図7:小粒ダイヤモンド合成のための試料構成
図7:小粒ダイヤモンド合成のための試料構成
1:黒鉛ヒーター、2:原料黒鉛、3:金属触媒、4:圧力媒体、5:生成したダイヤモンド

図7に、小さなダイヤモンド粒を作るための試料構成の例を示す。原料の黒鉛板と金属溶媒が重ねて入れてある。これを高温高圧(1500℃、5万気圧)の条件に置くと数分でダイヤモンドが生成する。図7の模式図のように黒鉛と金属溶媒の境界に生成する。未反応の黒鉛を除去したところの写真を図8に示すが、ぽつぽつと半球状の突起がみられ、ダイヤモンドはこの突起の中に生成しており、金属膜に覆われた形で ある。この金属を塩酸などで溶解除去すれば、図9のようなダイヤモンド粒が回収される。このダイヤモンドは多角形のそろった形をしているが、このような形状の粒を作るには、圧力の精密な制御が必要である。圧力が高すぎるとダイヤモンドはできすぎて、隣の粒とぶつかってしまい、形状は不規則になる。

図8:金属膜に覆われたダイヤモンド粒
図8:金属膜に覆われたダイヤモンド粒
図9:自発核発生で生成したダイヤモンド粒
図9:自発核発生で生成したダイヤモンド粒

大粒の単結晶ダイヤモンドを合成するには図10のような試料構成で行う。金属溶媒の上側に原料の黒鉛を置き、下側に種結晶としてダイヤモンド粒を置く。このような配置においては金属溶媒の上側が下側より温度が高くなるようにすることが必須である。この構成物を高温高圧条件に置くと、金属溶媒が溶けてダイヤモンドの成長が始まる。

図10:大粒ダイヤモンドの合成用試料構成模式図
図10:大粒ダイヤモンドの合成用試料構成模式図
1:黒鉛ヒーター、2:圧力媒体、3:原料黒鉛、4:金属触媒、5:成長したダイヤモンド、6:種結晶

まず、上側の黒鉛がダイヤモンドに変換する。そのダイヤモンドは金属溶媒に溶解し、金属溶媒は炭素で飽和される。ここで飽和した金属溶媒は種結晶のところでは過飽和になる。金属溶媒の下側は温度が低いためである。その過飽和の金属溶媒から種結晶の上にダイヤモンドの成長が始まる。このように金属溶媒の上部と下部で温度差がある限り、上側のダイヤモンドは溶け続け、下側の種結晶は成長を続ける。このようにして成長した試料の写真を図11に示す。これは金属溶媒の底面を見たものである。球状になった金属溶媒の中央に見える小さな結晶は種結晶で、成長したダイヤモンドは金属溶媒の中に埋まっていてここでは見えない。金属溶媒を酸で溶解除去すると図12のような成長したダイヤモンドが得られる。

図11:ダイヤの成長した様子
図11:ダイヤの成長した様子
1:黒鉛ヒーター、2:金属触媒、3:生成したダイヤモンド、4:圧力媒体
図12:種結晶の上に成長したダイヤモンド結晶
図12:種結晶の上に成長したダイヤモンド結晶
矢印が種結晶。

この方法では、時間をかければ結晶はいくらでも大きくできるはずであるが、金属溶媒のサイズが上限となる。つまり、大きな結晶を作るには大きな容器が必要ということになる。図13の2~3ミリの結晶は半日から1日で成長した。私のいた研究室では8 0年代前半にヒーター径が30ミリの大型装置が開発され、その装置を用いて大型結晶の育成を試みたことがある。その結晶の例を図1 4に示す。1センチ近い結晶が得られたが、質はよくない。多結晶状になっていたり、インクルージョンを多量に含み真っ黒に見えるものもある。成長速度の制御が不良だったためだと思われる。そのころ、大型で高品質のダイヤモンドは住友電工やデビアスで作られており、大きいものでは34カラットの結晶も合成されている。また、今では、1 0カラットの結晶は定常的に生産できるようである。

図13:成長したダイヤモンドの結晶の例
図13:成長したダイヤモンドの結晶の例
矢印は種結晶が付着していた跡。
図14:大粒のダイヤモンド結晶
図14:大粒のダイヤモンド結晶

以上、今回は、ダイヤモンドの合成法を中心に述べたが、次回以降、この方法で作られたダイヤモンドの形状や色などの特徴を紹介する。(つづく)

第33回国際宝石学会(IGC)報告

去る2013 年10 月12 日~ 19 日、ベトナムのハノイにおいて第33 回国際宝石学会(IGC) が開催されました。弊社研究室の技術者が出席し、本会議における口頭発表を行いましたので、以下にご報告致します。

◆国際宝石学会(IGC) とは

国際宝石学会(International Gemmolog ical Conference)は、多くの国際的に著名な地質学者、鉱物学者、先端的なジェモロジストなどで構成されており、宝石学の発展と研究者の交流を目的に原則2 年に1 度本会議が開催されています。
この会議の発祥は1952 年、ドイツでの第1 回会議まで遡ります。それ以降はオランダ(1953)、デンマーク(1954)、イギリス(1955)、ドイツ(1956)、ノルウェー(1957)、フランス(1958)、イタリア(1960)、フィンランド (1962)、オーストリア(1964)、スペイン(1966)、スウェーデン(1968)、ベルギー(1970)、スイス(1972)、アメリカ(1975)、オランダ(1977)、ドイツ(1979)、日本(1981)、スリランカ(1983)、オーストラリア(1985)、ブラジル(1987)、イタリア(1989)、南アフリカ(1991)、フランス(1993)、バンコク(1995)、ドイツ(1997)、インド(1999)、スペイン(2001)、中国(2004)、ロシア(2007)、タンザニア(2009)、スイス(2011)と引き継がれ、今回のベトナム、ハノイで33 回目を迎えました。発足当初はヨーロッパの各国で毎年開催されていましたが、近年では2 ~ 3 年に1回、ヨーロッパとそれ以外の地域の各国で交互に開催されています。筆者の一人、北脇は1999 年のインド以降、続けて参加しており、江森は2007 年のロシアに続き2 回目の参加となります。また、弊社研究室技術顧問の赤松氏は今回が初めての参加となります。
時の流れとともにその顔ぶれには多少なり変化が見られるようですが、他の一般的な国際会議とは異なり、IGC では今日もなお、クローズド・メンバー制が守られています。 メンバー(Delegate)は原則的に各国1~ 2 名で、現在33 カ国からの参加者で構成されています。メンバー制は排他的な一面がある反面、メンバーたちのアットホームで親密な交流が保たれています。ジェモロジストの国境を超えたファミリーという認識です。今回はメンバーとオブザーバーを合わせておよそ100 名が会議に出席しました。
日本からは弊社研究室技術者以外に古屋正貴氏、大久保洋子氏がオブザーバーとして会議に出席されました。

◆開催地

今回、開催の地となったハノイは、ベトナム社会主義共和国北部に位置する同国の首都です。人口およそ700 万人弱で、南部のホーチミンに次ぐ第二の都市です。商業都市であるホーチミンに比べて、政治・文化の中心都市として喩えられます。ホーチミンが活気に溢れ、日々目まぐるしくその姿を変えているのに比べ、街中を、ノンラー(藁でできた笠帽子)をかぶって天秤を担いだ行商達が闊歩している光景に代表されるように、ハノイはまだ至るところに昔ながらの風情を漂わせています。しかし、この10 年ほどで都市部には飛躍的にオートバイの数が増え、ほとんど信号機のないハノイ市内の道路では歩行者が横断するのもままならないほどです。
会場となったLAKE SIDE HOTEL はハノイ市の西部にある客室78 の中規模のホテルです。ノイバイ国際空港から20km 強の距離ですが、ハノイ市内の繁華街からは5 ~ 6km と立地条件もよく、ホテル名のとおり、小さな湖に面した静かな環境で学会の会場として申し分ありません。また、ホテルの館内および室内には無料のWi-Fi 環境も整っており、特に外国人旅行者の滞在を快適にしています。

◆第33 回国際宝石学会議

今回の第33 回国際宝石学会は、
◇ Pre Conference Tour ; 10 月10 日(木)~ 12 日(土)
◇ 本会議 ; 10 月12 日(土)~ 16 日(水)
◇ Post Conference Tour ; 10 月17 日(木)~ 19 日(土)
この3 本立てで行われました。本会議前後のConference Tour は、開催地周辺のジェモロジーや地質・鉱物に因んだ土地や博物館などを訪ねます。今回はPre Conference Tour でハロン湾の真珠養殖が視察できるとあって赤松氏が参加し、Post Conference Tour ではLuc Yen のルビー鉱山が見学できるため北脇、江森が参加しました。

レイクサイドホテル内のカンファレンスホール
レイクサイドホテル内のカンファレンスホール
◆本会議

本会議に先立って12 日(土)18 時より同ホテルにてレセプション・パーティが開催されました。各々の国から馳せ参じた旧友たちが2 年ぶりに再会する瞬間です。お互いの健康や研究成果を讃えあい、旧交を温めます。これから始まる長丁場の本会議を迎える大切な儀式といえます。13 日(日)の本会議は主催者のベトナム国際大学のPhung X uan Nha 氏の挨拶に続き、本学会を支援するDOJI Gold & Gems Group のCEO Do Minh Phu 氏が祝辞を述べました。そしてIGC のExecutive Committee を代表してJayshree P anjikar 氏が開会の挨拶を行いました。引き続き、一般講演が開始されますが、第一セッションの開始前に座長のEmmanuel Fritsch 氏の音頭により、昨年永眠された砂川一郎先生とGeorge Bosshart 氏に対して哀悼の意を表し、悼んで1分間の黙祷が捧げられました。
本会議における一般講演は13 日(日)~ 16 日(水)までの4 日間、朝9 時から夕方5 時までびっしりと行われました。各講演は質疑応答を含めて持ち時間各20 分で行われ、合計41 題が発表されました。うち、ダイヤモンド関連は5 題、コランダム関連10 題、ベリル、クリソベリル、スピネル、ガーネット関連7 題、トパーズ、ゾイサイト、フェルスパー、クォーツ、ジェード、光学効果関連6 題、ガラス、歴史的ジュエリー、産地関連6 題、真珠関連7 題でした。弊社研究室からは北脇がダイヤモンドのUV ルミネッセンス像について、江森がコランダムのBe 処理の現状について、赤松氏が真珠産業の現状と未来についてそれぞれ講演を行いました。
最終日の16 日(水)の午前はショートエクスカーションとして、参加者全員でハノイ市内にある首相官邸を訪問しました。本来、プログラムにはなかったイベントですが、豪華な内装が施された官邸内への入場を許可され、副首相であるNguyen Thi Doan 氏が迎えてくれました。今回の国際宝石学会IGC をサポートしたDOGI グループの人脈に加えて、ベトナム経済の宝飾産業への期待の現れが感じ取れます。

首相官邸にてNguyen Thi Doan副首相(中央黒服の女性)とExecutive Committee
首相官邸にてNguyen Thi Doan副首相(中央黒服の女性)とExecutive Committee
◆ポスター・セッション

プログラムには17編のポスターが予定されていましたが、キャンセルも多く、実際には4 日間の本会議開催中、会場には10編ほどのポスターが張り出されました。各セッションの合間の休憩タイムには熱心にポスターに見入る参加者の姿が見られました。また、14 日と15 日の午後にはコア・タイムが設けられ、各ポスターの執筆者が自身のポスターの前に立って説明を行いました。

 

IGC33-Pre Conference Excursion 報告

赤松 蔚

去る10 月10 日~ 16 日ベトナムのハノイを中心に開催されたIGC33 に参加させていただいたので、その報告を以下に行ないます。

1.Pre-Conference Excursion 参加

10 月10 日~ 12 日ハロン湾で開催されたPre-Conference Excursion に参加させていただいた。事前の案内でこのExcursion にハロン湾の真珠養殖場見学が含まれていたので、参加をお願いした次第である。9 日夜遅くハノイのホテルに到着したが、Excursion は翌10 日朝早くハノイを出発する予定になっていたので、かなり眠かったが2 泊3 日用の荷物をリュックにつめる作業をした。10 日朝リュック以外の荷物はホテルに預け、ハノイを出発し、バスで4 時間ほどかけてハロン湾へ移動した。
Excursion の参加者は45 名で、顔見知りのメンバーも何人かいた。ハロン湾についてホテルチェックイン。2 人部屋で私は山梨の日独宝石研究所所長古屋正貴氏と同室になり、いろいろ話しをする機会に恵まれた。翌11 日33 の宿泊部屋を持つ大型遊覧船に乗りハロン湾巡りをした。途中立ち寄ったスン・ソット洞窟は、大講堂のような洞窟が3 つもあり、そのスケールに圧倒された。その後ハロンパール養殖場を見学したが、やらせ半分、実作業半分の印象を受けた。核入れデモンストレーションでは、実作業ではあり得ないような1 年8 ヶ月の小さなアコヤガイに6 ~ 6.5 ミリの核を挿入し、養殖期間は3 年と説明していた。
一方養殖場の片隅では死んだ貝から核を回収していたが、そこでの核サイズは5 ミリのようだったので、実際は2 年弱の母貝に5 ミリの核を入れ、1 年養殖して6 ミリ珠を作っているように思われた。作業場の反対側の海にはかなり多くの抑制籠が吊るされており、これから判断すると20 ~ 40 万貝位実際に養殖しているように思われた。養殖場内で販売されている真珠はかなり低品質のもので、半分以上は中国産淡水真珠のように思われた。
12 日は9 時にホテルを出発。ハイキング組とカヤック組に分かれての行動だった。私は水着を持っていなかったので、ハイキング組に入り、それほど高くはないがかなり急階段の続く山に登った。10 時半船に戻り、信じられないような時間に昼食を食べた。午後1 時下船してバスでハロン湾を発ってハノイ戻り。昨日ベトナムの英雄ボ・ヌエン・ザップ将軍が亡くなられたということで、沿道には黒いリボンのついたベトナム国旗が多く掲げられていた。6 時ホテルに着いてこれでExcursion が終了した。7 時ホテル内でレセプションパーティーが始まり、本会議が始まった。

ハロン湾遠景
ハロン湾遠景
2.本会議出席

12 日~ 16 日ハノイ、レークサイドホテル6階で開催されたIGC33 本会議に出席した。真珠関係の発表は14 日で、私の発表を含め8 つあり、私は「養殖真珠の現状と今後の展望」というテーマで、これからの真珠養殖は「労働集約型」から「技術集約型」へ転換し、母貝資源、漁場環境に配慮し慮視、少量高品質の真珠を作るべきであると発表した。

ハロン湾の真珠養殖場
ハロン湾の真珠養殖場
真珠の核入れ作業のデモンストレーション
真珠の核入れ作業のデモンストレーション

 

IGC33-Post Excursion 報告

江森健太郎

本会議の翌日より三日間(10 月18 日~ 10 月20 日) の日程でベトナムのLuc Yen 鉱山( 右写真) とLuc Yen Gem Market を訪問しました。

1. ベトナムのルビー

ベトナムは非常に宝石が豊な国々に囲まれているにもかかわらず、宝石産出の可能性については1980 年代まで知られていませんでした。1983 年、ハノイの北にあるHam Yen( ハム イェン) とAn Phu( アン フー) でコランダムの産出が報告され、1987 年に試掘が開始されました。また、同じ年にある地質学者がYen Bai( イェン バイ) 省のLuc Yen( ルク イェン) 地区の近郊でルビーを発見し、地元政府の関心を引きました。 1989 年11 月から1990 年3 月までの5 か月間にLuc Yen 地区の鉱床1 ヶ所から原石ピンクサファイアやルビーが300 万ct 以上産出しています。このLuc Yen 地区の鉱床からピンクサファイア、ルビーの他にバイオレットカラーのスピネル、ブルーサファイア、トルマリン、クリソベリルが宝石市場に出ています。
ベトナムからルビーが産出された当時、日本では「ベトナム・ルビー鉱区は実在するのか?」「ベトナムのルビーはほとんどが合成石」という噂が流れましたが、TV等メディアで鉱山が紹介されたこともあり、このような噂は払拭され、ベトナム産ルビーは広く認知されています。なお、現在ではベトナム産のルビーでは、スタールビーが有名になっています。
今回のPost Excursion で、このLuc Yen 鉱山の採掘現場を見学してきたので報告を行います。

Luc Yen 鉱山

2.Luc Yen 鉱山

Post Excursion は約60 名( 中央宝石研究所からは北脇、江森) が参加しました。10 月18 日、我々はハノイを出発し約10 時間、2 台のバスに揺られLuc Yen の町に到着しました。Luc Yen はTay( タイ) 族、Dao( ザオ) 族、Nung( ヌン) 族等少数民族が農作を主に生活をしていた地域でしたが、良質のルビー鉱床が発見され急速に様変わりしたという話です。10 月19 日バスに乗り、Luc Yen 鉱山を目指しました。天候は残念ながら雨でした。バスで1 時間ほど移動し、我々は鉱夫達が住む村へと到着しました。
村からLuc Yen 鉱山までは悪路のため、徒歩で鉱山に向けて進みます。途中、40 分程度進んだところに二次鉱床があり、鉱床の傍にあるテントで採掘されたサンプルを見学してきました( 写真)。

二次鉱床。雨のため、作業は行われていませんでした。
二次鉱床。雨のため、作業は行われていませんでした。

この二次鉱床より1時間半近く、細い山道を登ることになります。雨のため、地面はぬかるんでおり、急な斜面では滑ってしまう見学者も多く、道中は様々な困難に出くわすことになり、見学者の中には途中で引き返すことになった人たちも多くいました。到着したLuc Yen 鉱山は、天候のため作業している鉱夫はいませんでしたが、大理石の中に埋まった沢山の宝石原石を見出だすことができました。
Luc Yen 鉱山でルビーを見つけることはできませんでしたが、大理石の中に埋まったスピネル( 写真) とパーガサイトを採取しました。

二次鉱床の傍のテント内の様子
二次鉱床の傍のテント内の様子
Luc Yen鉱山で見つけたスピネル
Luc Yen鉱山で見つけたスピネル

Luc Yen 鉱山の見学、サンプル採取を終えた我々は村まで歩き、バスでLuc Yen まで戻ります。夕食を済ませた後、学校の講堂で地元の方々より、伝統音楽、ダンス等を披露していただき、歓迎していただきました。

4.Luc Yen Gem Market

10 月20 日朝7 時に朝食を済ませた我々はLuc Yen Gem Market へと向かいました。Luc Yen Gem Marketは一見するとただの公園のようにも見えますが、時間になると小さな木製の机を持ってきた売り子が次々と腰を下ろし、机の上にスピネル、ルビー、サファイア等様々なルースやカット石を並べ商売をはじめます。商品の値段は書かれておらず、売り子と交渉して値段を決めなければなりませんでした。値段交渉の際、売り子は現地の通貨単位であるベトナムドン( VND) での値段を提示きましたが、US ドル(US$) での交渉も可能でした。しかし、VND とUS$ の変換レートがいい加減で、どちらで購入したほうが得であるのかは値段を聞くまでわかりません。また、現金を沢山持っているのを見られてしまうと、スリが近寄ってくるので注意が必要です。このGem Market の売り子は他に職業を持っている方が大勢で本業の前にこの市場に石を販売に来ていますので、1時間程度で市は閉まるそうです。我々は朝9 時に市を去り、また10 時間程度バスに乗りハノイへと戻り、三日間のPost Excursion は終了ました。

Luc Yen Gem Market の様子。軒下に木の台を並べて宝石を販売しています。
Luc Yen Gem Market の様子。軒下に木の台を並べて宝石を販売しています。
購入するサンプルを品定めする様子
購入するサンプルを品定めする様子

宝石学を研究する上で、今回のPost Excursion のように鉱山まで赴き、母岩付きの原石を自らの手で入手することは意義のあることです。宝石の特徴はその母岩の構成、組成と深く関係があります。母岩に含まれる微量元素は宝石結晶に含まれる微量元素と深く関係があるため、微量元素の分析を用いた産地鑑別法を行う上で大きな情報源となります。中央宝石研究所研究室ではこれからも産地鑑別の精度向上のため、確かな原産地情報を集めていく予定です。

真珠講座4 『養殖真珠の現状と将来の方向』

赤松 蔚

前回は養殖真珠がどのようにして発明され、今日に至ったかについて述べた。今回は養殖真珠の現状はどうなっているのか、また将来どの方向に進むかについて述べる。

1.養殖真珠の現状

1)アコヤ真珠の低迷

日本のアコヤ真珠養殖は1992年に発生した新種プランクトン「ヘテロカプサ」(写真1)による赤潮、更に1994年に発生した感染症が現在も続いており、この2つの原因により、アコヤガイが大量にへい死し、生産される真珠は量、質共に大きく低下した。ヘテロカプサ赤潮は魚類には全く影響を与えず、アコヤガイ、アサリ、カキなどの二枚貝のみを狙い撃ちする強烈なもので、アコヤガイの体内にヘテロカプサが入るとアコヤガイは数分で死ぬ。ヘテロカプサは台風や異常高水温などによって海底の泥が撹拌された時急に増殖して赤潮を引き起こすと言われている。

写真1:赤潮ヘテロカプサ
写真1:赤潮ヘテロカプサ

一方感染症は肉質部、特に貝柱が損傷を受け赤変化し、摂餌機能や血液輸送機能が著しく低下し、代謝機能に障害を起こして死に至る(写真2)。これらに対する対策が研究され、赤潮に対してはアコヤガイを生物センサーとする赤潮予知システム「貝リンガル」が開発された。また感染症に対してはこの病気の進行が水温に極めて強く依存していることがわかり、水温が16℃以下になると病気の発症が抑えられることがわかり、「低水温負荷」により感染した貝を水温16℃以下の環境に置くことで、発病を防ぐことが可能になった。

写真2:上段・健康なアコヤガイ、下段・感染症アコヤガイ
写真2:上段・健康なアコヤガイ/下段・感染症アコヤガイ
2)養殖真珠のグローバル化

かつて日本には「真珠養殖事業法」という法律があり、日本の養殖真珠産業はこの法律によって手厚く保護されていた。そしてその中には水産長官通達の「海外真珠養殖3原則」も含まれていた。これは①養殖真珠技術の非公開、②海外で養殖された真珠はすべて日本に持ち帰ること、③海外で真珠養殖を行う際、どこでどんな母貝を使用し、どれだけ生産するかをあらかじめ届け出て許可を得ること。海外でのアコヤ真珠養殖の禁止、というものであった。別の言い方をすれば、日本の真珠産業を守るため、この3原則によって養殖真珠のグローバル化が阻止されていたのである。

しかし1970年代に入るとこの3原則をかいくぐって養殖技術が海外に流出していった。 そして海外真珠養殖は次第に日本人の手を離れ、現地人、現地資本、現地技術による方向へと展開していった。特に1992年に発生したヘテロカプサ赤潮、1994年に発生した感染症により、日本のアコヤ養殖真珠は量、質共に大きな低下を余儀なくされた。このため多くの国内外の真珠業者はアコヤ真珠からシロチョウ、クロチョウなど、他の母貝真珠にシフトして行った。その結果、シロチョウ真珠、クロチョウ真珠の生産が急速に伸び、グローバル化が加速されて行った。そしてこの傾向は1997年末の真珠養殖事業法の廃止と共に一段と顕著になった。

一方中国では1971年からカラスガイで養殖されたわずか160匁の淡水真珠が日本に初めて輸入された。それから42年、現在の2013年のヒレイケチョウガイ(三角貝)で生産された淡水真珠の量は1500トン(40万貫)を越えていると言われ、実に2,500倍にも拡大するとは誰が予想出来たであろうか。この中国産淡水養殖真珠もグローバル化に拍車をかけていることは事実である。

養殖真珠のグローバル化は真珠産業構造に大きな影響を与えている。それは真珠に対する価値観の多様化である。かつてアコヤ真珠が市場の大半を牛耳っていた時の真珠の価値観が、アコヤ真珠の影響力の低下に伴い、真珠生産国それぞれの価値観で真珠が作られるようになった。例えばオーストラリアではまだ宝石的、あるいは高級宝飾品的真珠を作ろうというコンセプトが養殖の中心を占めているが、インドネシア、タヒチではこれがかなり危うくなり、養殖した真珠は上から下まで全部売ってしまいたいという考えになり、中国になると養殖業者は本当に宝飾品を作ろうとして真珠を作っているのだろうかと疑いたくなる。たまたま養殖した真珠のトップを宝飾業者が宝飾品として買ってくれる。その下の品質のものは土産物屋が土産物の材料として買ってくれる。さらにその下は粉末にすれば化粧品メーカー、食品メーカー、製薬会社が原料として買ってくれる。要するに養殖真珠は上から下まで全くロスのない商品と考えているようである。
真珠核についても日本は100年以上前の養殖当初の淡水産二枚貝を丸くしたものを守っているが、日本以外の生産国では「真珠袋が形成されるものであれば何でもOK」ということになる。ここらで養殖真珠の基本コンセプトを固めないと、とんでもない方向へ行ってしまいそうな雰囲気である。

写真3:中国人核入技術者(タヒチ)
写真3:中国人核入技術者(タヒチ)
3)低価格指向の真珠市場

現在アコヤ真珠に限らずすべての養殖真珠が値段の安い方へと突き進んでいる。例えばテレビショッピングでは8mmのアコヤネックレスが「にっきゅっぱ」すなわち29,800円と、考えられないような価格で登場してくる。どれだけ良い真珠を作ってもそれが正当な値段で評価されなくなり、真珠の値段が市場価格に引っ張られて下がり始めると、浜揚真珠の売上で養殖コストを吸収出来なくなり、無理な養殖コストダウンが始まる。また取扱い真珠の値段が下がれば品質もそれに呼応して下がり、この品質低下を加工処理で補おうとする。

① 無理な養殖コストダウン

現在養殖コストダウンで主に行われているのは安い核への転換と人件費の削減である。核のコストダウンは全ての養殖真珠で行われているが、その出方は母貝によって異なる。
アコヤ真珠では従来の米国産淡水産二枚貝で作られたものから、中国で淡水産真珠養殖に使用されたヒレイケチョウガイ(三角貝)の貝殻で作られたものに代わりつつある。ところがこの淡水産二枚貝で作られた核は色付きが多く、そのためロンガリットという還元剤による漂白や、蛍光増白剤処理されたものが市場に出ている。漂白核は脆く、穴をあけると割れるという問題があり(写真4)、また蛍光増白剤処理核は紫外線を照射すると、真珠は本来持っていない蛍光を発するということで、いずれも日本では使わないことにしているが、実際はかなりの量が出回っているようである。

写真4:シャコ核、通常穴開けで破損
写真4:シャコ核、通常穴開けで破損

一方シロチョウ真珠では貼合せ核が問題になっている。シロチョウ真珠養殖に使われる核はサイズが大きく、これを米国産淡水産二枚貝で作るとかなり値段の高いものになる。そこで中国産のヒレイケチョウガイを板状にし、4、5枚貼合せて厚みをかせいで大きな核にする、あるいは中国産ドブガイを3枚貼合せた核が使用されて真珠が作られる。貼合せ核はエポキシ系接着剤で接着されているので、虐待試験で剥がれることがわかった。また4、5枚貼合せたものは貼合せ面に穴あけ針が当たると核が割れたという報告もある。
タヒチでクロチョウ真珠養殖に使用されるシャコ核は問題がかなり深刻である。シャコ核の原料となるシャコガイは二枚貝中最大のものであるから、いくらでも大きな核を作ることが出来、値段も通常核の百分の1位とのことである。ところがこのシャコガイの採取はワシントン条約付属書Ⅱで規制されているが、中国はそれを無視して違法のシャコ核を製造しているわけである。
シロチョウ、クロチョウ真珠の場合、問題のある核が日本を経由しないで中国から直接養殖地域に送られ、真珠になって初めて日本に入ってくるので、真珠層で覆われたこうした核を非破壊で鑑別することになるが、これがほとんど不可能に近い状態である。現在市場にはこうした核で養殖された真珠がかなり出回っていると思われる。

人件費の削減では4年ほど前、オーストラリアの大手真珠業者の養殖場を見学した際、多くの外国人が雇われ、主に貝掃除などの仕事をしていた。これらの仕事はかつて「バックパッカー」と呼ばれるオーストラリアの若者たちによって支えられていたが、これが外国人に代わったということは人件費削減が原因であろう。一方タヒチでは核入をしていた日本人がほとんど中国人に代わったと聞いている。日本人1名雇う賃金で中国人数人雇えるからであろう。しかし中国人の挿核技術者は日本人に比べるとかなり劣ると言われ、特に中国人の大半が大きな核を入れる技術を持たないため、生産される真珠が小サイズ化し、10mm以上の良質真珠の割合が減ったようである。安い核を使用し、安い人件費で真珠を作っても良い真珠が出来ず、その結果真珠に余り良い値段がつかない。そこで更に無理な養殖コストダウンが行われる。こうした悪循環は今後も続きそうである。

② 加工処理の高度化、巧妙化

真珠市場が低価格指向になれば、低価格でもそこそこ利益の取れる真珠で対応しなければならない。その結果真珠の品質も下がり、正しく「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則状態になる。そしてこの品質低下を如何に良く見せるかという加工処理が非常に高度化、巧妙化している。こうした加工処理例をいくつか以下に示す。

ⅰ)前処理
前処理は真珠の色やテリを良く見せるため、シロチョウ真珠に広く行われている処理である。前処理は本来アコヤ真珠の漂白を効果的に行うため、漂白前に行われる予備処理であった。つまり前処理の「前」は漂白の前の意味であった。ところが前処理が淡水真珠に、そして最終的にシロチョウ真珠に移り、処理方法もアコヤとは大きく異なるようになった。「前処理」は非常に都合の良い言葉で、何をやっても前処理で片付け、具体的な処理方法は全く示されていない。具体的には加温有機溶剤への浸漬、研磨などであるが、漂白もかなり行われているようである。

ⅱ)ゴールデン染め
これはアコヤ真珠、シロチョウ真珠に行われている染色である。かつての染色とは異なり、最近のゴールデン染めは高温、高圧で染料を真珠表面から浸透させる方法で行われるため、無穴の珠でも行われ、処理の有無の鑑別が非常に難しくなっている(写真5)。昨年染色されたゴールデン真珠が香港のジュエリーショーで「ナチュラルカラー」として販売され、大きな問題になった。

写真5:染色ゴールデンパール
写真5:染色ゴールデンパール
(下から2列目のみナチュラルカラーのゴールデンパール)

ⅲ)着色処理
これは染料によらず、化学薬品で真珠の色調を変える方法である。具体的には、硝酸銀による黒染めが最も一般的である(写真6)。

写真6:硝酸銀染めアコヤブラック真珠
写真6:硝酸銀染めアコヤブラック真珠

ⅳ)放射線照射
シロチョウ真珠に放射線(γ線)を照射して色調をシルバーに変えたものが最近市場に出始めた。そしてこの真珠がゴールデン同様、香港のジュエリーショーで「ナチュラルカラー」として販売され、これを購入した韓国の業者が鑑別機関に出したところ、放射線処理と鑑別されたことから問題が表面化した。放射線処理されたかどうかの検証は中央宝石研究所でも行われ、処理を確認した(写真7)。(CGL通信 No.13 参照

写真7:真珠処理放射線照射
写真7:上から1本目と2本目アコヤの放射線処理、
      上から3本目と4本目中国淡水真珠の放射線処理、
      一番下のみナチュラルのブラックパール

ⅴ)シロチョウ真珠のピンク染め
これはホワイト系のシロチョウ真珠にゴールデン染め同様高温高圧でピンク系の染料を珠表面から浸透させるものである。アコヤ真珠の未加工珠は大体グリーンから黄色味を帯びているので、先ず漂白で白くしてから色をつけるが、ホワイト系のシロチョウ真珠は元来白いので、漂白を経由せずいきなり染色できる。漂白処理されていないのでコンキオリン蛋白の傷みもなく、分光光度計による染色チェックも難しいので、ナチュラルカラーと鑑別されてしまう恐れは十分ある。

2.養殖真珠の将来の方向

これまで見てきたように市場の低価格指向に引っ張られ、コストをかけてでも高品質の真珠を作ろうとする機運が失われつつあるのは残念である。このまま突き進んで行けば一体養殖真珠はどうなるのかという危惧さえ感じられる。こうした中にあって国内の大手真珠企業がこれまでの労働集約型真珠養殖から技術集約型に転換したことは注目に値する。またこの技術集約型真珠養殖のモデルとして福岡県の相島(あいのしま)で新たな養殖を開始している。この相島の真珠養殖はアコヤ真珠のみならず、全ての養殖真珠が将来進むべき方向を示しているように思われる。

写真8:相島で養殖されたアコヤ真珠
写真8:相島で養殖されたアコヤ真珠
 1)労働集約型真珠養殖から技術集約型真珠養殖への転換

労働集約型真珠養殖の特徴は量拡大基調と経験、勘に頼る真珠養殖である。先ず量拡大基調であるが、どの業者も出来るだけ沢山真珠を作ろうと貝の数を増やすので、漁場環境は悪化し、母貝は弱体化する。その結果生産される真珠の品質も中~下が多くなるが、そこは量でカバーしようとする。また経験と勘に頼る真珠養殖では、ヘテロカプサ赤潮や感染症が発生すると全くなす術もなく、貝を大量へい死させ、その対策として試行錯誤的に中国産とのハーフ貝を大量に作り、純国産のアコヤガイが絶滅に追い込まれるほど母貝資源破壊を招いたりしている。
一方技術集約型真珠養殖では、少量、高品質、希少価値のある真珠つくりを目指し、母貝の資源保護や漁場環境の保全にも注意を払っていて、漁場の適正規模を守り、純国産アコヤガイを使用し、養殖活動によって生じた廃棄物は全て陸上で処理(ゼロエミッション)している。漁場環境は最新の環境測定機器を用いて科学的に管理され、母貝もゲノム解析など、遺伝子レベルで管理されている。

2)技術集約型真珠養殖モデルの相島真珠養殖

2007年大手真珠企業は福岡県の玄界灘にある相島(あいのしま)で新たなアコヤ真珠養殖へのチャレンジをスタートさせた。これは120年前半円真珠養殖に成功した御木本幸吉の「天然真珠に負けない真珠を自分の手で作る」という夢の再現である。この相島で技術集約型の真珠養殖が実践されているが、その特徴は次の通りである。

 ① 母貝資源の確保

相島に生息する純国産アコヤガイのみを天然採苗で集め、養殖に必要な数量が確保されれば残りは全て海に戻し、母貝資源を確保している。

② 漁場環境の保全

養殖する貝の数を漁場自浄可能範囲に留め、ゼロエミッションを実施し、真珠養殖作業のよって発生した廃棄物は全て陸上処理し、漁場を汚さない。

③ 宝石的価値を有する真珠の生産

養殖期間を2年以上とし、厚マキ、宝石的価値のある大珠を生産する。

④ 宝石的価値を有する真珠の生産

ゲノム解析による貝の特性分析、真珠形成理論に基づいた核入技術など、新技術により養殖技術の向上を図る。

⑤ 後継者の育成、地場産業としての貢献

地元の若年層を中心に後継者の育成を行い、地場産業として貢献する。

以上のようなこれまでの労働集約型真珠養殖とは異なる養殖を実施し、2012年最初の浜揚を行った結果、商品になる真珠の割合が極めて高く、8ミリアップの大珠の割合も多かった。またマキは片側1mm以上あり、最も巻いたものは2mm以上あった。このように技術集約型真珠養殖を実施すれば、宝石的価値のある真珠が間違いなく得られる。これは相島のアコヤ真珠養殖に限らず、全ての養殖真珠の将来取るべき方向を示唆していると思われる。

日本鉱物科学会2013年年会

去る9月11日(水)から13日(金)までの3日間、筑波大学第1エリアにて日本鉱物科学会の2013年年会が行われました。弊社からは2名の技術者が参加し、それぞれ発表を行いました。以下に年会の概要を報告いたします。

筑波大学内、石の広場にて
筑波大学内、石の広場にて
日本鉱物科学会とは

日本鉱物科学会(Japan Association of Mineralogical Sciences)は平成19年9月に日本鉱物科学会と日本岩石鉱物鉱床学会の2つの学会が統合・合併され発足し、現在は大学の研究者を中心におよそ1000名の会員数を擁しています。 日本鉱物科学会は鉱物科学およびこれに関する諸分野の学問の進歩と普及をはかることを目的としており、「出版物の発行(和文誌、英文誌、その他)」、「総会、講演会、研究部会、その他学術に関する集会および行事の開催」「研究の奨励および業績の表彰」等を主な事業として活動しています。

日本鉱物科学会2013年年会

会場となった筑波大学は1872年(明治5年)に日本で最初に設立された師範学校を創基とする東京教育大学を前身とする大学で、その創立は日本で最も古い大学の一つです。大学に対する内外からのいろいろな要請にこたえるため、日本ではじめて抜本的な大学革命を行い1973年(昭和48年)10月に「開かれた大学」「教育と研究の新しい仕組み」「新しい大学自治」を特色とした総合大学として発足しました。
地理的には茨城県つくば市の中央部、筑波山の南側にあります。交通手段としてはつくばエクスプレスつくば駅からバスが定期的に出ており、アクセスに不便はありません(なお、東京駅から30分に1本直通バスも出ています)。

筑波大学正門
筑波大学正門

一日目、11日(水)の午前9時30分より「高圧科学・地球深部」「地球内部・高圧化学」「宇宙物質」「水-岩石相互作用」「岩石-水相互作用」のセッションが行われました。「地球内部・高圧化学」「水-岩石相互作用」の二つは同時に開催されていた地球化学会との共通セッションです。また別会場でポスターセッションが同時に開催されていました。12時~14時はポスターセッションのコアタイムに指定されており、ポスター発表者による説明、質疑応答、議論などが活発に行われていました。なお、ポスター発表は学会開催期間3日間を通して行われており、3日間ともコアタイムはたくさんの人で賑わっていました。

ポスターセッションのコアタイムの様子
ポスターセッションのコアタイムの様子

二日目、12日(木)の午前9時より鉱物科学会の総会、10時10分より鉱物科学会受賞講演がありました。

日本鉱物科学会会場入口
日本鉱物科学会会場入口

平成24年度日本鉱物科学会賞第9回受賞者で東京大学大学院理学系研究科の永原裕子教授の講演、同第10回受賞者で国立大学博物館の宮脇律郎氏の講演、平成23年度日本鉱物科学会研究奨励賞第11回受賞者で広島大学大学院理学研究科の宮原正明氏、同第12回受賞者で東北大学大学院環境科学研究科の岡本敦氏の講演がありました。

鉱物科学会賞受賞講演の様子
鉱物科学会賞受賞講演の様子

受賞講演終了後、午後14時から「鉱物記載・分析評価」「深成岩・火山岩及びサブダクションファクトリー」のセッションがあり、弊社研究者は「鉱物記載・分析評価」のセッションで「LA-ICP-MSを用いた宝飾用含ベリリウムコランダムの分析」と「宝飾用CVD合成ダイヤモンドの物性評価と鑑別」の2件の講演を行いました。会場はほぼ満席で立ち見もでており、鉱物学者達の宝石学への興味は年々増加している様子が感じられました。
三日目の13日(金)は9時30分より「変成岩とテクトニクス」「岩石・鉱物・鉱床一般」「結晶構造・結晶化学・物性・結晶成長・応用鉱物」「地球表層環境における鉱物科学」「火成作用と流体」のセッションが行われました。「結晶構造・結晶化学・物性・結晶成長・応用鉱物」のセッションで愛媛大学地球深部ダイナミクス研究センターの大藤弘明氏のグループがロシアのpopigai(ポピガイ)・クレーターから発見されたImpact Diamond(衝突ダイヤモンド)の最新の研究結果を発表していました。popigai(ポピガイ)には1兆カラットものダイヤモンドが存在すると報告されているが、産出されるダイヤモンドは隕石の衝突でできた衝突ダイヤモンドでグラファイトのマルテンサイト固様変態から生じた多結晶ダイヤモンドであり、宝飾用にはなりえないダイヤモンドで、工業用の用途として期待されるという話でした。

鉱物学は宝石学と密接な関係があり、毎年開催される鉱物科学会年会は最先端の鉱物学研究が発表され、これらを聴講することで最先端の鉱物学に関する知見が得られます。また、鉱物科学会年会で発表することで、普段接する機会が少ない研究者の方々からのアドバイスを得ることができます。来年も鉱物科学会年会に参加し、中央宝石研究所で行っている各種宝石についての研究をさらに深めていく予定です。