Gemmy 151 号 「小売店様向け宝石の知識「光り輝く宝石の島・スリランカ1」」
光り輝く宝石の島・スリランカ1
スリランカはルビー・サファイアなど高級宝石の日本への供給国である。
世界のカラーストーン採掘地の生産統計を出すことはできないが、主要産地の相対的重要度はだいたい推定できる。世界で最も重要なカラーストーン産地は、スリランカ(セイロン島)、ミャンマー(ビルマ)のモーゴク地方、ブラジル及びマダガスカル島である。
スリランカでは、ほとんどの宝石が沖積鉱床から産出する。宝石の一次鉱床は発見されていない。当地では過去に宝石が相当量採掘されたので、鉱床が消耗して宝石がいずれ枯渇しないかと噂が流れたりする。しかし現状そんなことはなく採掘量に問題はないようだ。
スリランカで産出する宝石は、ルビー、サファイア、最高級クリソベリル(キャッツ・アイ、アレキサンドライトを含む)、トパーズ、トルマリン、ペリドット、ムーンストーン、ガーネット、ジルコンなど多くの宝石を産出する。
スリランカは、1948年2月4日イギリス連邦セイロン自治領として独立。1972年に共和国としてイギリス連邦から独立を果たした。その際に、「スリランカ」と改名した。
スリランカとは、スリ=光り輝く、ランカ=島という現地語で、住民が昔からも呼称していた。まさにスリランカ=光り輝く島=宝石の島と云える。
スリランカの世界遺産の一つに世界的に有名なシギリヤ・ロックがある。宝石を勉強した人、宝石に興味のある人には必見の名所である。このシギリア・ロックこそスリランカが世界に名だたる宝石の島として歴史的存在感をアピールしている名跡である。しかも世界で唯一宝石モチーフの壁画の世界遺産だ。
シギリヤ・ロックの壁面には王宮の美女が描かれている。その美女たちが皆そろって赤、青、黄緑の色とりどりの宝石を身に着けて美しく描かれている。その岩山はジャングルの中に突如として姿をあらわす。1875年イギリス統治下にあったとき、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が目を奪うような鮮やかな色彩で描かれた宝石を身に着けた美女像群を見つけた。美女たちの妖艶な姿と神秘的な表情、美しい宝石が光り輝いて描かれている。“シギリヤ・レディ”、スリランカを代表する芸術として、また宝石を主題とした芸術として、今日世界に広く知れ渡っている壁画だ。1400年の歳月を経て眠りからさめた18人の美女たちは、多くの感動を人々に与えずにはおかない。宝石人必見の世界遺産だ。この遺跡には狂った王カッサパの物語が隠されている。埋没していたシギリヤ・ロックの宮殿が発見されたのはカッサパ王が死んで約1400年後イギリス植民地時代に入った19世紀後半のことである。シギリヤへは古都キャンディから直行バスが出ている。
ベルワラとニゴンボは南西海岸に位置する港町。ここは中世にアラブ商人が宝石を求めて来航した町として有名だ。とくにベルワラは、西暦800年頃スリランカに宝石や香辛料を求めてやってきたアラブ商人たちが開いた港。ラトナプラから運んだ宝石をここから広く世界に伝えた。当時のベルワラの賑わいはたいしたもので、宝石だけでなく、「シンドバットの冒険」の話など、この港町を始まりとして世界に知れ渡った。
マルコポーロは13世紀に中国からの「海のシルクロード」の帰途、このベルワラからスリランカに上陸した。彼の東方見聞録には、ベルワラの町で卵大の大きさの美しい青い石や目の覚めるような赤い宝石、貴緑色の輝石がたくさん見られたと記録されている。
この港町に面するスリランカ南西海岸は黄金海岸とも呼ばれる。インド大陸とセイロン島の海峡である。インド洋の透明で紺碧な海に色彩の強い太陽の光の見事なコントラストを見せる。この黄金海岸では美しい天然真珠が産出することで知られている。
アラブ商人たちは大航海時代にラトナプラ産宝石をベルワラの港から世界へ運んだ。しかし航空機時代に入った今日、ラトナプラ産の宝石はもうここから海を渡ることもなくなった。ベルワラの海岸入り江の突端には白いモスクが残存しているが、往時の宝石取引の賑わいもなく、静かに昔の栄華をしのばせている。宝石産地ラトナプラはベルワラの西方50kmに位置する。往年の昔ラトナプラ産宝石の取引は、近隣の港町ベルワラが中心だった。現在はスリランカ最大の国際都市コロンボが宝石取引の中心となっている。
「楽しいジュエリーセールス」 著者:早川 武俊
早川宝石研究所ホームページ