Gemmy 148 号 「小売店様向け宝石の知識「宝石大国・インド3」」
宝石大国・インド3
インドは宝石大国である。だから宝石について特筆すべき事柄が多い。例えば宝飾品細工加工の街、ダイヤモンドの研磨加工の街、ダイヤモンドの世界取引センター、歴史に名が残る有名なダイヤモンド産出地、宝飾品を取り扱う商人と宗教の話など事欠かない。
インドには数多くの宝石の街がある。
ジャイプールはその一つで、宝飾品加工の古い都市である。ラジャスターン州の州都で、城壁に囲まれた旧市街の多くはピンク色をしていることから、別名ピンクシティとよばれる。ここはインド観光のハイライトとして名所旧跡が多く世界中から観光客が訪れる。この街の南方の地域アジメールからはかつてエメラルドが産出した。以来エメラルドの加工と取引の中心地となり、さらに色石の研磨加工の一大センターに発展した。現在は原石をコロンビア、ブラジル、アフリカ諸国、そしてロシアから輸入し、色石の研磨加工が盛んである。市内の宝石加工取引業者は700社以上を数えるという。市中にはピンク色した「風の宮殿」といわれる名所があり、その近傍には数多くの宝石研磨細工場が存在する。街の通りからは職人が色石を研磨加工しているのが散見できる。市内中心地にはジュエル・エンポリアムといわれる公営宝飾品専門館があって観光客でいつも賑わっている。ジャイプールの宝石商人は世界各地で開催される宝石展示会には必ず出品している。値段が庶民的でデザインがカジュアルな宝飾品だから世界中どこでも人気がある。日本にもジャイプールからの宝飾商人が甲府、御徒町、神戸で活躍している。
ハイデラバードも宝石都市として有名だ。アンドラブラデッシュ州の州都で、その昔、良質大粒のダイヤモンド産地であったゴルコンダ・Golcondaの新しい都市名である。ここはムスリム王朝の都として栄え繁栄してきた。1947年インドが独立したとき、東西パキスタンなど周辺ムスリム地域は分離したが、ハイデラバードは孤立してインドに残された。そのため、インド国内でも類を見ないムスリム文化を残している。ゴルコンダは古いインド産ダイヤモンドの物語には必ず出てくる都市である。この地域を流れるベナール川、キストナ川、カーヌル川流域に広がる昔のダイヤモンド漂砂鉱床を指してゴルコンダと呼称されたという。英国王室秘蔵である世界最古のインド産石のコイヌールKohinoorもここから採掘したといわれている。ここは17世紀にダイヤモンドの大取引地としてインド国内はもちろんヨーロッパからもダイヤモンド商人がやってきた。その中にフランスの太陽王ルイ14世(1638~1715)にインド産大ダイヤモンドを買い付けて売っていた著明な宝石商がいた。その商人とは、ジャン・バチスト・タベルニエ Jean Baptiste Tavernier(1605~89)である。彼は当時のインドの宝石事情とくに有名な大ダイヤモンドに関する状況を彼自身の著作に詳細に記述しており、今日において宝石についての貴重な文献となっている。ハイデラバードは、古きインドのダイヤモンドの都市であり、今もこの都市の名所チャール・ミナールは旧市街にあってその周辺は繁栄しており、宝石店、貴金属店、腕輪専門店、銀細工店が軒を連ね賑わっている。
アグラは、世界七不思議の華麗な傑作建築物・世界遺産タージ・マハルがある世界名所。昔はムガル王朝の都であった。この地に皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムタージの死を悼んで建てた霊廟である。このタージ・マハルの霊廟には、白い大理石の表面に華麗な花木植物が描かれ、それらは美麗に輝く色石で象嵌されている。インドを旅すると華麗な寺院やマハラジャの邸宅や城があるが、ここは正に宝飾品・財宝の集積中心といえる。アグラの街には、たくさんの宝石細工店、宝飾店が軒を連ねている。タージ・マハルの装飾加工に従事した工人の子孫たちが営んでいるのだ。インドのどこの町々を訪れても、宝石細工店、宝飾アクセサリー店、宝石店、貴金属店があって、人々の生活になくてはならない存在となっているのがわかる。ムンバイ(旧ボンベイ)は、インド西部のアラビア海に面した世界最大級の貿易港であるが、ダイヤモンドの研磨と取引の大センターである。ムンバイ市内及びその北のスーラト及びナワサーリが研磨加工地として有名だ。その他デリー、チェンナイ(旧マドラス)、コルカタ(旧カルカッタ)などの大都市の繁華街には必ず宝飾店が集積していて活況を呈している。インド人は無類の宝石・貴金属好きである。
「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊