Gemmy 140 号 「小売店様向け宝石の知識「アンティークジュエリー8」」
アンティークジュエリー・Antique Jewellery 8
アンティークジュエリーは、宝飾品の中で骨董的価値のあるもの、一般に100年以上前に創られた美術的価値のあるものを指します。宝飾品は、人類発生とともにあり、古代から豊かな歴史があります。古代の宝飾品は、おもに支配者の威信を示す象徴、護符として使われました。また宗教とジュエリーのかかわりも大変に古く深いものがあります。
とくにキリスト教世界では聖遺物入れに代表される信仰の対象、教会への奉納品として、男女ともに身に着用され、魔力と威厳を帯びたものとなっていました。
ジュエリーは、あるときは繁栄を誇る王侯貴族の地位・権力の象徴を誇示するものとなりました。そのためにジュエリーは、おびただしい数の宝石がちりばめられ、権力者に所有され、着飾られたのです。そのデザインは特別仕様で豪壮に創られ、宝石の大きさや色や数で階級、家柄、職業を表わしていました。いっぽう王様や皇帝などの支配者は、臣下重臣にジュエリーをたびたび褒美や贈り物として下賜したのです。それが時代の変化によって、彼等にも栄枯盛衰があり、そのたびに換金されたり、ある時は借金の担保になったりもしました。
もともとジュエリーはオーダーメイドが基本でした。王族やマハラジャたちは、お抱えの宝飾職人に宝石素材を持ち込み、好みのスタイルにデザインしてもらい、時間と技術とぜいたくのすべてをかけてオーダーメイドし、宮廷で着飾ったのです。
最近の映画「マリー・アントワネットの首飾り事件」を観ると、ルイ王朝時代の宮廷御用宝石職人の様子が写し出されています。当時のジュエラーは、行商としてヴェルサイユ宮殿への出入りを許されていました。今では考えられないことですが、当時のジュエラーはジュエリーの行商をしていました。当時の宝石ビジネスの形態は、ジュエラーは自らの宝飾工房であるジュエリー加工ショップを自宅に所有し、そこから王侯貴族の邸宅を行商して廻ってジュエリーの注文を取るスタイルだったようです。その頃の宝石ビジネスの様子は、いまも当時の文献に残っているのでよく判っています。
ルイ王朝時代のジュエラーは、マルモットという小さな宝石箱に入れたジュエリーを背負い箱に詰めて、ヴェルサイユ宮殿やパリ市内の高級住宅街にある王族貴族の邸宅を塀越しに口上を述べながらジュエリーを売りこみに歩いていたようです。ヴェルサイユ宮殿の広大な庭を散歩していたマリー・アントワネットが、宝石商人の口上を耳にとめ、鉄柵の向こうから聞こえてくる流暢な口上を聞いて、どうしてもジュエリーが見たくなりました。彼女が、メレリオ・ディ・メレーの売り子を宮殿内に招き入れ、気に入ったジュエリーをオーダーしたことが文献にいまも残っています。当時の注文書が、創業1613年、ほぼ400年の歴史をもつパリ・ヴァンドーム広場にいまも店舗を構えるメレリオ・ディ・メレー宝飾店に現存しています。当店はアーカイブ・ジュエリー、グランドクラシック・ジュエリーをも取り扱う老舗宝飾店で、現存する最古の宝飾店といわれます。
一般にアンティークジュエリーとしての歴史が始まるのは18世紀後半からで、本格的なアンティークのはじまりは、イギリスのジョージアンの時代からといわれます。その後文化産業が華やかに花開いたヴィクトリアン時代、端正なエドワーディアン時代、曲線の美しいアール・ヌーヴォー時代、直線的なアール・デコ時代へと流行と様式が移り変わっていきました。アンティークジュエリーの価値は、使われている素材、ゴールド、ダイヤモンド、カラーストーンの大きさや希少性だけでなく、精緻な細工の出来栄えの素晴らしさやデザインのよさで決まります。現在の価値の尺度では到底測れない素晴らしさをもっています。
一方何でもそうですが、マンネリ化して同じようなデザインが長く続くとき、とくに機械生産で大量に同じようなものが続出するようになると、人々は同じものに辟易して「退屈だ」と必ず飽きてきます。いつの時代もマンネリデザインが続くと人々はうんざりしてくるようです。
ここに人々は芸術に新しい風を求めます。デザインの風向きが変わります。必ず革新というか変化を求められます。この芸術革新の新風がアール・ヌーヴォーであり、アール・デコです。次世代の新風アーツが登場してきます。
「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊