CGL通信 vol16 「真珠講座3『真珠養殖のグローバル化』」

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CGL通信 vol16 「真珠講座3『真珠養殖のグローバル化』」

赤松 蔚 

1907年アコヤガイによる真円真珠養殖発明に刺激され、ほとんど間を置かず、シロチョウガイ、クロチョウガイ、マベ、イケチョウガイといった他の真珠貝による真珠養殖への挑戦が始まった。ある者はフィリピン、パラオ、インドネシアへ、又ある者は沖縄、奄美大島へ、そして又ある者は琵琶湖へと真珠の夢を追い求めて行った。先ずシロチョウ真珠養殖では、三菱の岩崎男爵が1916年フィリピンのミンダナオ島サンボアンガ近くで、藤田輔世の下で養殖に着手している。又パラオでは1920年御木本が最初に養殖場を開き、成功を収めた。一方インドネシアのブートンでは1920年藤田輔世がサウスシーパール会社を設立、アラフラ海のシロチョウガイを使用して真珠養殖を行った。クロチョウ真珠養殖については1914年御木本が沖縄の名蔵湾で養殖を開始し、1921年パラオでも手がけている。マベ半形真珠養殖が最初に試みられたのは1908年で、猪谷壮吉らの名がそこに残されている。淡水真珠養殖は藤田昌世によって1924年具体化し、琵琶湖でカラスガイに核を入れる方法でスタートさせたが、その後母貝をイケチョウガイに変えている。このように各地で色々な母貝を使用して真珠養殖が開始されたものの、全ては第二次大戦により中断を余儀なくされた。

戦後海外での真珠養殖は大きく展開して行った。海外における真珠養殖で、中国のアコヤ真珠養殖、淡水真珠養殖を除くその他で日本が優位に立てたのには、かつて日本には「真珠養殖事業法」という法律があり、日本の養殖真珠産業はこの法律によって手厚く保護されていたからである。特に水産庁長官通達の「海外真珠養殖3原則」は、(1)養殖真珠技術の非公開、(2)海外で養殖された真珠はすべて日本に持ち帰ること、(3)海外で真珠養殖を行う際、どこでどんな母貝を使用し、どれだけ生産するかを予め届け出て許可を得ること。海外でのアコヤ真珠養殖の禁止、というものであった。別の言い方をすれば日本の真珠産業を守るため、この3原則によって養殖真珠のグローバル化が阻止されていたのである。しかし1970年代に入るとこの3原則をかいくぐって養殖技術が海外に流出し始め、海外真珠養殖は次第に日本人の手を離れ、現地人、現地資本、現地技術による方向へと展開していった。特に1992年に発生したヘテロカプサ赤潮、1994年に発生した感染症により、日本のアコヤ養殖真珠は量、質共に大きく低下し、このため多くの国内外真珠業者がアコヤ真珠に見切りをつけ、シロチョウ、クロチョウなど他の母貝真珠にシフトして行った。その結果シロチョウ真珠、クロチョウ真珠の生産量が急速に伸び、養殖真珠のグローバル化が加速されていった。そしてその傾向は1998年末の真珠養殖事業法の廃止と共に一段と顕著になった。

次に現在の真珠のグローバル化についてシロチョウ真珠、クロチョウ真珠、淡水真珠を中心に以下に述べる。またその他の真珠についても最近の情報を報告する。

写真1:シロチョウガイ ゴールドリップ

写真1:シロチョウガイ ゴールドリップ

写真2:シロチョウガイ シルバーリップ

写真2:シロチョウガイ シルバーリップ


1.シロチョウ真珠養殖

第二次大戦後養殖は1954年ビルマ(現ミャンマー)で再開されたがその後中断し、1950年代後半から1960年代に入るとオーストラリアへの進出が顕著になった。またインドネシア、フィリピン、再びミャンマーにも進出するようになり、現在30社前後の日本企業が進出している。また現在ではオーストラリアのパスパレー社、フィリピンのジュエルマ社のように現地大手真珠養殖業者が何社も存在している。現在シロチョウ真珠はオーストラリア、インドネシアを中心に行われ、この2国で全生産量の90%を占める。この2国にフィリピン、ミャンマーが続いている。

シロチョウガイには真珠層に黄色い色素を含む「ゴールドリップ」(写真1)と呼ばれるものと、色素を含まない「シルバーリップ」(写真2)と呼ばれるものがある。前者はフィリピン、インドネシアに多く生息し、この貝を使用してゴールデン系のシロチョウ真珠が生産される。一方シルバーリップはオーストラリアに多く生息し、この貝を使用した真珠は「シルバー」、「スチール」などと呼ばれるホワイト系のシロチョウ真珠が多い。

2.クロチョウ真珠養殖

写真3:クロチョウガイ

写真3:クロチョウガイ

写真4:クロチョウ核入れの様子、タヒチ

写真4:クロチョウ核入れの様子、タヒチ

戦後のクロチョウ真珠は1951年沖縄で再開された。何社かが養殖を試みたが脱落し、琉球真珠1社のみが残り、1965年123個の真珠養殖に成功した。その後生産量も増え、1970年代は琉球真珠の独壇場であったが、1980年代に入ると仏領ポリネシア(タヒチ)の養殖が本格化し、その結果真珠養殖の中心が沖縄からタヒチへシフトしていった。仏領ポリネシアは全ヨーロッパがすっぽり入るくらい広いので、本格的な養殖が始まるとたちまち量で沖縄を圧倒し、現在全生産量の90%以上をタヒチが占めるようになった。タヒチでは天然に孵化した稚貝を「コレクター」と呼ばれる付着器で集めた天然採苗貝を使用し、1年半~2年養殖して真珠を生産している。現在真珠の価格がアコヤ真珠のみならず、全ての真珠で下落しており、タヒチは養殖コストの削減のため、違法とされている安価なシャコ核を使用したり、核入技術者を日本人から中国人に代えているが、このことが新たな真珠の品質低下原因となり、その結果真珠の値段が下がり、さらなるコストダウンを迫られるという悪循環に陥っている。

最近フィジーで養殖されたクロチョウ真珠が市場に出ている。量的には大したことはないが、フィジー産のクロチョウ真珠はグリーン色が特徴として人気があるようだ。また2012年ミクロネシアでもクロチョウ真珠の養殖が始まったと報告されている。

3.淡水真珠養殖

1)日本の淡水真珠養殖
写真5:淡水ピース入れの様子

写真5:淡水ピース入れの様子

琵琶湖の淡水真珠養殖の再開は比較的早く、1946年である。戦前は淡水真珠養殖も他の真珠同様核を挿入するいわゆる有核真珠であったが、淡水真珠養殖では外套膜にポケットを作り、そこにピースのみを挿入する方が良い真珠が出来ることが偶然わかり、全面的に有核真珠養殖から無核養殖真珠へ代わって行った。その後生産は順調に伸びたが、養殖の拡大に伴い漁場環境の悪化、母貝の弱体化、外来生物による生態系の変化などにより、生産量は1980年の1,690貫をピークに減少し続け、現在はわずか20貫程度になり、もはや産業と呼べる規模ではなくなった。


2)中国の淡水真珠養殖
写真6:ヒレイケチョウガイ、中国

写真6:ヒレイケチョウガイ、中国

戦後中国の養殖真珠だけが日本企業の進出なしに独自に発展した。中国の淡水真珠は最初カラスガイを用いて無核の真珠養殖を始め、1971年160匁を初めて日本に輸出した。品質も悪く琵琶湖産のものとは比較にならないほどであった。しかしこの真珠がヨーロッパで大流行したため、生産は急速に伸び、1984年日本の輸入量は実に13,000貫に達した。わずか13年の間に輸入量が8万倍にもなったのである。このカラスガイによる無核真珠はやがて流行が消えると同時に市場から姿を消した。1990年代に入ると母貝をヒレイケチョウガイ(三角貝)に代えた新たな中国産淡水養殖真珠が市場に登場してきた。この新商品は品質も良く価格も安いので、琵琶湖の淡水真珠、サイズの小さい日本産アコヤ真珠とも競合し、日本は競争に負けて脱落していった。中国はその後サイズアップや真球度の向上など、様々な技術革新を行い、現在では全ての養殖真珠と競合するまでになっている。生産量は年1,500トン(40万貫)とも言われ、真珠の希少価値を根底から破壊し、強烈に加工処理をするなど、正に台風の目、的存在である。

4.その他の真珠養殖

1)アコヤ真珠養殖
写真7:アコヤ核入れの様子、ベトナム

写真7:アコヤ核入れの様子、ベトナム

アコヤ真珠は現在日本以外に中国、ベトナム、UAE(アブダビ、ラスアルハイマ)で養殖されている。中国のアコヤ真珠養殖は1950年代中頃に本格化した。特に1983年の開放政策以降個人養殖が可能になり、急速に量産化が進んだ。養殖は海南島北部から雷州半島、広西自治区にかけてで、流沙、営盤、白龍湾、北海などに大規模な養殖場がある。中国産アコヤガイは中国では「馬氏貝」と呼ばれ、すべて人工採苗で作られている。日本産の貝に比べるとやや小ぶりで黄色味が強く、光沢も少なく、余り良質珠の生産は望めない。養殖サイズは5、6、7ミリで8ミリアップのものは極めて少ない。生産量はかつては4,000貫とも言われたが、現在はかなり減少しているようで、日本の輸入量も数百貫程度といわれているが正確な量はわからない。養殖後の加工処理は日本からの技術を取り入れ、同じ方法で処理されている。一方、ベトナムでは北の中国に近いハロン湾と南のホーチーミン(旧サイゴン)市に近いバンフォン湾がメインの養殖場である。4社ほどアコヤ真珠の養殖を行なっている。神戸に本社を置くオリエントパールは南北両方の養殖場で4~6ミリの真珠を生産している。UAEでは最近ドバイをはさんでアブダビ、ラスアルハイマ両首長国で真珠養殖が行なわれている。アブダビでは天然に孵化したアコヤガイ稚貝を集めて2年ほど養殖し、母貝に育てた後核入手術を行う。母貝はそれほど大きくないので、メインサイズは5、6ミリである。一方ラスアルハイマでは海底に湧水の出る箇所が何箇所かあり、この付近に生息する天然のアコヤガイを採集して母貝としている。アブダビ産アコヤガイに比べると貝はかなり大きく、養殖される真珠も7、8ミリが中心である。両養殖場とも養殖可能な貝数は約20万といわれており、両者とも真珠市場に及ぼす影響はほとんどないが、アブダビではペルシャ湾の天然真珠を養殖で再現したものとして研磨以外の加工処理は一切やらないことにしている。

2)マベ真円真珠養殖

1990年マリンワールドプロジェクト社社長の大島肇氏がフィリピンルソン島で養殖試験を開始し、2年後に本格的に事業を開始した。マベ真円真珠養殖で最大の問題は脱核であるが、大島氏は原住民が痛み止めやキズの薬として使用している薬草を抑制に応用して脱核を改善し、養殖に成功した。現在天然の2年貝を使用し2年養殖して7~12mmの真珠を生産している。

3)アワビ養殖真珠

アワビを母貝とする真珠養殖はかつて日本(宮城県、長崎県)や韓国(済州島)で行われていたが、現在商業ベースで養殖が行われているのはニュージーランドのみであろう。1995年ニュージーランド最南端のスチュアート島で、エンプレスアバローニ社が初めて商業ベースでヘリトリアワビ半形真珠の浜揚を行った。それ以降この会社はスチュアート沖で採取した天然アワビ(約5年貝)を使用し、8~16mmの半球状の核を挿入し、12mm以下のものは18ヶ月、12~18mmのものは24~30ヶ月養殖して半形真珠を作っている。

4)レインボーマベ養殖真珠

レインボーマベ(Pteria sterna)による半形、有核真円真珠養殖は1993年メキシコのカリフォルニア湾内にあるグァイマス養殖場で開始され、1995年北米で初めて半形養殖真珠が大量に生産された。一方有核真円真珠については1996年のツーソンジュエリーショーに実験的に作られた真珠12個が紹介され、それ以降年間生産量は4,000個ほどに増加し、2005年以降は10,000個に達している。天然採苗で集められ、18~24ヶ月で8.5~10cmに達した母貝に挿核手術を行い、18~20ヶ月養殖して7.5mmの真珠を作っている。

5)コンク養殖真珠

2006年フロリダ・アトランティック大学のミーガン・デービス、ヘクター・アコスタ‐サルモン両博士によって無核、有核コンク真珠の養殖に成功したと報じられた。養殖方法の詳細は一切発表されていないが、先ずピンクガイに麻酔注射を打ち、肉部を貝殻の外に引っ張りだし、有核の場合は核及びピースをそれぞれ1個、無核の場合は2~3個のピースを挿入し、術後肉部を貝殻内部に戻し12ヶ月養殖したようである。成功率は有核で60%、無核で80%であった。養殖された202個の真珠をGIA(米国宝石学会)で鑑別した結果、天然コンク真珠に極めて近いことがわかった。

おわりに

養殖真珠のグローバル化は真珠の価値観を大きく変える結果となった。かつて日本のアコヤ真珠が世界市場の大半を占めていた時はアコヤ真珠の価値観が養殖真珠の価値観であった。しかしアコヤ真珠の影響力の低下に伴い、真珠生産国がそれぞれ独自の価値観で真珠を作るようになっている。例えばオーストラリアでは宝石的あるいは高級宝飾品的価値観で真珠を生産する。しかしインドネシア、タヒチになるとこれがかなり崩れ、中国になると真珠に対する価値観は一体何なのかと疑いたくなる。最近起こっている養殖真珠核問題でも、日本は1924年のパリの真珠裁判にまで遡り、核の材質を淡水産二枚貝の真珠層を丸く整形したものに限定しているが、その他の国では「真珠袋さえ形成されれば何でも」と貼合せ核やシャコ核といったものを使い始めている。真珠の生産、加工、品質に共通した価値観がなくなると、「儲かれば何でも」と養殖真珠はとんでもない方向へといってしまう恐れがある。(つづく)