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小売店様向け宝石の知識「エナメル1」

エナメル・THE ENAMEL 1

エナメルは、紀元前ギリシャやエジプトに始まって中国を経て日本に伝わり、多様な技法によって宝飾品に使われてきた永い歴史がある。

19世紀末アールヌヴォー時代には透明なエナメルがジュエリーにさかんに用いられ大流行期を現出した。

ロンドンの大英博物館やパリのプチ・パレ美術館には、エナメル彩色した金台の上に豪華な宝石が散りばめられたアンティーク・ジュエリーの逸品が数多く展示されている。宝飾プロなら必見の価値がある。

近年、エナメルという言葉は、宝飾品からはやや離れて存在し、ある種の塗料を含む多数の製品に加工されている。例えばイタリア革製品ハンドバッグや靴の表面にエナメル加工されている。また陶器の表面に光沢を出すのに使用されている。

宝飾製品に使われる高級エナメルは、これら一般エナメルと区別するために単にENAMELでなく、THE ENAMEL 又は AN ENAMELという。このように欧米のジュエリー業界では線引きして区別しているようだ。

エナメルの関連用語として、七宝焼、七宝町、リモージュ、クロワゾネ、釉薬(ゆうやく)などがあるが、これらはエナメル必須用語で宝飾業界人なら知らぬと恥をかくことになる。

エナメルは日本語で七宝焼と云われている。七宝焼は、土台に金、銀、銅などの金属を用い、その表面にガラス質の釉薬(表面に色を出すための薬)を盛って800度~850度の高温で焼き付ける工芸法で、この焼付けは7回以上行うので、宝を7回焼くから七宝焼といわれるようになったとある中国宝石商は説明する。

七宝焼の「七宝」とは、仏教の経典には極楽は七宝によって装飾されているという。
その七つの宝物とは一般に金・銀・るり・はり・メノウ・サンゴ・シャコである。但し、般若経ではシャコがなくコハクが入り、法華経では、はりとサンゴがなくコハクと真珠が加わっている、瑠璃はラピス・ラズリ、はりはガラスのことで、日本では仏教伝来以来珍宝として尊重されてきた。七宝焼は、七つの宝を散りばめたように美しいの意味から由来する。

この七宝焼で有名なのは国内では、愛知県海部郡七宝町で、ここには七宝焼アートヴィレッジ(電話:052-443-7588)があって七宝焼博物館がある。ちなみに国内には玉造の名の付いた所が全国各地にある。古くからヒスイ・メノウの工芸品産地にこの玉造の地名が多い。

リモージュ・Limogesはフランスの中部の都市リモージュで、16世紀に完成した良質のLimoges Enamelで、黒または灰色のバックに白のエナメルを塗り重ねたモノトーンの色変化が特徴的で、人物像などを上絵付けの形で焼き付けた作品をいう。可憐な少女や美しい婦人の細密画をリモージュ・エナメルで仕上げたブローチやペンダントなどの宝飾品にしたものが多い。髪の毛や肌の質感まで巧みに表現されジュエリーの逸品に仕上がっている。現在は伝統的なものから抜け出して明日の新作品をめざして多くの作家が活躍している。ほかに多彩なスイス・エナメルも有名だ。

クロワゾネ・CLOISONNE この用語クロワゾネは“仕切った場所”を意味するフランス語の“CLOISON”から来ている。数ある七宝焼技法の一つ有線七宝で、金属地金の表面に細い金属線か針金でデザインを形づくりハンダ付けしてつくったセルにエナメルをつめる。各セルはそれぞれ特別につくったものを詰めて火に入れる。粉状にエナメルは融着すると収縮してセルを完全に埋めないので、再びエナメルを詰めて火に入れて焼く、この骨の折れる細密手作業工程はセルがエナメルで充填されるまで何回も繰り返す。この焼付け工程、炉に入れて焼くのは、7回繰り返すといわれる。中国の珠玉商の中には、この困難な手間のかかる焼付け工程が7回もあるので七宝焼というと説明するものもいる。最近は高級腕時計の文字盤にクロワゾネ加工されたものが出ている。(クロワゾンネとも云う)。

「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊

ワールドニュース(2008.07)

暑さ厳しい折、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
世界のダイヤモンドマーケットの現地での買付け方法や観光情報を前号よりご案内して参りましたが、今回は中国番外編杭州「義烏(イーウー)」について掲載させていただきます。

中国 杭州編

●特徴: 杭州は中国七大古都のひとつ
●総面積: 約16,596km2
●人口: 約666万人
●杭州市は中国の東南沿岸部に位置し、浙江省の省都。浙江省の政治、経済、科学教育と文化の中心地です。杭州は上城、下城、拱墅、西湖、江干、濱江、蕭山、余杭など8つの区と富陽、臨安、建徳、桐廬、淳安など5つの県を管轄。
●言語: 杭州語。言葉が通じなくても、漢字での筆談が出来るため、お店やタクシーなどは筆談が出来れば大抵の場所に行ける。
●観光スポット:
写真1

中国十大美景のひとつ西湖

杭州市の西側に位置する西湖は中国十大美景のひとつである。湖水面積約5.6km2、周囲約15km、水深約2.8mと中国では決して大きくはない湖だが、数多くの景勝地を持つ。見所は、断橋残雪・平湖秋月・柳浪聞蔦・三潭印月・曲院風荷・蘇堤春暁・南屏晩鐘・双峰挿雲・雪峰夕照・花港観魚の十名所がある。船での遊覧もできる。

写真2

杭州市バスターミナル
 

写真3

クリスピードーナツもいいですが、
1個1元(日本円で約16円)


 

中国 義烏編

全世界が注目する貿易都市義烏市は秦(B.C.222年)の時代に県が置かれ、唐の時代(624年)に義烏の名になり1988年に県から市へ昇格しました。中国の浙江省のほぼ中央に位置し、上海の南約300キロ、上海から車で約4時間の所にあり,更に杭州国際空港から車で1時間半の距離にあります。義烏市は6つの鎮(町)を管轄し、総面積1105平方キロ(東京都の約半分)、戸籍人口68万人、一時滞在者人口約70万人、合わせて130万人以上の都市です。中東やアラブをはじめ世界数十ヶ国からバイヤーが足を運んでいます。最近では日本人バイヤーの顔もよく見られるようになったそうです。現在、義烏市は様々な卸売市場の好況のためアジア最大の貿易都市として、中国内はもとより世界各国から注目されています。しかし空港や杭州などの一流ホテルなどでは、英語が通じる場合もありましたが、義烏では英語はほとんど通じませんでした。

「義烏の市場」

写真4

福田市場正面入口

写真5

福田市場全体図

「中国小商品城」は、浙江省の中部義烏市に1982年創設されました。その後、20数年の間に4度の移転、8回の拡張工事が行われ、現在では市場総面積:80万m2以上、商業ブース数:約3万4千、市場内で働く人:8万人以上、13年連続中国卸売り市場のトップを維持し、中国最大の小商品輸出基地となっているそうです。
「国際商貿城」「賓王市場」をはじめとして大きな市場が7つあり、そのまわりを各専門店街が囲みます。まさに貿易都市義烏を象徴する巨大卸売市場です。その中でも福田市場(中国義烏国際商貿城)は、中国小商品市場を国際化へと順応させる必要性から建設された現代的な卸売市場です。全工程を3期に分け建設していく計画で、現在第2期工程までがオープンしています。


「第一期」

写真6

福田市場(アクセサリー市場)

国際商貿城一期は2002年9月28日、6.6億人民元(約100億円)を投資して完成。延べ面積は34万m2、毎日3万人以上のバイヤーが訪れているそうです。1階は造花・玩具、2階はアクセサリー、雑貨、3階は旅行工芸品をそれぞれ取り扱っています。市場を中心に、レストラン、商品購買センター、生産企業直販センター、倉庫などが備わっています。現在、市場内ブース数:9,000以上、販売店数:10,000以上が営業中。
この福田市場だけでも、140を超える国と地域に商品が届けられています。(この市場で成約した取引の60%以上が海外輸出向け)

「第二期」

国際商貿城二期は2004年10月から使用を開始。面積は115万m2、投資額は30億人民元以上(約450億円)と一期をしのぐ大規模で、市場内ブース数:1万2千。充実した設備、環境は国際化を目指す中国市場の中でも最高レベルだと言われています。雨具・文具・工具・包装資材・電化製品・化粧品・スポーツ用品・時計・厨房用品とバラエティに富んだ店舗が並び、小売を目的とする区画も設置。現在なお店舗スペースが増加中です。大勢の義烏市民が何らかの貿易活動に携わっており、都市全体が一丸となって巨大な卸売市場を形成し、ここ数年は驚くほど急速な商業発展を続けているそうです。40000余りの店舗を有する世界最大の総合卸し市場です。30万種類以上の商品が扱われ、毎日、世界中から約3万人のバイヤーが訪れています。現在、取引の50%は国外輸出となっています。年間売上げは、ここ15年連続、中国国内の卸市場の中でNO.1だそうです。

筆者感想

写真7

龍井緑茶も試飲して購入できます。
最高級は50g500元(日本円で8000円)

広州や深の市場の何倍もある義烏市の福田市場はまさに中国一の大きさがゆえ1日2日ですべてを回りきることが出来ません。私は杭州に宿泊し、毎朝定期直行バスで毎日往復いたしましたが歩きやすい靴と服装で行かれることをお勧めいたします。アクセサリー市場は、本当にびっくりするほどの安さです。工賃は、あってないようなものです。しかしほとんどの店舗が、卸売りのため最小ロットを設けていますので、1個では購入できません。ある程度数を想定していかれると話が早いと思います。本当に日本に入ってきているメイドインチャイナの商品の大部分はこの市場で買えるのではと思ってしまいます。値段も思っている10分の1ぐらいで。是非読者の皆さんも中国一の卸売市場で新商品を見つけて販売にお役立て下さい。もっと詳しい情報やご質問がありましたら下記メールをいただきましたらわかる範囲でお答えさせていただきます。




アイスブルーダイヤモンド企画・開発プロデューサーが本当にお客様にあった商品企画をご提案するために設立したダイヤモンド専門会社
株式会社IBCTOKYO 担当:木村 e-mail: sales@ibctokyo.com
東京都千代田区麹町 TEL : 03-3556-1481 FAX : 03-3556-1482 
www.ibctokyo.com

ラボトピックス「ウサンバラ効果 [THE USAMBARA EFFECT]」

ウサンバラ効果 [THE USAMBARA EFFECT]

前号の記事“USA会議レポート”の中で紹介したウサンバラ効果トルマリンについてこれらの石を扱っているフランスのDenis GRAVIER氏から簡単なこの効果に関する説明文が送られてきましたので筆者の説明も少し加えてご紹介します。

タンザニアのウサンバラ山地(Usambara Mountains)で採掘されるトルマリンには非常に興味深い光学効果を示すものがあることが、HalvorsenとJensen(1997年)によって紹介され、ウサンバラ効果と命名されました。

ウサンバラ効果は光の透過経路長の違いによる色の変化です。緑色のウサンバラ効果トルマリンの上に同種の石が置かれると、緑色のウサンバラ効果トルマリンは透過した光が赤色に変ります。これは光線が石を通過する際にある波長を吸収し、残りの波長が石に色を与えた結果です。

透過する光線の経路長の変化はスペクトルの強度分布に影響を与えます。経路長が伸びると一般的には吸収が増しますが、ウサンバラ効果は吸収の増加が高波長側より低波長側でより大きくなる石等に現われます。経路長が増加すると、赤色の透過強度は緑色の透過強度と比較して大きくなるため、緑色と赤色の透過率間のバランスは赤色側に向かって増加し、その結果、色の変化として感じられます(グラフ1)。人間の目の感度は緑色部で最も高く(500から510nm;グラフ2)、石を通過した光が緑色と赤色でほぼ同じ透過率を持っているなら、その石は緑色に見えます。二枚のウサンバラ効果の石を重ね合わせて、赤色の透過率が僅かにしか変化しないものは緑色のままに見えるでしょう。しかし、赤色の透過率が明らかに緑色の透過率より高くなったものは突然赤色に変ったように見えます(写真1・2)。

グラフ1

グラフ1

グラフ2

グラフ2 Sketches Kurt Nassau

写真1-2


 

写真3

写真3

これは複屈折性の石(大抵の宝石がこれにあたる)に光が入射した際、光は石の中で二つに分かれ別々の経路で光が通過するために二つの異なった色を示す二色性による色の見え方の違いではありません。その証拠に次の写真4・5のとおり左の薄片に見られる二色性は黄色と緑色ですが、この薄片をより厚くした時にウサンバラ効果によって二色性の色の違いは隠され、どちらも帯橙赤色に見えます。
原石の薄片に光を通した時に横方向に見られる赤色もウサンバラ効果です。

 

写真4

写真4

写真5

写真5


 

ウサンバラ効果は最低三つの要因の組合せで生まれています。

(1)吸収スペクトルの分布状態
このトルマリンの薄片が薄ければスペクトルの橙色から黄色と青色から緑色にかけて吸収があり、赤色と緑色の光が透過する。
(2)人間の眼の視感度が赤色よりも緑色で高い
赤色・緑色・青色の中で人間の眼は緑色の感度が最も高く、赤色と緑色の透過率に差がない場合には緑色に見える。
(3)より厚い薄片では赤色の吸収よりも緑色の吸収が大きい
薄片が薄い時のスペクトルのバランスと比べ、薄片がより厚くなると緑色の吸収が赤色よりも大きくなる。

小売店様向け宝石の知識「アンティークジュエリー10」

アンティークジュエリー・Antique Jewellery 10

いつの時代にも人々を魅了してやまない宝石。その宝石が時代とともに語られるとき、それはただ単にモノとしてだけでなく、一つのストーリーを秘めて一段と光り輝きを見せます。人を魅了してきた宝石にまつわるストーリーはたくさんあります。とくに宝石が愛情の表現として使われた例は枚挙にいとまがないくらいです。婚約指輪・結婚指輪がそうであるように、宝石を贈るのがひとつの愛情表現であることは云うまでもないだろう。高価な宝石をプレゼントされると嬉しいものだが、だからといって石の大きさで愛の深さを計れるかは別問題かも知れない。

アンティークジュエリーの世界では、宝石と愛についてのすばらしい逸話がたくさんあります。そのなかでも“王冠を捨てた愛”として知られたイギリス王エドワード8世とシンプソン夫人のロマンスは、「歴史上最高に美しいラブストーリー」として世界の人々を感動させました。幾多の障害を乗り越えて結ばれた二人は、愛の証として、ひとつひとつの宝石に愛のメッセージを彫り込んで、それは素晴らしい宝石をお互いに贈り続けたエピソードは「宝石と愛情物語」として有名だ。英国国王ジョージ5世は、臨終の際、「息子は自分の死後、一年以内に破滅するだろう」という言葉を残したといわれます。彼の死後、王位を継いだ息子エドワード8世は、当時人妻であったアメリカ人女性シンプソン夫人との結婚のために、戴冠式を待たずして、僅か一年足らずで王位を退きました。

王位を捨て、夫を捨て、愛を貫いた二人は、その後、お互いの想いを確認するかのように、生涯を通じて、数々の宝石ジュエリーを贈りあったといいます。歴史に残るジュエリーコレクションのなかには、相手に向けた愛のメッセージが刻まれたものが少なくありません。この時代を背景に、“カルティエ”の「パンテール」が社交界に衝撃的なデビューしたのが1948年のことでした。ウインザー公爵(元エドワード8世)が、シンプソン夫人のために、「パンテール・ブローチ」をオーダーしたのです。114カラットのカボション・カットのエメラルドに、斑点をほどこしたゴールドの豹(パンテール=動物のヒョウ)が横たわっているという、とりわけゴージャスなものでした。その素晴らしい美しさのジュエリーに魅了された夫妻は、さらに翌年、152カラットのカボション・サファイアに座した「パンテール」を注文。当時もっともファッションの先端にいたシンプソン夫人を飾ったこの宝石ジュエリーは、瞬く間に世間の話題となり、その人気は一気に広まっていったのです。野生動物の力強い、しなやかな姿態の豹を宝石と貴金属の材料を使い美しく抽象化したジュエリーコレクション。さらに腕時計などのアイテムも加わり、現在も“カルティエ”を象徴するモチーフとして数々の名品を生み出しています。

はたしてウインザー公爵(元エドワード8世)の父、ジョージ5世が残した予言は、正しかったのか。王位を失うのが“破滅”だとしたら、予言は当たったと言えるかもしれません。でも「王冠を賭けた恋」として世界中の人々から騒がれながらも、深い愛情で結ばれ、ともに幸せな生涯を過ごした二人。その証が時代を超えて、今も「パンテール」の宝石ジュエリーとして、輝きつづけているのです。名品・宝石ジュエリー「パンテール」誕生の陰には、エドワード8世とシンプソン夫人の世界一の恋と愛情があるのです。

1972年にウインザー公爵が亡くなり、1986年にシンプソン夫人の死をもって、二人の世紀の純愛物語は幕を閉じましたが、愛の証は消え失せることなく、シンプソン夫人の遺言により、二人の遺品である宝石ジュエリーは社会貢献のためにオークションに出されることになりました。1987年4月2日20世紀最大といわれるオークションが行われ、二人の300点にのぼる宝石ジュエリーを含む遺品の売上げの90%がエイズの研究で有名なパリのパスツール研究所に寄付されました。

英国王位を捨て王冠をかぶらなかったエドワード8世。そして愛情を一身に受け止めたシンプソン夫人。二人のロマンスは人間の生きる姿の最高に美しい形であり,イギリス国民はもちろん世界の人々を感動させました。

この二人のアンティークジュエリーオークションは、表示価格の百倍〈通常は数倍〉で落札され、20世紀最大のジュエリーオークションと世界に報道され話題となりました。

「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊

USA会議レポート

メキシコとの国境線上に近い都市として成長してきたツーソンは、古いインディアン文化とアメリカ文化がバランスよく調和されたアリゾナ州の二番目の都市です。5つの山に囲まれたこの一帯は、1年の内350日が晴れと言われるほど年間を通して気候が良く、ゴルフやアトラクションが盛んなリゾート地と言っても過言ではありません。その中でも毎年開催されるジェム・ミネラル&化石ショーも世界一の規模を誇るもので、1月末から2月は宝石・鉱物・化石の買い手と売り手で街が埋め尽くされます。

ジェム・ミネラル&化石ショーは、1つの場所でのイベントではなく、およそ50箇所の会場があります。何十ものショーが同時に、ホテルや広場において巨大な白いテントや展示品ホールが出現し開催されます。そこには、金・ダイヤモンドからガラス玉、恐竜の化石からオーストラリアの奥地で掘られたオパールなどありとあらゆる鉱物や宝石が展示されます。その中でもメインとなるイベントはツーソン・コンベンションセンターとその周りで開かれるAGTAジェムフェアーやGJX(ジェム&ジュエリーエクスチェンジ)などのジェムショーです。

今年は、200キロほど北に位置する州都フェニックスで2月3日にスーパーボウルが開かれ、5日は大統領予備選「スーパーチューズデー」があり、イベントの多い期間中にジェムショーも開催されましたが、それらのイベントの盛り上がりとは対照的に肝心のジェムショーは、サブプライム問題に端を発した米景気の後退や米ドルの弱体化などのためにいま一つも二つも盛り上がりに欠けるものでした。

宝石に関して言えば、モザンビーク産のパライバカラーのトルマリンは昨年に続き多数出ており、昨年までと比べて変化を感じたのは、メロパールを含む天然パールを扱う業者が増えたことと、昨年までは姿を消していたベリリウム拡散処理サファイアも明確に表示して販売されていたことでした。

今回、筆者が遭遇した興味深い幾つかの石について触れたいと思います。

ウサムバラ効果トルマリン(タンザニア産)

ウンバ渓谷(タンザニア)産の、あるトルマリンの色は石の中を通る光の距離が増加すると緑色から赤色に変化します。このような色の変化現象は“ウサムバラ効果”と呼ばれ、これまで宝石で知られている如何なる色変化とも違うものです。

トラピッチェトルマリン(ザンビア産)

GIAの季刊誌G&G (Spring 2007, Volume 43)によると、このトルマリンはバナジウム関連のメカニズムによって緑色に着色されたウーバイトであると紹介されており、光軸に垂直にスライスすると、この北西ザンビア産のグリーントルマリン結晶にはトラピッチェの成長パターンが見られます。トラピッチェの外観はおそらく骸晶の成長から始まり、3つの領域に集中した黒い炭化物 (ほとんど石墨)によってパターンが作られています:(1)三角錐のエッジに沿って(2)三角錐と柱面の間(3)個々の柱面の間。

トラピッチェトルマリンのスライス

トラピッチェトルマリンのスライス
 

淡水真珠と14金で作られたトウモロコシ

淡水真珠と14金で作られたトウモロコシ
(Cultured pearl association of Americaの
展示ブース)

GLDAショーが開かれたStarr Pass Marriott Resort & Spa

GLDAショーが開かれた
Starr Pass Marriott Resort & Spa
 


毎年一番の人気で賑わう巨大なテントで開かれるGJXショー入り口

毎年一番の人気で賑わう巨大なテントで開かれる
GJXショー入り口

ホテルの玄関前に飾られた巨大な水晶(Pueblo Gem & Mineral ショー)

ホテルの玄関前に飾られた巨大な水晶
(Pueblo Gem & Mineral ショー)


バイカラートパーズ(8.89ct. オーロプレート産)

バイカラートパーズ
(8.89ct. オーロプレート産)

非常に美しいゴールデンのスターを示すスターサファイア

非常に美しいゴールデンのスターを示す
スターサファイア


AGTAショーが開かれたツーソン・コンベンションセンター

AGTAショーが開かれた
ツーソン・コンベンションセンター

GIAの季刊誌G&Gでも紹介された260カラットのトパーズキャッツアイ

GIAの季刊誌G&Gでも紹介された260カラットの
トパーズキャッツアイ


ウサムバラ(USAMBARA)効果

ウサムバラ(USAMBARA)効果:
デーライトの下では色温度が高いのと石の周りから入る光によって緑色を呈していますが、スポットライトを当てて石の中からの反射光を増やすと石は赤っぽく変色して見えます。


ラボトピックス「テネブレッセント スカポライトについて」

テネブレッセント スカポライトについて

間中 裕二  

はじめに

紫外線照射によって色が変わる石としては、ソーダライトの変種であるハックマナイト(ジェミー135号参照)が有名ですが、今回鑑別で遭遇したスカポライトは紫外線により無色から青色に変化することが観察されました(写真1・2)。この現象は最近テネブレッセンス(tenebrescense)と呼ばれています。

テネブレッセンス

“テネブレッセンス”はあまり馴染みのない言葉ですが、語源はラテン語の「暗闇」からきています。この用語は紫外線照射等により色変化を示しまた色が元に戻る物質に対して、かなり限定的に用いられています。より一般的な科学用語として対応するのはフォトクロミズム(photochromism)です。

[テネブレッセンスのイメージ]
テネブレッセンスは、ラテン語の“tenebrae”から派生した言葉です。イタリア語でもテネブローソ(tenebroso)は「闇」を意味します。
美術の世界では、光と闇の強烈なコントラストを用いた絵画の手法『明暗対比画法』のことをテネブリズム(tenebrism)と言います。バロック期のカラバッジオ(1573~1610、本名ミケランジェロ・メリシ)などが有名です。
クロミズム

クロミズムとは、物質の色や蛍光などの特徴が外部からの刺激によって可逆的に変化する現象のことをいいます。身近な例としては太陽光などの強い光をあびて黒っぽくなり、暗い場所に移ると色が薄くなったり消えたりするサングラスがあげられます。最近ではスポットライトに反応して色変わりする繊維としてウェディングドレスなどにも応用されているようです。
クロミズムを起こす原因となるのは光・熱・電気・圧力などが知られていて、多くの場合分子の電子状態が変化するために引き起こされます。外部刺激の要因によって『~クロミズム』と名付けられ、光によって引き起こされるクロミズムはフォトクロミズムと呼ばれます(熱が原因ならサーモクロミズム)。フォトクロミズムの訳語としては、可逆的変色や可逆的光互変があてられています。

当該石の鑑別特徴

表1

[外観]  
透明度・色 透明無色
形状 オーバルファンシーカット
重量 1.746 ct
寸法 9.62×7.44×4.82 mm
[鑑別]  
屈折率 1.541-1.538
比重 2.57(静水法)
蛍光性 LW:オレンジ色
SW:弱オレンジ

この色変わりを示す石は、通常の鑑別手法によりスカポライトであることが確認されました。お預かりした石は0.7~2.3カラットの無色石で、屈折率・比重・蛍光性・拡大検査等は、ほぼ同じような特徴を示しました。表1は上の写真に示した石のデータです。また、ラマン分光分析によってもスカポライトであることが裏付けられました(図1)。

図1 ラマン分光

図1 ラマン分光

紫外線反応と色変化

1.紫外線照射

無色である当該石に紫外線を照射すると写真34のように長波紫外線(LW.)では強めのオレンジ色、短波紫外線(SW.)では弱いオレンジ色の発光が観察されました。

2.照射後の色

この蛍光自体はスカポライトであればよく見られる現象ですが、照射後に通常照明下で石を見るとわずかに青みを感じることができます。そこで、紫外線光源に数cmまで近づけ、10秒後と1分後の状態を比較してみました。10秒の露光ではわずかに青みを感じる程度の変化ですが1分間露光すると写真2のようにアクワマリン程度まで濃色に変化します。

3.退色現象

通常照明下では約1分で色がわずかなに残る程度、2分後ではほぼ無色、数分後では全くの無色になりました。ただし、ペンライト等の強い白熱光をあてると急速に無色化します。

今回鑑別した石については、SW.下での色変化のほうが大きいこと、この現象は何度でも繰り返して試すことができることが確認されました。また、燐光についてはダイヤモンビュー(Diamond View TM)を用いて映像を観察しましたが、一部のダイヤモンドやオパールのような燐光は認められませんでした。

内包物

ほとんどの石には、ほぼ全体にわたり平行かつ密な状態で管状インクルージョンが見られます(写真5)。また、一部には透明結晶が存在します(写真6)。

写真5 密な管状インクルージョン

写真5 密な管状インクルージョン

写真6 透明結晶インクルージョン

写真6 透明結晶インクルージョン


 

蛍光X線元素分析(EDXRF)

表2 組成

化学式 質量% モル%
Na2O 13.88 14.37
Al2O3 18.60 11.70
SiO2 60.23 64.29
SO3 0.83 0.66
Cl 3.81 6.89
K2O 2.04 1.39
CaO 0.61 0.70
100.00 100.00

スカポライトは、その形状と語源から和名で柱石と呼ばれます。さらにスカポライトは鉱物のグループ名であり、ナトリウム(Na)側のMarialite (Na4Al3Si9O24Cl、曹柱石)とカルシウム(Ca)側のMeionite(Ca4Al6Si6O24CO3,、灰柱石)を端成分として連続的に変化する固溶体を形成します。今回鑑別したスカポライトの組成は、Marialiteと呼んでもよい程Na成分に富んでいます。また特徴的な元素としてはイオウ(S)が検出されています(図2表2)。
スカポライトの屈折率はその固溶体という性質から、1.53~1.59の範囲で幅広く変動し、比重も同様に2.5~2.8の範囲で変化します。これらの値はMarialite 成分に富む(Naが多い)程、小さくなります。一般鑑別の屈折率1.54前後・比重2.57という値は元素分析の組成ともよく合致しています。

図2 EDXRF

鑑別書上の表記

スカポライトは、ソーダライトの変種であるハックマナイトのような名称を持ち合わせていないため、鉱物名と宝石名は同じスカポライトを用いますが、紫外線照射により明らかに色変わりを示すものは、備考欄にその旨を記述いたします。また、特別な処理がなければ開示コメントとして宝石名の下に『現時点ではカット・研磨以外に人的手段が施されていないとされる宝石です。』と表記されます。

鑑別結果

鉱物名  天然スカポライト
宝石名  スカポライト
備考欄  当該石は、紫外線照射により色が変化します。
また、変化した色は時間が経過すると元に戻ります。

※テネブレッセントおよびテネブレッセンスという用語は広く認識されていないため、
 鑑別書上には表記いたしません。

小売店様向け宝石の知識「アンティークジュエリー9」

アンティークジュエリー・Antique Jewellery 9

ジュエリーに限らず何でもそうですが、マンネリ化して同じようなデザインが長く続くとき、とくに機械生産で大量生産されるようになると、人々は同じものにうんざりへきえきして「退屈だ」と必ず飽きてきます。ジュエリー史上で燦然と輝くヴィクトリアン期後半にも、反動としてアーツ・アンド・クラフト運動という新しい芸術が起こっています。いつも人々は芸術に新しい風を求めます。デザインの風向きが変わります。デザインや作り方に必ず革新というか変化が起こります。この芸術革新の新風がアール・ヌーヴォーであり、アール・デコです。ここに次世代の新しいアーツが登場してきます。

アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)とは、1890年世紀末から1910年代にかけて西欧を中心として展開された新しい芸術運動をいいます。主義主張をもった芸術運動で、始まったかと思うと短期間に終わってしまった流行というか様式です。デザインの基本をジャポニカ・日本の美術工芸文物に強く影響を受け、流れるような曲線、左右非対称の構図、奇抜なデザインモチ―フの多用が特徴です。流行は短期間でしたが、この様式のデザインは、いま現在も金持ちや一部のデザイナーに根強い人気をたもっています。

このアール・ヌーヴォーのジュエリーを創ったもっとも才能のある人物は、ルネ・ラリックです。このほかヴェヴェール兄弟、ジョルジュ・フーケ、ジャン・ガイヤールなどがいます。また、アール・ヌーヴォーを代表するポスター装飾画家ミュシャもジョルジュ・フーケの宝飾店のためにジュエリーデザインをしています。アール・ヌーヴォーが流行する以前は、ジュエリーは王侯貴族の淑女用であり、かつ夜会用が中心でした。そのためにデコルテといわれる肩や背や胸など肌があらわな夜会服用に、首飾りやブレスレットなど肌の上で輝くものが主流でした。しかし、この新風芸術では、外出着などの服装に合うようにブローチやペンダントが多く作られました。そのため瑪瑙,珊瑚、水晶、象牙、琥珀が使われるようになり、さらに色彩をほどこすために金の上にエナメル(七宝)が焼き付けられることが流行しました。またジュエリーの面白さを出すためにスズラン、スイレンといった植物、トンボ、ツバメ、孔雀、蝶、魚といった親しみのある動物がモチーフとして使われるようなりました。図柄の構成も非対称、曲線、大胆で繊細、かつ単純化され、楽しいジュエリーが創作されました。これらルネ・ラリックなどに代表されるアール・ヌーヴォーのジュエリー作品は、パリのオルセー美術館、装飾美術館、プチ・パレ美術館に公開展示されています。ジュエリーデザイナーにとって必見です。

アール・デコ(Art Deco)は、第一次大戦(1914~18)が終わって世の中に傷跡がいまだ残る1925年に「パリ アール・デコ展」が開催されたのが皮切りです。出品条件は、モダンスタイル、明快な丸、三角、四角、楕円などの幾何模様に、直線的なデザインと日本や中国の東洋的なモチーフが一堂に会し、大好評となりました。その頃から女性の社会進出も活発化してきました。そのためジュエリーも服装に合わせて機能的なデザインが流行し、ジュエリーがほんとうに女性の必需品になる時代となってきました。

アール・デコは、従来の綺麗すぎるアート、大量生産のアート、機械加工のアート、無思想のアートなどマンネリにうんざりし、ここから脱皮し超越して新出してきた芸術運動です。デザインは直線と曲線の幾何学模様で、しかも使いやすい作品が多いのが特徴です。

アール・デコのジュエリーを好んで身に付ける現代人も多い。「時間とか効率」などの採算を考えずに、技術とデザインのすべてをつぎ込んでジュエリーを作っていたのが、アール・デコの時代。現代でも同じ技術を持っている職人がいたとしても、いまの時代に無尽蔵に時間や経費をかけられないし、非常に高額になってしまう。アール・デコ時代のジュエリーは、現代ではとても作りえない質の高さを持っています。アール・デコのジュエリーの精緻な技術とデザインに特別の敬意を払う愛好家も少なくありません。ティファニーを始めカルティエなどの欧米の有名宝石店は、当時こぞってアール・デコ調のジュエリー作品を世に送り出しており今も好事家の垂涎の的となっています。因みにパリ・メトロの幾つかの駅入口はアール・ヌーヴォー装飾様式であり、大丸心斎橋の本館正面玄関はアール・デコ装飾様式でつくられています。これら芸術様式は現在も我々の身近で多く見られます。

「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊

ワールドニュース(2008.03)

寒さもだいぶん和らいできましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今回から前号でご案内させていただきました、世界のダイヤモンドマーケットの現地の買付け方法や現地の観光情報を掲載させていただきます。まず最初は、ベルギーのアントワープから…

ベルギー アントワープ編

●総面積: 約3万km2(日本の四国の面積の約1.5倍)
●人口: 約1,058万人(主な都市の人口はブリュッセル100万人、アントワープ46万人、ゲント23万人、リエージュ19万人)
●人口密度: 1km 当たり342人
●首都: ブリュッセル
●政治形態: 立憲連邦君主制(現国王はアルベール2世陛下)
●行政区分: フランダース政府(西フランダース州、東フランダース州、アントワープ州、フレミッシュ・ブラバント州、リンブルク州)、ワロン地域政府(エノー州、ブラバン・ワロン州、ナミュール州、リエージュ州、リュクサンブール州)、ブリュッセル首都圏地域政府の3つの地域政府。
●言語: フランダース地域はオランダ語、ワロン地域はフランス語。首都ブリュッセルは2言語併用地域。ドイツ国境付近ではドイツ語。都市ではほとんど英語が通じる。
●宗教: キリスト教(カトリック75%)
●建国記念日:  7月21日(レオポルト1世が1831年7月21日憲法にのっとって初代国王に就任した日)
●国歌: “ブラバンソンヌ”(La Brabanconne)
●国旗: 国旗黒・黄・赤の3色旗
●モットー: “団結は力を生む”
●紋章: ベルギーの獅子、黒地に赤い爪、舌を出す金色の獅(ベルギー観光局より)

街では、気軽にワッフルやチョコが買えます

街では、気軽にワッフルやチョコが買えます

まずは皆さん、ベルギー・アントワープでまず最初に思い浮かぶのは何でしょうか?
チョコレートやベルギーワッフル、ベルギーファッション、或いはフランダースの犬ではないでしょうか。

チョコレートでは、GODIVA、Neuhaus(共にベルギーの王室御用達の名品です)そして世界のチョコレート愛好家が太鼓判を押すベルギーアントワープでしか味わえないDEL REYです。しかしこのDEL REYが2004年に日本に初上陸して、当時日本のダイヤモンド関係者をびっくりさせました。いろいろな日本の商社や百貨店の関係者の出店要請にもかかわらず門外不出とされていたからです。DEL REYの日本出店要請を勝ち取った人物のアイデアとコミニュケーション力そして信念は本当にすごいと思いました。しかし何よりも私を驚かせたのは、私がイスラエルの会社に勤務していたときからお世話になっていた方がその人物だったということでした。DEL REYについて詳しくは http://www.delrey.co.jp/ をご覧下さい。

アントワープ中央駅の外観

アントワープ中央駅の外観

ダイヤモンド街の入口と交番(車が勝手に入れないように入口に太くて低いポールが何本も立っています)

ダイヤモンド街の入口と交番
(車が勝手に入れないように
入口に太くて低いポールが何本も立っています)

『フランダースの犬』はイギリス人ウィーダ(Ouida)が書いた小説ですが、ベルギー北部のホーボーケン(Hoboken)が主人公ネロと愛犬パトラッシュが生活した村のモデルとされています。そして、物語の最後にネロとパトラッシュがルーベンスの絵の前で感動的な結末を迎える聖母大聖堂は連日観光客で賑わいを見せています。アントワープの中央駅より(ダイヤモンド街より)徒歩で20分くらいのところにあります。

しかし忘れてはならないのがダイヤモンド産業の町としてのアントワープです。ダイヤモンド街はアントワープの中央駅よりすぐのところにあり、オフィス街に入ると厳重警備体制です。ベルギーダイヤモンド取引所だけでなくどのビルにもパスポートで入館許可を貰います。10数年前までは、ベルギー人、ユダヤ人が街を大勢歩いていましたが、ここ数年はインド人にかわり最近ではアフリカ諸国からの人々を多く見るようになりました。




アイスブルーダイヤモンド企画・開発プロデューサーが本当にお客様にあった商品企画をご提案するために設立したダイヤモンド専門会社
株式会社IBCTOKYO 担当:木村 e-mail: sales@ibctokyo.com
東京都千代田区麹町 TEL : 03-3556-1481 FAX : 03-3556-1482 
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ラボトピックス「レアストーンあれこれ」

レアストーンあれこれ

間中 裕二  

はじめに

今回は、宝石の鑑別に携わる者であれば常に紐解くであろうGems(R.Webster著)や宝石宝飾大辞典(近山 晶著)にも載っていない、宝石種としては普段あまり目にすることや耳にすることがない希少石を取り上げてご紹介してまいります。

天然バッデリーアイト

写真1

写真1

バッデリーアイト(Baddeleyite)は化学組成がZrO2(酸化ジルコニウム)であり、基本的な組成が同じである人造キュービックジルコニアの天然石のカウンターパートにあたります。
同じ組成であってもバッデリーアイトは単斜晶系に属し、一方の人造キュービックジルコニアはその名が示す通り等軸晶系に属するため、多形(同質異像)の関係にあたり鉱物学的には全く別種となります。
鑑別を行った石(写真1)は、わずかに緑味を帯びた褐色でさらに濃色のため、複屈折性はやっと確認される程度です。屈折率もオーバースケールであり通常の宝石学的手法には限界があります。この石を確実に鑑別するには元素分析やラマン分光といった機器分析が必要となります。

宝石学的な特徴

透明度・色 透明・(濃)帯緑褐色
形   状 ラウンドファンシーカット
重   量 1.006 ct
サ イ ズ 5.82×5.92×2.58 mm
屈 折 率 オーバースケール
比   重 6.02(静水法)

 

バッデリーアイトとキュービックジルコニアの比較

蛍光X線元素分析(EDXRF)

天然のバッデリーアイトは、主成分であるZrO2が97%程を占め、微量成分としてHf(ハフニウム)やTi(チタン)がわずかに検出される程度です。(チャート1
一方、現在流通しているほとんどの人造キュービックジルコニア(チャート2)にはZrO2の他に安定剤としてかなりの量(10mol%程)のY2O3(酸化イットリウム)が含まれるという特徴を持っています。この10mol%という量は高い秩序を持った等軸晶系の構造を安定させるためです。Y2O3が少なすぎると等軸晶系と正方晶系のものが2相存在してしまうため、Y2O3が少な過ぎるものは通常製造されません(多すぎても非秩序的になります)。従ってEDXRFによる分析は鑑別において非常に有効であると言えます。

チャート1 EDXRF・天然バッデリーアイト

チャート1 EDXRF・天然バッデリーアイト

チャート2 EDXRF・人造キュービックジルコニア

チャート2 EDXRF・人造キュービックジルコニア

ラマン分光データ

顕微ラマン分光分析(514nmレーザー励起)によるデータを見ても、その発光ピークは大きく違うため区別することができます。細く絞ったレーザー光を用いるこの方法では、メレサイズの石であっても検査が可能であるという利点があります。(チャート3・4

チャート3 ラマン・天然バッデリーアイト

チャート3 ラマン・天然バッデリーアイト

チャート4 ラマン・人造キュービックジルコニア

チャート4 ラマン・人造キュービックジルコニア

天然ポウドレッタイト

写真2

写真2

ポウドレッタイト(Poudretteite/KNa2B3Si12O30)は、淡いピンク色を示すきわめて稀なオースミライト(大隈石)グループに属する宝石種です(写真2)。この石はカナダ、ケベック州のモンサンチレール(Mont Saint-Hilaire)で発見され、名称はこの地区の採石場を所有するプードレット一族に因んで名付けられたものです(従って日本語で表記する場合プードレッタイトとしてもよい)。詳しい報告は、Gem & Gemology 2003年春号に発表されていますが、鑑別で遭遇することはめったにあることではないため、鑑別上の特徴を報告します。近年ミャンマーのモゴク地区でも発見されていて、当該石もモゴク産として入手したとのことです。

宝石学的な特徴

透明度・色 透明・淡ピンク色
形   状 ペアファンシーカット
重   量 0.152 ct
サ イ ズ 5.18×3.25×2.00 mm
屈 折 率 1.510 - 1.530
屈 折 性 一軸性(正)
比   重 2.53(静水法)
蛍   光 不活性
分 光 性 明瞭な吸収はない
拡大検査 管状包有物

  

赤外分光(FT-IR)

中赤外の分光では5249,3658,3583,2779(cm-1)に特徴的な吸収が見られます。(チャート5

チャート5 FT-IR・ポウドレッタイト

チャート5 FT-IR・ポウドレッタイト

ラマン分光

ラマン分光分析(514nmレーザー励起)によるデータでは316,427,489,551,1175(cm-1)に特徴的なピークが見られます。(チャート6

チャート6 ラマン・ポウドレッタイト

チャート6 ラマン・ポウドレッタイト

天然ユガワラライト

写真3

写真3

ユガワラライト(Yugawaralite/Ca2 [Al4Si12O32]・8H2O)は、その名が示すとおり、神奈川県の湯河原温泉(不動滝)で最初に発見されたゼオライト(沸石)に属する鉱物です。発見者は鉱物マニアの世界では有名な櫻井欽一氏で、記載されたのは1952年ですが戦前にはその存在に気づいていたようです。ユガワラライトは通常薄い板状の結晶形状を示すため、最初に鑑別したときには、この種のものまで研磨され宝石となることに驚きをおぼえました(写真3)。現在はインド産が稀に流通していますが、原産地の湯河原では天然記念物で採集禁止です。(当該石もインド産とのこと)
鑑別上の注意点は、屈折率も近いエピスティルバイト(Epistilbite)といった同じカルシウム系のゼオライトと混同しないことです。

宝石学的な特徴

透明度・色 透明・無色
形   状 エメラルドカット
重   量 0.162 ct
サ イ ズ 5.26×3.25×1.54 mm
屈 折 率 1.50 - 1.49
屈 折 性 二軸性(正)
比   重 2.28(静水法)実測
蛍   光 不活性
分 光 性 明瞭な吸収はない
拡大検査 目立つ包有物なし 通常液体包有物

  

赤外分光(FT-IR)

ゼオライトは結晶水を含む珪酸塩鉱物であるため、赤外部では大きな水の吸収帯が特徴的です。(チャート7

チャート7 FT-IR・ユガワラライト

チャート7 FT-IR・ユガワラライト

ラマン分光

ラマン分光分析(514nmレーザー励起)によるデータでは406,448,479に3本集まったピークおよび1131(cm-1)等に特徴的な発光が見られます。(チャート8

チャート8 ラマン・ユガワラライト

チャート8 ラマン・ユガワラライト

今回は、コレクターズストーンとしては名を知られていますが、一般にはほとんど遭遇することのない希少石を取り上げてみました。機会があればまた珍しい宝石種をご紹介したいと思います。

小売店様向け宝石の知識「アンティークジュエリー8」

アンティークジュエリー・Antique Jewellery 8

アンティークジュエリーは、宝飾品の中で骨董的価値のあるもの、一般に100年以上前に創られた美術的価値のあるものを指します。宝飾品は、人類発生とともにあり、古代から豊かな歴史があります。古代の宝飾品は、おもに支配者の威信を示す象徴、護符として使われました。また宗教とジュエリーのかかわりも大変に古く深いものがあります。

とくにキリスト教世界では聖遺物入れに代表される信仰の対象、教会への奉納品として、男女ともに身に着用され、魔力と威厳を帯びたものとなっていました。

ジュエリーは、あるときは繁栄を誇る王侯貴族の地位・権力の象徴を誇示するものとなりました。そのためにジュエリーは、おびただしい数の宝石がちりばめられ、権力者に所有され、着飾られたのです。そのデザインは特別仕様で豪壮に創られ、宝石の大きさや色や数で階級、家柄、職業を表わしていました。いっぽう王様や皇帝などの支配者は、臣下重臣にジュエリーをたびたび褒美や贈り物として下賜したのです。それが時代の変化によって、彼等にも栄枯盛衰があり、そのたびに換金されたり、ある時は借金の担保になったりもしました。

もともとジュエリーはオーダーメイドが基本でした。王族やマハラジャたちは、お抱えの宝飾職人に宝石素材を持ち込み、好みのスタイルにデザインしてもらい、時間と技術とぜいたくのすべてをかけてオーダーメイドし、宮廷で着飾ったのです。

最近の映画「マリー・アントワネットの首飾り事件」を観ると、ルイ王朝時代の宮廷御用宝石職人の様子が写し出されています。当時のジュエラーは、行商としてヴェルサイユ宮殿への出入りを許されていました。今では考えられないことですが、当時のジュエラーはジュエリーの行商をしていました。当時の宝石ビジネスの形態は、ジュエラーは自らの宝飾工房であるジュエリー加工ショップを自宅に所有し、そこから王侯貴族の邸宅を行商して廻ってジュエリーの注文を取るスタイルだったようです。その頃の宝石ビジネスの様子は、いまも当時の文献に残っているのでよく判っています。

ルイ王朝時代のジュエラーは、マルモットという小さな宝石箱に入れたジュエリーを背負い箱に詰めて、ヴェルサイユ宮殿やパリ市内の高級住宅街にある王族貴族の邸宅を塀越しに口上を述べながらジュエリーを売りこみに歩いていたようです。ヴェルサイユ宮殿の広大な庭を散歩していたマリー・アントワネットが、宝石商人の口上を耳にとめ、鉄柵の向こうから聞こえてくる流暢な口上を聞いて、どうしてもジュエリーが見たくなりました。彼女が、メレリオ・ディ・メレーの売り子を宮殿内に招き入れ、気に入ったジュエリーをオーダーしたことが文献にいまも残っています。当時の注文書が、創業1613年、ほぼ400年の歴史をもつパリ・ヴァンドーム広場にいまも店舗を構えるメレリオ・ディ・メレー宝飾店に現存しています。当店はアーカイブ・ジュエリー、グランドクラシック・ジュエリーをも取り扱う老舗宝飾店で、現存する最古の宝飾店といわれます。

一般にアンティークジュエリーとしての歴史が始まるのは18世紀後半からで、本格的なアンティークのはじまりは、イギリスのジョージアンの時代からといわれます。その後文化産業が華やかに花開いたヴィクトリアン時代、端正なエドワーディアン時代、曲線の美しいアール・ヌーヴォー時代、直線的なアール・デコ時代へと流行と様式が移り変わっていきました。アンティークジュエリーの価値は、使われている素材、ゴールド、ダイヤモンド、カラーストーンの大きさや希少性だけでなく、精緻な細工の出来栄えの素晴らしさやデザインのよさで決まります。現在の価値の尺度では到底測れない素晴らしさをもっています。

一方何でもそうですが、マンネリ化して同じようなデザインが長く続くとき、とくに機械生産で大量に同じようなものが続出するようになると、人々は同じものに辟易して「退屈だ」と必ず飽きてきます。いつの時代もマンネリデザインが続くと人々はうんざりしてくるようです。

ここに人々は芸術に新しい風を求めます。デザインの風向きが変わります。必ず革新というか変化を求められます。この芸術革新の新風がアール・ヌーヴォーであり、アール・デコです。次世代の新風アーツが登場してきます。

「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊