Gemmy 147 号 「小売店様向け宝石の知識「宝石大国・インド2」」
宝石大国・インド2
インドはダイヤモンドを最初に見つけて使い出した国。紀元前4世紀トラビダ族によるといわれる。それから1725年にブラジルでダイヤモンドが発見されるまでの間、貴重な世界唯一の産地として活躍した歴史がある。現在は主要産地の地位を失っている。
古代インドでは、ダイヤモンドが比類のない硬さをもち、八面体の面に平行に割れ易いという劈開(へきかい)の性質に気づいていたようだ。インドでは、この時代ダイヤモンドの売買に税金がかけられ、とくに三角形の面が八面でできている八面体ダイヤモンドには最高の税金がかけられ、ダイヤモンドのなかで最も価値あるものとして珍重された。ダイヤモンドは国内税や関税の対象であり、王朝の財源の一つであった。
インドが唯一のダイヤモンド産出国であったときに、17世紀にインド産ダイヤモンドをヨーロッパに紹介した人物がいる。タベルニエ・Tavernier, Jean Baptiste(1605~89)である。ダイヤモンド史上記憶すべき重要人物である。彼は著明なフランス宝石商であり、旅行家であった人。歴史的有名なビッグ・ダイヤモンドの物語には、しばしば登場してくる人物である。当時の最高権力者であったフランスのルイ十四世(1638~1715)も顧客の一人で、タベルニエからビッグ・ダイヤモンドを20個も購入した。タベルニエは前後6回にわたり東洋に旅行し、当時の多くの権力者や支配者の財宝を視察し記録にとどめた。とくにインドのビッグ・ダイヤモンドを買い求め、ヨーロッパに持ち帰った。彼が記述した東洋旅行記には、有名なインドのビッグ・ダイヤモンド並びに宝石類について当時の状況や伝説が記述されている。ダイヤモンドと宝石について歴史的に貴重な文献となっている。
ところで、タベルニエがヨーロッパの王侯貴族にダイヤモンドを売るときの商談について2大逸話がある。
逸話(1)は、タベルニエ・ルールである。
タベルニエが伝えたといわれ宝石の価格算定方式である。ダイヤモンドや宝石の価格は、その重量の2乗に比例して価格が上昇する。つまり1ctの価格に対して2ctはその4倍になるとしている。この宝石算定方式はインディアン・ルールともいわれていた。現在この方式は当然ながら用いられていない。
逸話(2)は、ダイヤモンドの採れる場所は、「ダイヤモンドの谷間」といわれ、特別の人間しか到達できない深山幽谷で、行くのは命がけである。そこでダイヤモンドを採取するには、殺したばかりの山羊の肉を渓谷に投げ込み、それを大鷲が谷底に舞い降りてダイヤモンドが付着した肉片を山頂の巣に運んだところを、あとで巣の周りに落ちたダイヤモンドを集める方法だ。遠い東洋で唯一の産地であるインドのダイヤモンドは、採れる場所は深山幽谷にあって、大蛇毒蛇がうようよしている危険なところ。そこから命がけで大難儀して持ち帰ってきたダイヤモンドだ。(参考:シンドバッドの「千夜一夜物語」。またダイヤモンドには油脂に付着し水分をはじく性質がある。)
タベルニエが17世紀後半にフランスのルイ王朝にダイヤモンドをインドから運んで売っていたのは、ダイヤモンドがまさに宝石の最高位に登りつつあった時代背景があった。
当時西欧では、ダイヤモンドが偉大な権力の象徴になってきたことだ。ダイヤモンドは途方もない力を持ち、狂人を正気に戻し、作物を天災から守り、家や建物を稲妻や雷から守り、病気を治癒すると考えられていた。これらダイヤモンドの神話は当時の人々によって信じられた。それ故にビッグ・ダイヤモンドが渇望されたといえよう。こういった話は一概に笑えない当時の世相だったようだ。
17世紀タベルニエが、インドにダイヤモンドの買い付けに商用に赴いたところはゴルコンダGolconda地方といわれる。インドの南西部アンドレブラデシュ州に位置する。17世紀のダイヤモンド大取引センターであった。インド産ダイヤモンドの話には必ず登場する。このゴルコンダ地方は、ベナール川、キストナ川、カーヌル川流域に広がり、昔のダイヤモンド漂砂鉱床で、当時は採掘場が存在していた。
このようにインドは紀元前から18世紀前半まで世界唯一ダイヤモンド産地だった。現在はダイヤモンドの大研磨加工センターである。昔も今もインドは宝石大国である。
「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊