Gemmy 138 号 「小売店様向け宝石の知識「アンティークジュエリー6」」

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Gemmy 138 号 「小売店様向け宝石の知識「アンティークジュエリー6」」

アンティークジュエリー・Antique Jewellery 6

ジュエリーの歴史で最も威光を放つのはヴィクトリアン時代といわれる。英国史上最長の64年に及ぶ在位を記録したヴィクトリア女王(Queen Victoria)は、この間、歴史上最高の繁栄を見せる。ジュエリーの歴史では、1837年から1901年までの長さにわたったヴィクトリア女王治下の時代に作られたジュエリーをヴィクトリアンスタイル(Victorian Style)と総称している。アンティークとは少なくとも百年以上前の美術品を指すが、ヴィクトリア女王時代の美術品を指すほどである。

ヴィクトリア女王は、今から約百年前の1901年1月22日に死去した。最盛期の大英帝国(Great Britain)を象徴し、60年余在位した女王の死は、まさに世紀の変わり目だった。

この日、英国留学中の夏目漱石は、歴史が動いたその時ロンドン市内ハイドパークを散策していて、ヴィクトリア女王の葬列を見物、時代の時計がカチリと動く様を、世界の首都で観察している。「半旗が揚げられている。町は悲しげに沈んでいる。自分は外国人だが哀悼の意を示すため黒いネクタイを着けた。朝、黒い手袋を買った店の店員は、新しい世紀は不吉に始まった、と言った」(The new century has opened rather inauspiciously)店員の何気ない言葉は、漱石に響くものがあった

ヴィクトリアン様式のジュエリーは、特定の様式があるわけではなく、英国史上もっとも繁栄した一大黄金時代に、新しく誕生した富裕市民階級という顧客を背景に、あらゆる種類のジュエリーが作られた。ヴィクトリアン時代は次の3期に大別される。

ヴィクトリアン初期(1837~1860)
若い女王がアルバート公と結婚し、幸せなカップルとして英国に君臨した20年余をさす。この時期には、いままで稀少で高価であったゴールドがカリフォルニアやオーストラリアで相次いで発見された結果、ゴールドジュエリーは隆盛を極めた。女王は蛇をモチーフにしたガーネット(カーバンクル)やトルコ石を使ったネックレス、ブレスレットやリングを愛用し、上流社会に流行した。またロスチャイルド家に招かれたヴィクトリア女王が庭で失した首飾りを鳩が見つけ、小枝にかけたエピソードから、勿忘草をくわえた鳩(Dove)のブローチを愛用し、センチメンタルジュエリーとして人気を呼んだ。この時代には英国王室御用達の宝石商も素晴らしいデザインのジュエリー製作に大活躍した。なかでも王冠(Crown Jewels)をつくった王室御用達・ガラード宝石商会は有名。一方カメオもナポレオンが愛好したことからヴィクトリア女王も好んで着用し大流行した。さらに当時の英国人の多くが海外旅行に出かけるようになり海外ジュエリーも輸入され影響を受けた。フランス、イタリー、スコットランドのジュエリーも流行した。モーニングジュエリーとしてジェットがこの時期に流行り始めたことも目立った現象だ。低品位ゴールド(9K、12K、15K)も合法化され、一般庶民にもゴールドジュエリーが身近になった。

ヴィクトリアン中期(1861~1885)
1867年に南アフリカのキンバリーでダイヤモンド鉱山が発見され、1877年には女王がインド皇帝に即位し、大英帝国が絶頂期を迎えるとインドからゴールドやパールの宝飾品が大量に輸入され、人々の宝飾品への関心を呼んだ。ところが1881年に夫のアルバート公が病死する不幸に見舞われ、女王は長期間の喪中に入った。ここにモーニングジュエリーとしてのジェットをヴィクトリア女王自身はもちろん側近も率先して着用をしたため、一時製造が間に合わないくらい需要をもたらし、大流行した。

ヴィクトリアン後期(1886~1901)
大英帝国は植民地からの莫大な富の還元によって、大衆消費社会が現出。さらに機械化が促進され、ジュエリーも大量生産されるようになった。同じような画一化されたデザイン、大量生産による低廉なジュエリーが大衆に供給されるようになった。一方この風潮に反動してアーツ・アンド・クラフト運動が起こった。これは19世紀末に起こった工業化大量生産による美術品の質的低下に反発して、中世のギルドに近い手作業による作りを重視し、素材よりもデザイン及び手作りの素晴らしさを重視したジュエリー創作運動である。

ヴィクトリア時代はジュエリー史上最も華やかな時代であり、重要な位置を占める。

「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊